2013年7月27日土曜日

恋愛問題集(後編)

<論述問題>
問1
愛と執着の違いを説明せよ。

問2
秘密と隠し事の違いを説明せよ。

問3
恋人に忠実であることと恋人を愛していることが同時に成立しない場合について、例を挙げて説明せよ。

問4
ある人を完璧に愛しているふりを成し遂げたとき、それを覆すことはどうすれば可能か?完璧に愛しているふりがどのようなものかについても説明しながら答えよ。



<選択問題>
※主に男性向け
問1
いたいけな女の子を食い散らかしたあとの対処から、自分の考えに近いものを一つ選んで言い訳せよ。
(1) 女の子の亡霊を弔い、真摯に反省して隠遁する。
(2) 女の子の亡霊に口づけし、再び目覚めさせて今度こそ幸せに暮らす。
(3) 散らかした分だけこれからも撒き散らす。

※主に女性向け
問2
ある人との恋を一生続けるためにする選択肢について、それぞれ考えを述べよ。
(1) 愛する男の子どもをひとりだけ生む
(2) 同じ男の子どもを何人も生む
(3) 子どもを持たずに添い遂げる
(4) 生んだ子どもを置いて、男とともに一生旅をする 



<証明問題>
あなたの愛が今ここに存在すること、あるいは存在しないことを証明せよ。証明するために使うものに制限は設けない。



<英作文>
次の例文を英訳せよ。
1.悪い習慣がひとたびでも身に付くと、抜け出すことは困難である。 
2.信じ合っていることが愛し合っていることと等しいとは限らない。 
3.自分が誤解されるより、相手が誤解されることをつらく思うことが恋である。



<最後の問題>
今宵あなたが共に眠るべき人は次のうち誰か。
1.熱く抱いて寂しさを忘れさせてくれる情熱的な人
2.寂しさを分かち合い、溶かしてくれようとする優しい人
3.この寂しさは決して分け合えぬ了解のもと、刹那に触れあう静かな人

2013年7月26日金曜日

恋愛問題集(前編)

問1 
次のうち、罪のあるものはどれか
1.今はもう君のことが好きじゃない。
2.君といるときもあの人が忘れられない。
3.今は君ではなくあの人が好き。

問2
次のうち、罪ではないものはどれか
1.他の誰かといても私を忘れないでいてほしい。
2.あなたもあの人も同じくらい好き。
3.あなたの友達を好きになったので、もうあなたとはもう会えない。 

問3
次のうち、本当の気持ちを選べ
1.一生僕を愛してほしいと思う。
2.一生君だけを愛している。
3.というのは嘘だが今は君だけを愛している。

問4
恋人をいちばん傷つける言葉は、次のうちどれか
1.あなたのことが嫌いになった。
2.あなたのことが好きだと思えなくなった。
3.誰のことも好きだと思えなくなった。 

