2013年6月30日日曜日

ローズ・アンド・リリィ

昨日は結婚式に行った。新郎の友達で来ていた男の人に、どうも覚えがあった。私のいる会社をやめた元同期じゃないかなあ、と思って、しばらく見つめて確認したのちに聞いてみた。やはりそうだった。

今日は送別会という名の同窓会に行った。20人近く?以上?集まったので、もう同窓会と言ってもいいだろう。外苑前の小さなパンケーキ屋を貸し切って、パーティをした。変わらないね、と言われれば、いや変わらないわけないじゃん、と思ってしまうし、あの頃うまくいかなかった部分を結局今も克服できていないのがときどき明らかになるので、みんなのこと好きだけど、どうすればいいのかわからなくなるときがある。わからないとか言ってる場合じゃないのに、でもこの歳までこれで来ちゃったら、一生こうなんじゃないか、という抽象的なことを考えたりもする。悩んでもしょうがないのですぐに忘れる。一生懸命しゃべるので喉が嗄れる。うまくしゃべれないのはまだしも写真が苦手で、それでもこういうイベントのときはfacebookにタグ付けされてしまう。

肉体としての女の子が好きじゃないんだと思う。身体的になじまない。好きでも近くに寄れない。身体が接する、という意味で。この間、自分は女の子と同じベッドでどうしても眠れない、ということを思い出したんだけど、 それと奥底でつながっている話だ。友人として話し相手として、信頼しているかどうかは別にして、一定以上の距離をつめることができない。人と寝るときは必ず(少しでいいから)さわっていたい、と思うので、そもそも女の子にさわれない以上一緒に寝ることなどできるわけないのだ。

外苑前から表参道を通って、原宿まで歩いて帰った。東京の中で、この道はとても好きだな、と思いながら歩いたので楽しかった。大きな川が好きだし、広い道も好きなのだ。

2013年6月29日土曜日

バニラアイスの夢

私のママは、その乙女時代においてたいへん可愛かった。もちろん実際に会ったことはない。でも1970年代の女の子でママより可愛かった人を探すのはそこそこ難しいのではないかというのは、娘のひいき目ではないと思う。昔のアルバムを見て、手に持っているものを取り落とすほどのことはあまりないはずだ。もし生き写しに生まれていれば、どれほどのことが起きていただろう(残念ながらそうはなれなかった!)。ママの性格は、可愛く見せかけて奥底は可愛くないのだけれど、それに気づいているのはこの世で三人、つまり彼女の子どもたちだけなので、性格も世間的には可愛いと見なして差し支えない。そんなママはときどき「ママとパパは他人ですが、あなたたちとパパは血がつながっています」というようなことを、思い出したように子どもたちに教えてきた。その言葉は、年頃によって身に迫ってくるあり方が違うので、おそろしい。思春期はそれなりに。娘時代は少し薄らぎつつも真実みを帯びて。そして今は、いつか私も娘に同じことを言うのかしらと夢想して。たぶん言う。

どうしたってさみしいのは仕方ない。何買ったんだっけ、と思って宅配された段ボールをばりばりあけて、片付けもしないまま読み始めるからよけいに散らかる。タグがついたまま着てない服が今年はずいぶんある。私、買ったらすぐに着たくて、それが楽しみで服を買うタイプだったのに、いったいどうしたんだろう。脱いで捨てて椅子の背にかけただけのスカート、カットソーがつみ上がって、そこから拾って、また身につけるような毎日が続いている。単純に、眠いだけだったらいいのだけど。

ナオミちゃんから「今会社にいるの?」という メールが来たので「会社ですが、わたしは自由です」と返信した。それを読んだ彼女は、自由ならば、ということで電話をくれた。

駅前の西友で、電池と紅茶を買った。 夜遅かったので、レジの奥にあるソフトクリームカウンター(よく大きなスーパーにあるお菓子・軽食コーナー)は閉まっていたが、ここの前を通ると、ほんとに小さな子どもで、会津若松に住んでいたころ、母親とヨークベニマルのソフトクリームをたべたことを思い出す。だから杉並区の片隅のソフトクリームもきっと今を生きている子どもの思い出になる、ということを想像して、少し幸せでさみしい気持ちになりながら西友をあとにするのが好きだ。もう私は大人だから、帰りのコンビニでハーゲンダッツのバニラとかを買うのだけれど。

2013年6月27日木曜日

屋上で傷つきやすさについて考える

「傷つかない強さではなく、傷つくことを受け入れる強さを持っているのですね」
あの日はっと開いた目を、今も持ち続けているつもりだ。初めて会った人にどうして、と思ったけれど、まあ私のことだから端から見てわかりやすいというか、それに関して深みがない感じなのだろう。強さではなくて、あきらめではないかな、と思ったりもするけれど、自分のことはいつまで経っても推測でしかないから、その精度を上げていくしかないのだ。誤差を修正しなくてもいい。ただ、認識だけはしておくこと。

