2013年6月20日木曜日

朝から雨で

朝、駅前で都議会選挙に出る男が演説をしていた。その横で、小学生が5、6人、花壇のふちを歩いたりして遊んでいた。彼らには、20歳以上になったら(恐らく)もらえる投票権とか、まったく現実味がないだろう。大人がなぜ頭を下げてチラシを配っているのか。これはこの大人自身の生計(当選しないとね)のためであるとともに、行き交う大人たちの生活のため(表向きは)とされていること、いつか考える日が来るのだろうけど、それはとても遠すぎて、今のところ本当に来るとは思えない。4歳くらいのころ、錠剤の瓶を眺めて3錠飲めるようになるのは15歳以上なのか、と思っていたことをとてもよく覚えているが、なぜ覚えているかというと、あのころ、まさか自分が「15歳」になれる日が来るとは思っていなかったからである。だが、0歳から15歳になるまでと同じくらいの時間が15歳になってからすでに経ってしまったわけで、それが本当に「同じくらいの」時間なのかは正直怪しい。

通勤電車で座って30分以上も寝続けている人を見ると、こんな無防備で大丈夫かよ、と思ってしまう。まったく起きずに熟睡し続けている人があまりに多くて、わたしから見るとどうも信じられない。わたしは、電車で寝ても2〜3駅で絶対起きてしまうし、たいてい1駅ごとに目を開けている。たくさんの人がいる場所で眠れないのか、降りられないのが心配なのかはわからないけど、とにかくそうなのだ。そのくせ、最寄り駅の直前で地獄の使者に引きずられるように眠くなり、呪詛の言葉をつぶやきながら、泣きそうになって降車することも多い。

今日の朝もそんなことを考えていたら、電車が事故で30分止まってしまった。夜更かししていたところを一生懸命起きてぎりぎり仕事に行こうとしていたのに、これで完璧に遅刻になってしまい、課長に電話するはめになった。所詮、わたしのこの程度の早起きなど、普段からもっとがんばっている人(つまり定時の30分前に出社する勤勉な人)に淘汰されて終わるのだ。

ランチは、相変わらず都合が合えば元上司と先輩と三人で行っている。今日は一日雨で、わたしはちゃんと雨傘を持って出たのに、元上司は窓からちらっと外を見て、傘をさしていない人がいたから、という理由で手ぶらでエレベータを降りて来た。外に出てみると結構な降り方をしていたので、あわてて傘を取りに戻って行った。元上司と同じように、窓から眺めて「傘がなくても大丈夫だ」と思い込んでしまう犠牲者をこれ以上増やさずにすんでよかった。

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