問5
言われたとき、より悲しい言葉は次のうちどちらか
1.君はひとりでも生きていける。
2.僕はひとりで生きていく。 

問6
あの人があなたのそばにいる理由は、次のうちどれか
1.無償の愛
2.見返りを求めている愛
3.人恋しさ

問7
この手は何のためにあるのか
1.傍らの人の手を取るため。
2.別れゆく人に振るため。
3.ひとり寂しく膝を抱えるため。 

問8
あなたはどちらの人と暮らすべきか
1.君がいないと僕は幸せになれない。
2.僕が君を幸せにしてあげる。

問9
この世に存在するのは、次のうちどれか
1.冷めない愛情
2.癒えない失恋
3.色褪せない思い出

問10
あなたの思いを永遠にするために言うべき言葉は、次のうちどれか
1.「愛している」
2.「結婚しよう」
3.「さようなら」

問11
恋人に「愛している」と伝える理由とは何か
1.本当に相手を愛していることを知ってほしいから。 
2.本当は愛していないことを知られたくないから。

問12
不幸とされがちな女は、いったい何が「良い」ために不幸であるのか
1.容姿
2.頭
3.物わかり
4.都合 

問13
幸福な恋愛の果てにあると言われているものは次のうちどれか
1.幸福な結婚
2.不幸な結婚
3.幸福な別れ
4.不幸な別れ

問14
次のうち一番愛の深い行為はどれか
1.あなたのために泣くこと
2.あなたと一緒に笑うこと
3.いつも黙って見守ること

問15
これからのあなたが大切にして生きるべきものを選べ
1.自分の欲望
2.自分の幸福
3.相手の幸福
4.この中にはない



【出題者からのヒント】
正解はありません。答えを考えるプロセスが大切です。後編は論述問題を予定しています。

2013年7月25日木曜日

暗い廊下

昨夜は2時過ぎに一度眠ったのだが、奇妙な手触りの夢を見て、青ざめて起きた。廊下のような場所を歩いていたところ、ある地点からついているべき明かりが全く消えていて、 見るとそこから先はぼうっと不自然に暗くなっていたのだった。電気の消えたくらい廊下、その先から何かがやってくる、という気配を感じた。とても大きい、怖い、暗い何か。とにかく暗いのが怖くて、声を上げたい、と思ったけれど喉がつぶされたように何も言えなかった。やっと思いで目だけ一生懸命開けた。一瞬、どこの部屋にいるのかもわからないほど混乱していて、自分のベッドとカーテンを一生懸命見つめたけれど、何か光っていてちらちらする。やっぱり声が出ない。少しは出るけど不自然に震えてかすれる。確かに起きて声を出そうとしてるのにだめで、こういう声の出ない夢は昔からたびたび見るのだけどいつも本当につらい。でもこれは夢じゃない。そうこうしているうちに、ついに弟(小さかった頃)の声の幻聴も聞こえて、あの子を守らなきゃ、という謎の使命感がわき上がったけれど、身体はやっぱり全然動かないのだった。何かがのしかかっているような気がするのに正体は見えない。そのうちだんだん息ができるようになって、身体のしびれがましになってきたので、怖い、怖い、と思いながら枕元の携帯電話を取った。こんな時間にどうしよう、でも、と思って、今自分が生きてるのかもよくわかんなかったので、とりあえず人に電話したけれどその人は出なかった。動悸がしたまま、目を閉じて眠ったら、その人と、もう数人知っている人が出る普通の夢を見ることができて、そのまま朝になった。

2013年7月24日水曜日

真夏の呼吸

階段から落ちた傷がまだ治っていないので、こんな真夏に黒いストッキングで出勤している。そうなると、スカートも靴も黒くなるので、暑くるしいことこの上ない。せめてシャツは涼しげでいたいと思うけれど、冷房のもとでカーディガンを羽織るなら別に何を着ても同じだ。

今日のランチは一人だったので、Perfumeを聞きながら駅前までサンドイッチを買いに行って、隅田川沿いの公園まで戻ってそれを食べた。日傘はさしていたけれどもちろん日差しは強く、じっとり汗ばんだ。でも、夏に外を歩くのなら絶対に七月がいい。八月は、あれは残暑というのであって、夏ではないと私は思う。太陽の意志が前だけ向いているのも、夏の花が上へ上へと伸びるのも七月までなのだ。 それを過ぎたらあとは秋めいた衰えの影が透けるようになる。どんなに暑くても、それは七月の余熱。

会社で、申告シートを提出させられた。部長や、人事部に見せるためのシートである。現在の部署で何をしているかとか、何か相談したいことはあるかとか、今期の目標は何か、とかいうのを書く。どうも春に異動して以来、以前、どうしてあんなにしぬほど働いていたのかよく分からなくなってしまった。それはいいことのはずなのだが、たとえば転校生が前の学校とキャラが変わってしまって、勉強も好きだったはずなのに新しい学校では勝手が違ってやる気が全然出なくなる、みたいな感じだろうか。ともかく勇気を出して、 申告シートに「上司面談希望」というチェックをつけた。話した結果や、今期の仕事ぶりの結果でこれまでの私の評定は下げられることになるかもしれない。でも、残業も減ってるし、会社への貢献度は下がってるから仕方ない。もともと私は、学校や職場など、ある集団においてはたいてい、高評価をもらうことに慣れている。(これは、自慢でも何でもなくて、20年来の被評価経験をもとに言っているだけ。キャラクタとか実績とかをもとに、先生や上司が私を評価するのである)慣れているから特にうれしくもないし、他の人に認めてほしいことをがんばりたいと思うので、評定が下げられたところであまり何とも思わないかなあ、というのが今の率直な気持ち。10月のシステムアーキテクト試験、どうしようかな。忙しいだろうし、でも年一回の試験だから申し込みだけはしようかと思う。

2013年7月23日火曜日

七つの森

普通に起きるつもりだったのに、いつも聞こえる目覚ましが三つ、どうしても聞こえなかった(としか思えない)ので、起きたときには仕事に行く気も失せる時間だった。シーツか枕カバー、お布団、何でもいいけど繊維の間に細かくなって入り込んで、もう消えて居なくなりたいと思ってひたすら目を閉じていた。そういう時は14時くらいまで全然動けなくて、起き上がったところで家から出られないので、台所で紅茶を飲むくらいしかやることがない。 17:00も過ぎてからやっとお化粧をして、ソワレの公演によろよろ出かけた。

うれしいとか楽しかったとか、そういう気持ちが長続きしなくて参る。携帯電話の電池は買って二年くらいすると全然もたなくなるけど、そういう感じ。気がつくといつものあれが広がって、台無しになっている。