この劇評を読んで、ベンヤミンの「遊歩者」という言葉について、久しぶりに考えた。それから、そういえば遊歩者を名乗る人に助けられる人生だった、ということを思い出して、京都の街のことをちょっと考えたりした。

本人に言ったことはないけど、藤原ちからさんの原稿の好ましいところは、引用部分がさかしらでないことだと思っている。だから少々難しいことが含まれていても読みたい、と思う。わたしは物知らずなので、物知りである人たちの言葉の端々からいつもこっそり学習してきたタイプなのだが、藤原さんの引用を読むと、男の子がミニカーに関する知識とか国の首都とかを教えてくれたあの頃の感じを思い出す。知性に焦がれる心っていいものだなあ、と純粋に憧れる。彼の書くものは、彼の中にこれまで蓄積されてきた学問、知識、言葉に還元されてゆく。最近はそこに、もともとあった遊び心がかなり自由な散文として表出しているようにも思う。文章の収斂のありかたがその人をあらわす、というような文章を書ける人は、少ないのだ。

昼休みに大きな川が見たくなって、上司と先輩と別れてひとりで川沿いの公園に行った。駅からもアクセスがわるくわかりにくい場所にある公園なので、こんなに綺麗でお天気もよかったのに、誰もいなかった。ウミウが魚を捕っているのを見ながら、芝生にすわって二曲ほどひとりで歌って帰った。午後は仕事もあまりなくて19:00前に最寄り駅まで帰りつくことができた。まだ日没には早かったので、南口から少し歩いたところにある建物の屋上にあがり、東南の空を見ながらここでも別の二曲を歌った。夕暮れ時は本当にすみれ色の空だな、と思う。踊りたくなることがあんまりないかわり、私はよく歌うのだ。


ノーネーム

古くからの友人がどんどん東京を離れていく。今週末またひとり、同級生をアメリカに見送らなければならない。ロンドン、大阪、甲府、シンガポール。私ばっかり、もうどこにも行けない。昔は、置いていくのは私の側だったような気もするんだけど、これからはもう、置いていかれるという形でしか、別れは訪れないのではないか。だからせめて、残されるのが悲しいときは、ちゃんとそれを伝えたいとは思う。

夜は恵比寿で芝居を観てから、さいとうさんとざきやまくんとごはんを食べた。さいとうさんとは今日待合せをして、初めてお話しする約束をしていたので、叶ってよかった。さいとうさんの本名の名刺を頂いた。私も筆名をいくつか持ったことはあるけど、心に定着しなかったので今は使っていない。

自分の下の名前はまあまあ好きなのだが、もうあまり呼ばれることがない。まきちゃん、と呼んでくれていた人もいるのに、わたしがあまりいい子ではないのでもう呼び捨てしかされない。名前を呼ぶのが上手な人に、何となく放り捨てるみたいに優しく呼ばれたいと思っているけれど、上手そうな人に出会っても、望みのとおりにしてもらえるようなことはたぶんもうない。

2013年6月26日水曜日

緑に紫

ワンピースに着替えて書いている。家の中で気分を変えたいとき、私はときどき服を替える。夜遅いのでお化粧は落とす。

相変わらず夜を日に継いで作業したりしているので、業務中に眠くなる。別にきちんと寝ていたって眠くなるときはなるので、作業のせいばかりとは思わない。悪びれもせず、私は意識を失う。しかし、眠い、と意識していなかったはずなのに気がつくと20分くらいタイムスリップしていて、何なの、と思うことが最近増えて困る。あと、しばらく見ていなかったおかげで忘れていたのだが、ぬかるみに沈むような苦しい眠気の中で、印刷された黒い文字が深緑や赤紫に見える現象が起きることがあって、最近それがまたやってくるのも妙だ。どれだけ目を凝らしても(まあ眠いのでその努力などたかが知れているが)字は黒く見えない。そんなことってあるだろうか、と思ってもやっぱり深緑と赤紫が、A4の紙の上でちらちら踊る。

色の話。
人の声と色が連動するので、すてきな声にはすてきな色がついて見える。他に今も残っているのは数字の性別と色味くらいか。それを使って、電話番号なんかの数字の種類を覚えるのは今も得意なのだが、並び順を間違ったりするので役に立たない。カラーボールがいくつも転がってるイメージで覚えるので、順番はどうでもいいのだろう。ほんとうに適当すぎて、嫌。