18歳の友達に、劇場で久しぶりに会った。彼女に「去年初めて会ったときから今までどんどん綺麗になってると思います」と不意に言われて、それがお化粧のせいとかではなく本当だとすると、理由には心当たりがあったので恐縮してお礼を言った。彼女は、新高円寺の珈琲屋さんで私の写真を撮りたいと言ってくれた。それが今日一番うれしかったことなので、たとえ(私の欠陥により)気持ちが長続きしなかったとしても、また思い出せるように日記に書いておく。

2013年7月22日月曜日

応用読み問題

次の例文を恙なく詳かに読め。

1.
憚る必要もないから言うけど、この街一番の美丈夫と昵懇な間柄なの。驕っているわけでもないわよ。閨で彼を待っていると、彼は蔀をそっと開けて旋風のように舞い込んでくる。因襲の桎梏からは逃れられないものね。彼の榛色の瞳はとても綺麗だから躊躇なんて無いし、後朝の別れが来るまで、縞模様の羽織に抱かれていたいっていつも思うわ。

2.
猪口は二つでいいかな、まあ聞いてくれ。石花石膏の肌理をした女に誑かされたんだ。ふたり気配を消して躙り寄って、手を取った。襦袢を透けて光が滲む姿はまるで衣通姫の末裔で、たとえ草の褥の上でだってその残滓を啜らずにはいられない。ただ、こんなこと言うのは烏滸がましいけど、そういう時は悉く裏目に出るものだね。そのとき襖を開けて現れたのが我が莫逆の友、勅使河原君というわけだよ。

3.
初な娘を拐かして落花狼藉を働いたなんてひどい言い草だな、四方山話をしていただけだ。思うが儘に花弁を散らして蹂躙はしたけど、そのあと壁一面に髑髏の絵を一緒に描いた。だって可愛いんだよ。家鴨みたいな唇でさ。僕は、いつでも立場を弁えて約やかに話す女が好きだからね。

4.
燐寸なんか要らないわ。郭の傾城じゃあるまいし煙管なんて吸わないもの。私に瑕疵は無いんだから庇って。いっそ攫って。等閑にしないで。爪に鑢を掛け終わるまでは待って。

5.
あら、梢に鶸色の鸚鵡が来てる。こんな時分に珍しいこと。この森には樫や楢の大きな木があって、秋には団栗が拾えるのよ。春には蕗の薹も生えるし、薇だって取れるみたい。奇妙な話だけど、仙人掌も植わっているの。本当だってば。私は躑躅が一番好きかな。紫陽花にはまだ早いけれど。一度にたくさん花をつける樹が好きなのよね。

6.
本当はとても億劫でしたのに、嫂が無理矢理にね。余りにお育ちに矜恃をお持ちの方だから生来曖昧で茫漠とした私にはお相手が務まりませんでした。此処だけの話だけど、あの方、三和土で鶉を飼っていらっしゃるんですって。わたし鶉はちょっと。軍鶏も怖くて。だから屏風の前で華燭の典というわけには参りませんでしたの。欠伸ばかりしてしまって退屈だったんじゃないかしら。うまくお話ができなくて、全く忸怩たる思いですわ。

7.
駱駝に乗せる鞍よりも、翡翠か瑠璃か玻璃の玉を私に贈って。無ければ石鹸でも良いし蝋燭だって良いけど、もし私が天鵞絨を欲しがっているように見えたのなら、それは誤謬。

8.
まったくその窶ればんだ様子ときたら、ひどい為体だな。蝙蝠か蜥蜴に逃げられただけだと思えよ。強請に遭ったわけでもあるまいし、いつかまた東雲の日も昇るさ。狼煙を上げて、ほら、骰子を振れ。

9.
十露盤を振って音を出しているだけでも良ければ、側にいるわ。こんなことで靡くような人じゃないのは分かっているから、せめて餞の菫だけでも受け取ってね。

2013年7月21日日曜日

ジュスティーヌ

本当にやりたいこととか、本当にそばにいたい人とか、って言葉に窒息させられそうになっているけど、私が今いる場所、人、やってること、送っている人生が結局本当の私の人生なのだと思わなければいけない。そうじゃない本当のことなんてやってこないし、最初から全部本当なのだ。

誰かに浸食されたことによって守られる領域があって、それをこの人は知らない、という形の抵抗を試みることがある。別にその時々の恋人に対してというわけでなく、どちらかというと普遍の敵に向けられたもの。私の表面はいざ知らず、身体はあなたの自由にはならないという意思のあり方として。それから、心底私だけを見てほしいけれどそれが叶えられないときの拠り所として。間違ってるかどうかなんて聞いてない。他人を通して知る自分、というのがあるというだけだ。でも思えばずっと、理解されない武器を身につけることで、何かを守ってきたような気もするな。

どれだけ強く抱きしめたら言葉を使わなくても伝わるのか、やってみたところできっとよくわからない。 私の愛は、甘く見合うことと許し合うこと。その相互的なバランスなしにはあり得ない。私が甘く見る余地を持たせてくれない人、私を許してくれない人とはやはりだめだと思う。ひとりで出来る愛と言えば、あなたに長生きしてほしいと願うことくらいである。