もうすぐ結婚する女の話を聞いた。
 とはいえ、いろいろめんどくさいのよ。
 でも新婦の母と父ってことに変わりはないんだから、別に座っててもらう分にはいいでしょ。席次表でも端から見るぶんには分かんないんだし。
 そりゃそうだけどさ、まあ何となく。
 いっそリゾート婚にすればよかったのかもね。面倒な人呼ばなくていいから。
 無理でしょ。二日も三日もあの二人が一緒にいれるとは思えない。ハワイなんかで、逃げ場ないじゃん。
 …ああ(それも、そうね)

いつか東京の女の子のために物語を書きたい。どこかの街にフォーカスしたりしない、東京、そのものについて。外から目指すべき東京ではなく、私たちが縛り付けられてきた場所としての。 

今日は何だか感覚が鈍いな。人に伝わらない変な話ばかりしてしまう。

2013年6月24日月曜日

夜の散歩道

昨夜は25時前に早々に倒れて寝たのに、今日の禍々しい眠気ときたらすごかった。多少は抗ったが時々はそれに負けて、でもがんばって働いた。唐突に意識を失っては都度戻ってくるわたしを見て「今死んだかと思いましたよ」と、隣の後輩は言った。私もそう思った。

家庭菜園好きの元上司があまりに野菜に詳しく、ランチのあいだ何度も野菜の話を挟むので、じゃあブロッコリーってどうやって実るんですか、と聞いたらすらすら答え始めたので驚いた。ブロッコリーはアブラナ科、ということまで教えてくれた。まあ葉っぱはよく似てますよね、と相づちを返し、じゃあほうれん草は何科ですか、と聞いたら知らなかったらしく、食後のコーヒーを飲みながらWikipediaで調べていた(正解はアカザ科)。私、お花のことはあんなに好きなのに野菜への興味が著しく欠落しているのは、やはり生活に対する興味と執着が薄いのだろうか。知識としては面白いし、季節ごとの調理方法などは、まあ知りたいけれど、野菜を育てる実感なんてものはまったく今の私に必要ないと思ってしまう。

執着という言葉で思い出したけど、執着だけで書いている人にはなりたくない。執着で書くこともできる、ということを知ってしまってからは特にその思いが強い。

職場の最寄り駅までの道は暗く、アスファルトと歩きにくい曲がった道ばかりで面白味がない。本当に、ただ駅まで行くしか使い途がないルートである。普段は仕方なく歩いてしまうが、今日は永代通りを茅場町方面に行くことに決めた。永代橋を渡って茅場町についても、まだ地下に潜りたくなかったので日本橋まで行くことにした。日本橋についてももっとずっと歩ける気がしたけれど、せいぜい大手町までしか道がわからないのであきらめた。すぐ側の、初めて入ったお店でスカートとキャミソールを買い、地下鉄に乗って帰った。道がわからないくらいであきらめるからこんな人生を送るはめになるのだ、と毒づきながら明るいエスカレータで改札まで降りた。

買ったキャミソールなのだが、とんでもなく可愛いので、すごく誰かに見せたい。服の性質上、見せられる人が限られているので言うだけ無駄だけど、それでもここでは何だか言いたくなってしまう。たとえばtwitterは人に私の顔が見えるおしゃべりのような感じだけれど、ここはかなり装う(文体はともかく、私の意識を)ことができるので何の話をしようとも、たぶんうまくできるのではないかしら。

いつも昔のことを思い出した話ばかり書いているので、今日は今日あったことを書いてみた。こうしてみると、起きている時間の82パーセントほどは、過去の振り返りを行っているような気がしてきて目眩がする。先の事を18パーセントの濃度でしか考えられていないというのが、私の様々な問題の奥に潜む原因かもしれない。

2013年6月23日日曜日

ストロベリー・ステートメント

人の本棚を眺めるのが好きである。たとえば、かつてK氏の稽古場兼自宅の公演にお邪魔した際に見たものは彼の精神地層とも言うべきような本棚で、大変重みがあった。友人夫妻の家の本棚は、床から天井までマンガしか詰まっていなくて面くらった。なので、明け方に寝床からすべり出て、いつも(一応遠慮がちに)本棚を覗かせてもらう。わたしの家と同じ本がある、と思ったこともあるし、そもそも本棚を持っていない人もいた。

書きたいことがあって物書きでいる人と、物書きでいたいから書いている人の文章について読めばその違いがわかるように、導かれてアーティストになった人と、アーティストでありたいからアーティストでいる人というのも、その言動や作品ですぐわかるのだ。ただし、最初は前者だったのに今は、みたいな人もいるので、なかなか口に出して言うのは勇気がいるのだが。

「20年その根性で生きてきて、今さら変われるわけねえだろ」と、昔、言われたことがある。そこからさらに10年近く生きてしまってから、なんでこんなこと急に思い出したりするんだろう。人は変わりません。あなたに何を言われたって、どんなことがあっても変われません。あのときは「わたし変わるから」とか、泣いてすがったような覚えがあるけど、本当はそう言いたかった。絶対そう言うべきだった。それだけがわたしの信念です。自分は変わったのではないかという妄想とか、変わろうというような決意ほど意味のないものはなくて、そんなことを考えてる暇があったら、一生変わらない自分の一部をどう宥めるか、自己同一性をどう認めるかに力を注ぐべきなのだ。妥協か知足かわがままか、それを人は何と呼ぶか知らないけれど。

何だかみっかごとに、同じようなことばかり書いている。でも、結局一週間、一か月、一年通しても同じことを書きながらただ、螺旋階段をのぼっていくだけなのだ。たぶん。

この日記に本当のことはどれくらい書いてあるのか、という話だが、わたしの頭の中では本当に起こったことだから全部本当、と言ってもいいし、「一度しか起きなかったことは一度も起きなかったことと同じ」とミラン・クンデラが書いているから全部嘘、といってもいい。真ん中とって、だいたい本当、ということにでもしておけばいいのではないかと思う。

2013年6月22日土曜日

企みの足音

困り果ててナオミちゃんに連絡した。どうしてもというときに誰を恃むべきか、心を決める才能が、わたしにはある。

彼女は夜に電話をくれると言ったので、わたしはそれを待つことにして、昼間と夜の時間を過ごした。相変わらず元上司とランチをした。だいたいお天気の話ばかりするが、昨日は夏至だったのでその話を少しした。次に、彼はわたしの味噌汁にオクラが入っているのを見て、オクラの花はきれいだ、という話を始めたのでわたしはとっととオクラを食べてしまって話を終わらせた。野菜の育ち方にはまったく興味が持てないし、 鈴江俊郎の『髪をかきあげる』(※戯曲です)をひとつの心の拠り所にしているわたしは、男の上司の心模様など信用していない。

夜は、このあいだ昇進したTN嬢のお祝いをするため、共通の元上司と三人で食事に行った。いつの世も職場には受け入れがたい他人がいる、というTN嬢を励ますため、これまでのわたしの位置取りのやり方などを、事例を挙げて少し話した。いろいろ、妙な語り口でしゃべり過ぎてしまった気がする。バレンタインのお菓子を協力会社さんに渡し、ホワイトデーにお返しの希望を聞かれたのでデータベース設計書を要求して手に入れた、という話をしたらTN嬢は愕然としていた。そんな感じ(?)で、今より若いころは仕事の未熟さをコミュニケーションで補おうとしていたのだが、今は他者と距離をきちんと取って、そのぶん質を上げるように努めている。距離は、間合いという言葉に変わってわたしを守ってくれるものになるからだ。

ナオミちゃんは約束どおり、夜に電話をくれて、わたしは落ち着きを取り戻した。どこが散らかってどこが壊れているかもわからない状態だったが、ばらばらの部品を拾い、とにかく組み上げようというモチベーションは、保たれた。

部屋にノートや紙の切れ端がいっぱいあって、そのうちのひとつを引っ張り出してみたら、ずいぶん前に書き出したやりたいことのリストが出て来た。当時のわたしは、語感や雰囲気に酔いたかったのかもしれない。以下、リストの一部。
 ・錠前を壊す
 ・家出少年をかくまう
 ・ぬかるみを歩く(裸足)
 ・密会

2013年6月20日木曜日

朝から雨で

朝、駅前で都議会選挙に出る男が演説をしていた。その横で、小学生が5、6人、花壇のふちを歩いたりして遊んでいた。彼らには、20歳以上になったら(恐らく)もらえる投票権とか、まったく現実味がないだろう。大人がなぜ頭を下げてチラシを配っているのか。これはこの大人自身の生計(当選しないとね)のためであるとともに、行き交う大人たちの生活のため(表向きは)とされていること、いつか考える日が来るのだろうけど、それはとても遠すぎて、今のところ本当に来るとは思えない。4歳くらいのころ、錠剤の瓶を眺めて3錠飲めるようになるのは15歳以上なのか、と思っていたことをとてもよく覚えているが、なぜ覚えているかというと、あのころ、まさか自分が「15歳」になれる日が来るとは思っていなかったからである。だが、0歳から15歳になるまでと同じくらいの時間が15歳になってからすでに経ってしまったわけで、それが本当に「同じくらいの」時間なのかは正直怪しい。

通勤電車で座って30分以上も寝続けている人を見ると、こんな無防備で大丈夫かよ、と思ってしまう。まったく起きずに熟睡し続けている人があまりに多くて、わたしから見るとどうも信じられない。わたしは、電車で寝ても2〜3駅で絶対起きてしまうし、たいてい1駅ごとに目を開けている。たくさんの人がいる場所で眠れないのか、降りられないのが心配なのかはわからないけど、とにかくそうなのだ。そのくせ、最寄り駅の直前で地獄の使者に引きずられるように眠くなり、呪詛の言葉をつぶやきながら、泣きそうになって降車することも多い。