女に対してすることは三つしかない。女を愛するか、女のために苦しむか、女を文学に変えてしまうかだ。( ロレンス・ダレル『アレクサンドリア四重奏』) 


※上記引用は、来世で男に生まれたときのための備忘です。

2013年7月20日土曜日

マドモアゼル・ブランシュ

川沿いの公園で津村記久子を読んでいる人がいて、確かに、この場所で、昼休みに読むのにふさわしい本だなあと思った。

マンションの外階段で、服の裾をひっかけて落ちた。おかげで仕事に遅刻した。主に右側を負傷して、特にひざとひじがひどい。皮膚から出る血を見たのは久しぶりだな、ということを考える余裕は、あった。時間が経ってからのほうが、青と赤の痣になって痛む。

今週は横浜に(ふらっと行ける距離じゃないけど)たびたび行ってしまっている。STスポットが地下にあるというのが、いいのだろうか。日のあたらない、白いきれいな壁の劇場。まったく嘘みたいに浮き世の気配を消した空間で、人と関わる、今生きてる人だけじゃなくてもうここにいない人、人だけじゃなくて生き物、命だけじゃなくて時間、季節、空気、あらゆるものを愛することを、私はできるな、って思った。対話は別に言葉だけでしなくてもよくて、でもそれに気づくまでにはたくさん言葉での対話(に似たものとか、すれ違いとか、わかりあえない悲しさを知るとか)をしないとわからない。
 
居酒屋の隣の席で、あの人とつきあう人生もあったなあ、という会話を横で聞いていて、急に力が抜けた。 そんなの、思って生きていたらきりがないわ。考えたら今何で生きてるのかわかんなく、なるわ。

でもそれが原動力になるんだったら生きるしかない、ってところで、これまでもこれからも、やっていくしかないのだと思う。 

2013年7月17日水曜日

東京と私

東京といえば今も昔も人の集まる場所で、それこそ故郷に恋人を置いて上京、なんてドラマもよくあること。だから東京には、誰かを置いてきた人はいても、置いていかれた人、というのはいないと思われているのではないか、と常々思っている。被害妄想だろうか。でも私ときたら、22歳の春頃から、東京に置き去りにされる経験を何度も何度も、しているのだ。18の春でないのがやはり学園都市東京ならではのタイムラグか。みんなみんな行ってしまうのね。私、独りぼっちね。私が置いていかれたことに気づく人も、この街にはいないのね。東京の小さな路地を行ったり来たりして私の見ている景色、誰かに教えてあげたいけど。

東大卒の人が何人かいる飲み会というのが最近あって、反射で「すごいですねえ」みたいな言葉も聞かれたのだけど、そんな中、東京の進学校から東大に入った人がぽろっと「本当にえらいのは県立のトップ高校から入った人ですよ。東京の学校から東大入るのは、そんな難しくない」と言ったので、私は顔を上げた。東京(京都とか大阪も)と他の地域では、受験のやり方も違うんだな、そういえば、と思った。私の大学にも県立高校から来た同級生はたくさんいて、彼らと、私立高校という概念をうまく共有できなかったことを、思い出した。その逆もしかりだ。私の県立高校のイメージは、恩田陸の『六番目の小夜子』。

東証と大証が今年から経営統合していて、昨日からシステム的にも統合された。大証に単独で上場していた銘柄のデータを全部東証に付け替える対応をして、その他細かいこともいっぱいやったけど、これでまた東証の時価データが巨大化するなあ、名証、札証、福証、あと大証のデリバティブなんてちっぽけなものだなあ、と思った。地方経済への影響はよくわからないけど、表向きは東証の国際競争力がアップするぜ、みたいなことだけが話題になっているのだった。時価総額ではたいしたことないけど、銘柄数(世界第三位になった)が何かの価値になったりするんだろうか。

昨日の帰り道、玄関先で迎え火を焚いている家を見た。東京のお盆は7月。私の家族も、帰ってきていることだろう。

クレマチスは青

歩いてて誰かのこと考えたり、独りごと言ったりしてると涙が出ちゃうことがあって、ずっと何でなのか分からなくて、寂しいからだと思っていたんだけど、ああ、怖いから涙出るんだ、というのが今日わかった。私、怖かったんだな。今も、怖いな。人生に分かれ道というものがあるなら確実に私はそこに立っている。 これまでとは少し違う分かれ道に。一昨年くらいからずっと、私の価値観を覆したり、補強したりしてくれるような出会いがたくさんあって、大きな出会いもほんのいくつかあって、それなのにどういうふうに生きていくつもりなのか全然決められなくて、今見えてるはずのものも信じられない。それは、信じたらどうなるのかが怖いからだ。ここでどうするのか、何か誰かに試されているみたい。