今日の朝もそんなことを考えていたら、電車が事故で30分止まってしまった。夜更かししていたところを一生懸命起きてぎりぎり仕事に行こうとしていたのに、これで完璧に遅刻になってしまい、課長に電話するはめになった。所詮、わたしのこの程度の早起きなど、普段からもっとがんばっている人(つまり定時の30分前に出社する勤勉な人)に淘汰されて終わるのだ。

ランチは、相変わらず都合が合えば元上司と先輩と三人で行っている。今日は一日雨で、わたしはちゃんと雨傘を持って出たのに、元上司は窓からちらっと外を見て、傘をさしていない人がいたから、という理由で手ぶらでエレベータを降りて来た。外に出てみると結構な降り方をしていたので、あわてて傘を取りに戻って行った。元上司と同じように、窓から眺めて「傘がなくても大丈夫だ」と思い込んでしまう犠牲者をこれ以上増やさずにすんでよかった。

息継ぎもいらない

昔、占い師はわたしの手を取って言った。
「あなたは一生、誰かを励まして支えて、導く人です。覚悟なさい」

携帯電話のメモ帳に「献血で手首を切られた。ナイフでざっくり。若い女の子を連れていた昔の恋人」と残っていて大変訝しく思ったが、三日くらい前の明け方に、そのとき見た夢について、おぼろげな意識で書いたのだった。献血に行ったら注射針ではなくナイフで切られた、という物騒な夢だ。わたしは普段死にたいなんて1ミクロンも考えていないし、この夢を見たときも「わー、ぱっくり切れちゃったー」くらいにしか思わず、悲壮感とは程遠かったのを覚えているので、精神衛生上は何も問題ないだろう。それより、昔の恋人が若い女の子と一緒にいた夢も見たようであるが、そちらについては今は全然思い出せないので、よかったと思ったのか、少し寂しかったのか、女の子はどれくらい若かったのか、自分では何もわからず、心もとない。

死にたいと思ったことは久しくないが、死ぬかもなあ、とはときどき思う。道路を走る車がほんの少し誤ってハンドルをこちらに切ったら、螺旋階段で天井が崩れたら、地下鉄で煙に巻かれたら、など。そういう漠然とした役に立たない危機感ばかり持っている。

最後まで推敲した箇所に限って、おもしろいのかよくわからない一文が生まれてしまうことがある。もちろん、何これ、と自分でも思う。これでいいのかな、とも。でも、どうしても、ではないけど、なんとなくこれしかない、という気持ちで結局そう書くことに決めてしまうのだ。そういうとき、言葉はただの伝達の用途を超えて初めて放り出されるようにも思うし、その空白の中で自由になるものもきっとあるだろう。

2013年6月18日火曜日

フラッグ

芝居を観たあと、夜の北品川を散歩して、お酒を飲んだ。KY氏(そういえば彼は、俺は空気なんて読まねえ、だって空気なんかないから、と言っていた)とNM氏が飲みながら、未来に伸びてゆく普遍性の話をしていて、わたしは今まで、過去から導き出される普遍性のほうしか重視していなかったのかもしれない、と思って少し愕然とした。そのあと、FC氏とMT氏と明け方のファミレス禁煙席で過ごした。MT氏が、演劇との付き合い方について小さな(でもとても美しい)実感を話してくれたり、FC氏の一人称が「僕」から「俺」に変わる瞬間を目撃したりして、しみじみ、幸せな時間だなと思った。こんなこと、もうわたしの人生にはないかもしれない、と思ったら、こんなに思いつめて生きていくのが今更ながらとてもつらい。でも、思いつめずにふらふら生きていくくらいなら、どんな思いや経験でも、感じられないよりは一億倍ましなのだ。生活を通して、「既存のものにこれまでにない説明を与える」ことは、「新たな未知の事実に触れる」のと同じくらい有用なことだと思いたい。もちろん、それが出来れば、の話だ。無意識のうちに回収されていくのも、選んであえて飛び込むのも、端から見れば同じなのでときどきひどく落ち込む。
 
わたしは誰にも所有されない。誰かに望まれても、一生そうはならないと思う。そのことで失う幸せみたいなものがあったとしても、それは仕方のないことなのだ。たとえ結婚しても出産しても、夫にも子どもにもそれだけの効力はないだろう。これはナルシシズムとは関係ない、決意と事実から導かれた結論である。あなたのものになるとか簡単に言えるくらい従順ならよかった、と思いかけたりもしたけど、思ってもいないことは二度と言わないと決めたのだ。そのかわり、わたしが誰かを所有することも絶対できないということは、肝に命じておくべきである。