というようなことばかり書いていてもしょうがないので、きっぱりあきらめる、ことが出来ればいいのだけど、それが出来ないということを思い知っている程度には、自分のことがわかっているのだ。 本が読みたい。

2013年7月15日月曜日

愛といって差し支えない

優しい人がいいです、という言葉の意味のなさに愕然とする。優しさなんて、私にはほとんど必要ない。そんなこの世に存在しない概念よりも、知性と少しの想像力を持っていてほしい。それで見た目がもともと好みもしくは思いの外好みというのが、素敵なんじゃないの。え、違うの。
 
東京デスロックの『シンポジウム』を観て以来、一人で閉じ込めようと思ってた気持ちが燻って困る。なのでこつこつ考えて、書く。 あの場所に連れて行きたい女の子のことを思い出してメールしたのであと一度は観る。

彼の日、劇場でYさんに、最近私が書いた二種類の文章A・Bについて言及された。Aは先日書いた劇評。Bは演劇作品のおすすめ文。要は、印象が全く違うので「どうしてAみたいなものを書いたあとにBが出て来るのか」ということを聞かれた(と思った)のだが、それぞれ違う部分を使って書いてるから、とも言えるし、源泉の気持ちは同じだから読んだ印象が違っても本当は同じ、というのが正しい気もする。

愛について考えると、対象になる様々な人、もの、生き物について考えることになる。たとえば私は弟(7歳も離れている)を溺愛していて、これまでどんな恋人も弟の地位を超えたことはない。たとえば男の人に、私の料理について「味が薄い」みたいなことを言われたとしても私は「ごめんね、自分でお塩ふってね」とかで済ませるだろう。でも弟に一言「おいしくない」と言われようものならただちに作り直すし、まあそういうのが愛かもなあ、と思っている。(弟は格別に味にうるさいので、彼を満足させておけばたいていの場合は大丈夫なのではないか、という話でもある)

話がそれたが、愛する人のことを考えながら、その甘美な沼から這い上がって、愛そのものについて近づけるよう、考えを束ねる作業をしなければならない。溺れる人について語る際に自分が溺れていてはいけない。などというのは簡単だが、私が本当にしたいのは、溺れている自分を岸でじっと見ているもうひとりの自分を得る、ということなので、今の話も関係あるような、ないような。

2013年7月14日日曜日

忘れがたい夜を

ともかく、忘れがたい夜を重ねていくしかない。

ナオミちゃんと六本木で、シャンパン、マッシュポテト、オリーブで乾杯。10年ぶりに会うS嬢が来るというので、合流を楽しみに待ちながら創作と性愛の話をした。唇は言葉。しゃべるのをやめてすることは、せめて交わす言葉と同じくらい重くあるべき。言葉を使うよりも今はこれでなくてはだめだ、と思って及びたい。交わす言葉に見合わないキスはできない。S嬢は結婚して名前が変わり、S夫人になっていた。

 「え、自分で書いたもの読み返すの?大事なの?」
読み返しますよ。大事…というか、まあ、身体からは切り離されるけど、でも、
「じゃあさ、あんたは絶対自分の子どもを大切にするよ」
え。

私が長い間、私と私が書いたものは私と私の娘くらい違うもの、と思い続けてきたことを、彼は知らないはずだった。そして、私と私の娘の距離の危うさを、一言で突いた。やっぱり怖い人だ、と心底思った。

2013年7月11日木曜日

花の色

柘植の小さなくしをいつも持ち歩いている。中学生くらいのころに、京都で買ってもらった。朝や夜は家でブラシを使うけれど、昼間や外出先での髪梳きは、このくしひとつでおこなう。今日も化粧ポーチをあけ、くしを取り出したところ、唐突に、数日前このくしが折れた夢を見たことを思い出した。それまで全く忘れていたのだが、くしの歯が欠け、折れ、まったく使えなくなってしまう夢だった。夢占いによれば、くしは健康、恋愛、対人関係を表しているとのことで、それが欠けたとあれば凶夢であろう。しかし、無惨に欠けたくしにとてもショックを受けていたので、現実では無事でよかった、と思ってほっとした思いの方が強い。

夢のせいか知らないけれど、自分にとってちょっと変わったことがあって、でも、誰が好きで誰がそうでないか、考えてわかったのはとてもよかった。今までずっと、考えてもわからないと思っていたので困っていたのだ。私は、人のしてほしいことはなるべくしてあげたいのでがんばるけれど、自分ではあんまりされたいことがない。だからと言って、すぐ「どっちでもいい」と言ってしまうのはやめようと思った。

週の真ん中の水曜日、起きたら9:30だった。あわてて後輩のKS君に電話してしまった。課長はもう会議に行ってしまってる時間だ、やばい、というのを瞬時に判断したのである。電話に出たKS君に、あの、今起きた、と言ったら爆笑された。正直で他にどうしようもないという態度を男の人に見せるのは悪くない。

KS君に、午前中休みますか、と聞かれたので、今から超特急で行く、と答えて、急いで準備して家を出た。結局11:00を回ってしまって、会社に着いたらすぐランチの時間になってしまった。家庭菜園に心血注いでいる元上司が今日も「トマトがたくさん取れる」という話を始めた。プチトマトですか、とひとつ質問をすると「黄色と赤があって、毎日5個ずつくらい取れる」という、より多くの情報が返ってくる。他に何が取れるんですか、と聞いたら「キュウリとなすとピーマン」と言われた。薬とかは使わないらしい。野菜は奥さまが育ててるんですか、という問いには、即答で「いや、俺」と返ってきた。続けて「かみさんは虫がいるからって触りもしないよ。ぜーんぶ俺がやってます」と言っていた。そのころ私は、野菜はどうでもいいからお花の話がしたい、と思っていたので、世の中のお花の色って白と黄色で7割占めるらしいですよ、と、何の気なしに言ってみた。元上司は「そうかな、そんなに多いかな。赤とかピンクとか紫とかあると思うけど」と過剰反応した。何だか急に苛立って私は、だって野菜の花なんてほとんど白か黄色じゃないですか、と乱暴に言った。普段ちっともそんな話しないくせに、なぜこんなときばかり役に立たなくて美しいほうの花の話にすりかえるのだ、と思ったのだ。

この人に会って話したら泣いてしまうかも、という人がいて、でもそれはその人の前で泣きたいわけではない。泣いたところで優しくしてくれるような人ではないだろうし、ただ何となく何を話しても涙が押し出されて極まるだろうな、と思うばかりである。でも30歳にもなって、(まだ29だけど)泣いてもみっともないだけだな、と思ってあきらめた。32歳になったら、またちょっといいかもしれない、と思ったので、二年は耐えることにした。

2013年7月8日月曜日

真夜中の虹

豪雨のあと、ビルの8階から大きなアーチを描いた虹を見た。うれしくて声をあげてしまったけれど、虹を不幸の前触れととらえる国もある、というのをいつも同時に思い出す。

本当に好きでなければ、悲しくもならないのだ。

蜜の眠り

ベッドに積み上げた洗濯物の山の中で目が覚めた。タオル、ストッキング、下着(上下)、Tシャツ、ハンドタオル、キャミソールなど。台所の電気もつけっぱなしだったし、浴槽にもお湯をはったまま流していなかった。昨夜、急に眠くなったところまでは覚えているのだが。洗濯物を律儀によけて寝ていたらしく、少し首が痛かった。起きてはりきってシーツ、枕カバー、ベッドの薄い敷物を洗って干した。(6時間後にやってくる壮絶な夕立で、この行為は無に帰すことになる)

お化粧の途中に折れた眉墨を拾って捨てようとしたら、小さな虫だった。あわてて小さく叫んで投げ捨て、ティッシュでつまんでつぶしたが、眼鏡をかけていなかったのでもしかしたらやっぱり眉墨の欠片だったかもしれない。ぜんぜん自信がない。落ちた眉墨は結局見つからなかった。真珠のピアスも片方落としたが、それは必死に探して見つけた。

芝居を二本観たあとに、人と本屋に行って別々のフロアを見てそれぞれお金を使った。
 
意外と自分が、神経質で純情なので困っている。そう遠くない真夏の朝にでも、いっそ溶けて消えてなくなりたい。

2013年7月6日土曜日

朝よりずっと夜が好き

よくやるねえ、と苦笑されたけれど、今の私が今の私でいられる時間は短いから今の私には全部しあわせなことなの、と答えた。そう言われちゃうとね、さすがだね、と彼女は笑った。どんなことがあっても大丈夫だよ。励ますわけでもないのにそう言ってくれる女の子は大切だ。私は思い込みが激し過ぎて、変化したらだめになる、という発想しかなかったことに、そのときまで気づかなかったのだ。

死んだみたいに寝てしまって、そんなこと久しぶりじゃないかしら、と思いながら目を開ける。心労が多いから普段眠れないのでしょうと言われたが、たいしていろんなことを考えているわけでもないのに不思議だな、と思う。余計な気を遣うせいで、損をしたりばかだと思われて悲しいけど、言葉だけがそれを取り返せるなら毎朝こうして起き上がるしかない。生じた空白を身体で埋めることはできるし、限定的な所有の夢を見ることも可能だけれど、開拓して進んでいけるのは言葉だけだと信じるなら。

たとえば誰かから、どういうときに僕のこと考えてる?と聞かれたときにどう答えようか、と想像した。「あなたが私のこと考えてるときはいつもそうよ」と言うのが一番嘘っぽくていいと思った。裏にある愛の深さ、伝わるかしらどうかしら。聞かれてもいないことについて答えたり、言われてもいないことについて怒ったり傷ついたりというのを、いつもよくやっている。 言われてもいないことで喜んだりはできないのが私の正常性。