「好き」ということの定義を持てていないので、その人のことが好きなのか?という質問にはいつもろくな答えが出来ない。好きな人のことを考えると、それよりもっと大切なことの扱いにどうしても困る。比べるものではないと人は言うけれど、その尺度は他人に決められることではないのだ。

2013年6月17日月曜日

王国の鍵

不安が強すぎるんじゃない、と言われて、え、と思ったし実際口にも出したけれど、気づかれていないと思っているのはいつもわたしだけ、という状況にもいい加減慣れているし、わたしごときの考えることは思った以上に相手に透けているのだという前提で行動しなければならない。

わたしの家はオートロックではないので、共用玄関の鍵を手で開ける必要がある。ときどきその鍵が変になる。昨夜は、鍵が鍵穴に入らなくて本気で15分格闘した。0時を過ぎていなかったら、困って大きな声を出していたかもしれない。もうこんな家、と思って他の家に帰ってやろうかと思ったが、夜はすでに遅すぎ、わたしは自分の部屋が好きすぎた。大好きな部屋に入れないのが悲しくて、早く鍵を開けて帰りたくて、ほとんど泣きそうだった。必死だったので寝るときになってもまだ指先がこすれて痛かった。経験上、しばらくするとまた嘘みたいに鍵穴に入るようになるが、今夜も鍵が入らないのではないかと考えるだけで家に帰るのが億劫になるくらい、心底いやになったので、今度こそ管理会社に電話する。

今日は午前中、約束をすっぽかされた。おおかた洗濯が終わるのを優先したとか、たぶんそういうところだろう。「別にいいよ」と返信したわたしは彼を甘やかしているわけでなく、自分の平穏を優先しているだけで、特にすねたり怒ったりしようという気は起きなかった。『紙風船』並のサバイバルに、身を投じようとしているのだから、これくらいどうということもない。お店にて、ひとりで粛々と試着した。似合うものと着てみたいものは違うというのが分かった。何にせよそういうものだ。

時計の電池を交換して、道すがらアイスを買い、歩きながら食べて家まで帰った。疲れたので、眠ってしまおうと思った。帰って、早々にお化粧を落としたり着替えたりしていたら、近所に住むNさんから「さっきジェラート食べながら歩いてなかった?!」というメールをもらった。歩いてましたよ!と返信したら「そっか、やっぱりね。なんか颯爽としてた。颯爽とジェラート食べてたよ」と返ってきた。

深夜なのにすごく食パンを食べたい。おなかがすいていないので食べないが、食べたいという気持ちは確かにある。でも、たぶん幻だろう。

2013年6月16日日曜日

夢の中まで

このごろ、深夜まで寝付けない。やることがあるなら、眠る時間から削る。それでやった気になるほどさすがに愚かでもないが、長期的な視野は持てないタイプなのだ。翌日の眠気について考えが至らないわけではないけれど、そのとき眠くないのでやはりずっと起きてしまう。視野だけでなく、昼間に向けた想像力も足りない。

朝、白んでゆく東の空を見るのは素敵だ。夕暮れ時の東の寂しさは、耐えられない。

男の人は、すぐ眠ってしまうなあ、といつも思っている。夜だけでなく昼も夕方も、彼らはすぐ眠る。わたしは、あんまり長い時間眠れなくて、隣で目だけあけて寝顔を見ていることも多い。ときどき髪を撫でてみたり耳をひっぱったりしてみるが、気づかれていないか、気づいた上で無視されている。まあそれで構わないし、その人がふっと目を覚まして、今見ていた夢の話をぼそぼそしてくれるのが一番うれしい。彼らの隣でわたしが夢を見ることはなかったし、これからもそうだと思う。

高校のころ、古典の教師が「日本では、夢に見るのは相手が忍んで会いに来ていると考えます」と教えてくれて、自分の無意識を相手に託して解釈するなんて救いに満ちていていいなと思ったのだった。こんなことばかり、なぜか忘れない。

夜、駅前でお茶を飲んで帰ろうと思ったので一人でファミレスに入った。どれくらい時間が経ったころか分からないが、意識がなくなっていて20分ほど眠ってしまっていた。(連日の睡眠不足のせいなので、特に不思議ではない)身体が重くて目もあかなくて、ここから重い荷物を持って10分歩いて家に帰るなんて絶対できない、とそのときは思った。でも、絶対できない、と思ったことで本当にできなかったことはあまりなかった、と一生懸命思い直して、お会計をして帰った。