ため息のいいところは、こめる感情に名前がいらないこと。いつだって、言いそこねた言葉は別の場所でこっそり形にするのが、いいの。

抑制

昨日、私が毎朝(致命的ではないにせよ)起きられないのを見かねた友人が、モーニングメールをくれたが、返信だけまじめにして、また15分寝てしまった。申し訳ない。でもどうしてあと15分寝ようと思ったのか思い出せないし、信じられない。

異動してから帰りが早い。たまに、昔の部署の後輩Tに会ったりすると「帰るの早いって聞いたんすけど、ほんとすか」と聞かれる。ちょうどそのころ私はもう帰ろうと思ってカバンを持っていたりしたので「ちょっと早くないすか、まだ18時すよ」と恨みがましく笑うTに、私はもう昔の私じゃないのかもね、と言って、手を振って別れた。

という話と関係あるかはわからないが、ある劇評を書いた。少なくとも、異動していなければ平日にその芝居を観ることはできず、土曜日に2回目を観ることもできなかっただろうから、確かに異動してよかった。今回やってみて、淡々とあらすじや演出や作家性の分析をする劇評は、もしかしたら私は書かなくていいんじゃないか、と思えた。「ヴァレリー的なものが安岡的なものを凌駕している」みたいなやつとかも。(※例文は気にしないでください)全部を平等に書くという、フェアネスさは捨てる。これに関しては特に、作家側の反発と不満は強いのではないかと思うが、たとえ印象批評と揶揄されたって(されてないけど)かつて「劇評の可能性を自分から狭めるようなことをするな」って言われたのを、信じてみようと思っているのだ。そのための、技術と私性の抑制について、時間を使いたい。

2013年7月4日木曜日

プラチナ

作ったスクリプトの単体テスト実行が面倒で、自席の端末からコンソールをいくつも開いたまま泣きそうになった。けだるい午後に単体テストほど憂鬱なものはない。久しぶりに使うviエディタのコマンドで、やっとの思いでファイルを編集、リリース、テストして後輩にチェックを頼んだ。

「タイムカプセル開けるの、反対してるんだよね、俺」
え、なんで。
「ずっと埋まってるっていうのがいい」
うん?
「だって埋まってないと、タイムカプセルなんだから開けたら意味ないでしょ」
それ、埋めるときから考えてたの?何のために埋めたの?
「開けるなんて考えてなかった。これでまた10年後会えるなあって思ってただけだよ」

しばらく行っていないから、病院にまた行かなければ。口と心がばらばらの動きをしたって、私は私の形をしていなくてはいけない。今日の夜は風が強くて寒くて落ち込んだ。明日着るべき可愛い洋服も、私の部屋には見当たらない。

2013年7月3日水曜日

ピアノの夢

顔にばんそうこうを貼って、マスクをして一日過ごしていた。昨日痛くなったにきびが赤くなって、居たたまれなくなったためである。夏場のマスクは暑いので、ただでさえ日頃から真っ当ではない意識がたびたび朦朧とした。職場では、備蓄していた乾パンの賞味期限が切れたらしく(2012.09付)庶務さんから「文具の棚の横に置いておくのでご自由にお持ち下さい。個数:96個」という凄まじいお知らせメールが流れて、部内に衝撃が走っていた。96個の賞味期限切れ乾パンのことなんて、これまでの人生で考えたことがなかった。

昼休み、ブランケットをかぶって眠ったら、母が白いレースの長袖ワンピースを仕立ててくれた夢を見た。スカートが仕付け糸で留められていたことまで覚えている。赤い薔薇の花と緑の蔓の刺繍が襟元にあった。ただ、母と会話したはずなのに、ずっとずっとバッハのインベンションが流れていたので何も聞こえなかった。っていうかあれはインベンションだったのだろうか。ゴールドベルクの何番だか、かもしれない。とにかく、バッハだということは夢から覚めたあともぼんやり思っていた。
 
未だにというか何というか、文章を書いているときが一番楽しい。打ちのめされてうまくできなくて眠れなくて、つらいことのほうが圧倒的に多くて99.9パーセントを占めるけど、もう20年以上そうだから、一生変わらないといって差し支えないのではないかと思う。だいたい何で苦しいのだろうか、と考えたら、もっと上手になりたいと思うものがこれしかないからなのだった。読書と観劇以外にあんまり趣味がないし、残業の多い職種なので友達ともあまり会えず、旅にも出られない。人より相当世界が狭いけど、自分がこんなに楽しくてそのことばっかり考えていられるものに出会っててラッキー、という気持ちのほうが強い。