2013年6月14日金曜日

ロマンティシズムの余地

ひどい修羅場をくぐり抜けても、透明感をまったく失わない人っているじゃん、あれって何なの、って思うよね。と、ナオミちゃんが言った。明らかに淀んじゃう人もいるけど、と続けたナオミちゃんを見て、そのかんばせの抜けるような白さとぬばたまの黒髪に、確かに何なの、とわたしも思った。
ナオミちゃんの唇は、小さくてぷっくりしていてとても可愛い。会うと唇ばかり見てしまう。唇以外にも見るべきところのたくさんある女なのに、見きれないのがいつももったいない。わたしもあんな唇だったら、ローズピンクの口紅が似合ったのだろうか。

定刻どおりに芝居を見るため「病院に行きたいから」と言って仕事を早めに抜けた。「お大事に」と、後輩が言ってくれた。人の話に合わせたりして嘘をつくのは苦手だが、自分のことは特に何も感じない。損なわれるものもないと思う。わたしは、病院に行くより劇場に行った方が健康になるし(どんなダメージを演劇から受けるにしても)、開演時間と同じく、診療時間という枠があることを考えてみれば、どちらにせよ早く上がらなければならなかったことに変わりはない。そうやって自分を正当化しているうちに、やっぱり今日わたしは本当に病院に行ったのではないかと思えてきて、白い診療所の壁のことやお医者さんの様子とかを、ぺらぺらしゃべることもできそうな気がしてきた。

株価の下落トレンドのときも(自己ポジションの取引は影響を受けるが)売買高は以前よりあるので、証券会社は儲かっているらしい。下げ幅に怯えて投げ売りするにも、手数料がかかるのだ。清貧であることが美しさの構成要素であるという意識はわたしにはあまりなくて、インテリのワルどもが仕手化させた銘柄のチャートでも、ロマンティシズムを感じる余地を見出だしてしまう。

パンプスに砂が入った。脱いで裏返すと23.5と書いてあったので、あれっ、と思った。いつもわたしは24センチの靴を履いていたはずで、でもこの頃は足が少し小さくなって、新しく買ったものはたいてい23.5だから驚くことでもないのだけど。
そういえば、靴をなくす夢を見なくなった。もう少し若いころは、夜な夜な靴をなくしていた。いつも、わたしだけが見つからないのだ。一緒にいた人たちは、靴を履いて先に歩いていってしまう。目が覚めてもその寂しさが残っている感覚だけは、今も鮮やかだけども。

朝も昼も夜も

朝に髪を梳かしつけても、職場に行って鏡を見ると、はねてしまって予想もしない髪型をしているので驚く。わたしの髪は特に面倒なくせはないので、しばらくひとつに結んでいれば直る。

「梳」という漢字は、好きな漢字の25位くらいまでには入りそうだ、と今思った。

これは梅雨じゃなくて台風ですよね、とランチのときに言ったら「うん、温帯低気圧だけどね」と元上司が言った。温帯低気圧などという単語を、わたしが求めているわけなかったので、特に返事をするのはやめた。そういう意地悪はできるだけしないで生きていたいのだが、うまくいかなかった。

夜は、もうすぐ結婚するKH嬢が会社をやめるので、もうひとり、後輩のTN嬢と一緒に食事をした。KH嬢は「ドラゴンボールの悟飯ちゃんが、結婚相手には一番いい」と力説していて、すばらしい着眼点だと思った。お勉強ができて優しくて、ビーデルを大切にしていて、悟空とチチも大切にしていて、そこそこサイヤ人として強くて物腰は穏やか。確かに、悟飯ちゃんほど素敵な「お婿さん」はいない。彼女の婚約者は悟飯ちゃんのようではない、というところも好感を持った。
今日彼女が恋愛に関して言ったことで、間違ったことはひとつもなかった。わたしは、間違ったことをたくさん言った。(しかしオブラートにくるんで)
たとえば TN嬢が「好きって何ですかね。恋ってどうすればできますかね」と言ったので「三日三晩かかるから、好きという気持ちについて説明するのは避ける。恋したいとわざわざ思ったことはないからやり方はわからない。厄介だからもう恋したくないのに、と祈ったことはある」と言ってみたりした。

早く時計の電池を交換したい。13歳のときから、腕時計をだいたいいつもしているので、肌身離さず時間の流れを感じて、それにあわせて身体を動かしているのだ。時間がわからなくなって一週間が経ったので、だんだん身体の輪郭がぼやけてきてしまった。たぶん、明日も遅刻するような気がする。

2013年6月13日木曜日

わたしに無いもの

どうして毎朝、こんなに起きられないのだろうと思う。起きなくていいと、どこかで思っているからに決まっている。私の心は弱い。異動してからあまりまともに仕事していないのが理由だろうと思っていたが、今日、案件をふたつもらって担当することになった。とはいえ、仕事が増えたら増えたで会社に行きたくなくなるので、あまり当てにはならない。

前の部署で、わたしがめちゃくちゃかわいがっていた後輩Tが、障害調査で私のいるフロアに訪れた。顔を見た瞬間、近づいていってとりあえず抱きしめた。森でピカチュウに会ったら抱っこしにいくのと同じ理屈である。Tはカレーパンを食べながら、データ調査に使うための長いSQLを組んでいた。口の周りにカレーパンのパン粉がついていたが、一生懸命組み方を考えているようだったので、黙っていた。

そういえば、先輩と食事にいく約束をする、といってまだ約束していない。今書いている劇評のことで頭がいっぱいだし、劇評を仕上げれば今度は何をおすすめしようか考えることで頭がいっぱいだし、仕事を片付けることだけで精一杯で、職場の人間関係にまで気が回らない。
5月に誘われて「6月になったらお返事します」と言ったことを今思い出したが、すでに6月になって12日間も過ぎてしまっているので、大変薄情な女に見えているのは間違いないが、実際、薄情なのでまったく構わない。

飲み会といえば、職場の女子会(いわゆる女子会のイデアみたいなやつです)に呼ばれないことでわたしは密かに有名である。嫌われているはずもないが、なぜか微妙にカウントされない。女子の付き合いより、いつも自分の行きたい場所を優先しているつけが回ってきているのだと思う。まあ、そんなつけくらいいくらでも、って感じだからいいけど。

全体的に、開き直るばかりで反省のない日記になってしまった。そしてそのこと自体も、特に反省はしていない。

2013年6月12日水曜日

恋のたましい

昔の日記は、今のわたしの感覚と全然一致しない記述も多くて、完全に過去になってしまった、と思うこともよくある。
そんなときは、わたしでも時間さえ経てば変われるんだな、と思ってほっとしたりする。
あのときは日々が過去になる日が来るなんて思えなかった。
なるかもしれない、とは思ったが、本当に信じたりはできなかった。
若さの一番つらいところは、そういう息苦しさであるのはわたしが今さら言うまでもない。そのときどきで、人生は美しかったり手に負えなかったりした。わたしは何とかそれを生き延びた。

それにしても、よくも恋のことばかり書いているものだと思う。 
幼なじみの女の子には、あなたが人生を謳歌するとろくなことがないから
こと恋愛に関しては、満足しないまま死ぬのが望ましいとまで言われた。
満足しないまま、と言ったって、わたしが満足することはきっとあり得ないから、この話は果たして成り立つんだろうかと思う。
満たされるためなどに恋愛しているのではないし、しようと思ってしたこともない。
寝てみたいと思った人と寝るのをやめろ、という意味で言われたのかもしれない。でも(信じてもらえるかはともかく)わたしはまったく衝動的なたちではないし、行動を起こすことなど滅多にないのだ。(何しろわたしは男の人が苦手。でもそれはまた別の話)
わたしとあなたの間にあるものをわざわざ言葉で越えなくたっていい、と思うときにだけ、身体を使っているような気がする。

好きだと思った人が同じように自分を好いてくれることがうれしくてそれを目指して恋愛したこともあったかもしれないけど、今はそういう気持ちにまったくなれない。
もう恋などしない、というような自分の諦めを、わたしは心底信用していないけれど、少なくとも、ある程度の軽はずみなものにかかずらっていられるほどもう若くないのだ。
特別だと思う人のことは、これから先の人生でもずっと特別だと思い続けるくらいでなければ、特別だなんて言いたくないと思う。(掛け金としての肉体がそこにないとしても)

昨日は久しぶりに、生理痛で泣いた。
痛くて泣いたというより、血が溢れたことに対して。
どうもおかしな日だった。いつもより息も苦しくて、眼前が霞み、足元が覚束なくなった。紺色のスカートでよかったし、タイトスカートでなくて本当によかった。トイレでスカートの裾を洗うと、水が赤く染まって流れた。固く絞ったタオルで叩いて、そのままよろよろとフロアに戻った。
この年で、血でスカートを汚すというのがどれだけショッキングで屈辱的なことか。先週読書会で読んだ本に、初潮を迎えた女の子が絶望して「みんなにバレるくらいならこのままトイレで死ぬ」という台詞を言っていたが、正にそんな気持ちだった。
でも、鮮血のインパクトなんて本当はどうでもよくて、理不尽な鈍痛、運命づけられたようなこの痛みに何より消耗していた。
痛くなることには慣れるし覚悟もできるが、痛みそのものに慣れたり、感じなくなるということはない。

浴室の砂糖菓子

9年くらい前から5、6年書いたブログのタイトルを引き継いで始めることにした。

ある男が海で拾った人魚を浴室で飼うのだが
人魚は海ではめずらしい砂糖菓子をたいへん気に入って
男の家ではそれしか食べない、というわたしの作り話が由来。

その日あったことをきっかけにして、その日考えたことを、書くつもりです。