強く思っているからと言って、それをいちいち行動で表さない大人もいる。夜中にタクシー飛ばさなくても、抱きしめ合うことがなくても、たとえ一度も口にしなくても、誰かを強く深く愛せるということに、私だって気づいていないわけではない。頭で納得するのと、身体で信じるのには時間差があるというだけで。

2013年7月1日月曜日

夏までの距離

昨日あんなに嫌がっていたにもかかわらず、思い立って、はじめてfacebookに友達の写真をアップロードし、名前をリンクしてみた。食事会の風景とでもいうべき、隠し撮りみたいな写真である。みんなが楽しそうにしているのは好きなのだから、同じように楽しくならなくたって 、私は私のやり方で観察すればいいし、写真だって撮ればいいのだ。ときどき私がカメラ(携帯電話だけど)を向けているのに気がついてピースする子もいたけれど、そういう写真はボツにして載せなかった。真ん中に集まって、ピースサインで撮るのはかなり苦手だ。まあ便宜上応じることができるくらいには安い魂なのだけど、苦手というよりは興味がないと言ったほうがいい。それは昨日、三野くんの写真展でのパフォーマンス『Z/G』を観ていてあらためて気づかされたことでもある。撮られたあとの私たちは、写真の中でゾンビになるのだ。意思のない、生きているのに死んでいる物体。ゾンビのくせにピースするなんておかしいと思っているのだろう。写真が切り取るべき、流れゆく”今”に対して、のんきにピースサインで静止する姿勢は私には取れない。そのあと、幽霊にもなるなら、なおさらだ。

にきびをフランクに指摘することで、私との親密さを確認しようとする人に腹を立てた。女の肌に言及するにはその女としかるべき信頼関係を結んでからという決まりを知らないのかこのやろう、今すぐ治してやるからな(※心の声)という勢いで昼休みに近くの皮膚科に行った。よく通っている、なじみの皮膚科である。待合室で、3歳くらいのこー君と名乗る男の子が、自分の水いぼの説明を一生懸命してくれたので、そっかそっか、と成田亜佑美ばりの包容力で耳を傾けた。ふともものところに水いぼが二個できてしまって、先生に診てもらったらしかった。あのね、プール入るの、と、こー君はささやくように教えてくれた。水いぼにね、ばんそうこうしてるから入ってもいいんだよ、と話してくれた彼に、よかったねえ、暑いからプール楽しみだねえ、と言って別れた。診察室ではにきびを針でつつかれて、反射で涙が出るほど痛い思いをした。血が結構出て、顔の真ん中にばんそうこうを貼られた。薬局が混んでいたので昼休みを20分ほど超過してしまった。顔にばんそうこうを貼って歩くというのは、他人が見たら一瞬で気にしなくなるかもしれないけど、自分ではいつまでも気になるというたぐいの体験だというのがわかった。幸い血が止まって、1時間くらいではがして捨てた。でも、今も皮膚の下で白血球が戦っていて真皮のあたりまで痛い。

ずいぶん前から考えてきたし、最近また身に迫ってきたので再検討したのだが、文体と距離感の話、というテーマがいつもある。私の場合、ときどき、明晰に説明しようと試みていたはずなのに、いつのまにかひざをついてそばにすわり(ときどき肩に手をかけて、耳元に寄って)話しかけているような書き方に変わってしまう。 重要なのは、そうやって誰かのそばにすわっている自分を、部屋の扉の外から見ている私、が書くことだ。まあ、部屋の中に入って、私と誰かの顔の表情を覗き込んだり、後ろに回り込んだりしてもいいのだけど。それで明晰さを求めていくこともできるだろうし、かしこさは、まあ、難しいかもしれないけど、そういうのは他の人がやってくれるからだいじょうぶ、と思っていればいいのだ。

光合成希望

日付変わる前くらいの早さに寝るつもりだったのに、直前にかかってきた電話に何となくいらいらしたまま眠れなくなってしまってさまよった。そういう周期なのかもしれないが、結構きつい思いをした。もうほんとに悲しくなるから、お昼にごはんとか食べるのもやめてひたすら光合成して眠ってたい。私の身体と身体の周りは、私だけのもの。

メガネ忘れたし、水筒も置いてきちゃったし、ipodの充電も忘れたし、ネックレスもしてこなかったし、足りないものばかりで仕事に行く途中だ。出勤もしないうちから帰宅したいと考えている。何を話しても結局その人の話にすり替えられるなら甘く見られたものだと思うし、もう私、自分から話しかけることはないかもしれない。気の持ちようだと思っても、これまで大丈夫だったじゃないか、と思っても、派生していろんなことに思い出し悔し泣きとかしてしまうので、これではよくない、と判断せざるを得ない。

7月になったけど、あまり深く考える余裕はない。とりあえず観たい芝居と観に行くと決めた芝居と好きな人と会いたい人のことだけ考えて、あとは、書くだけだと思う。

夢みたいなこと

セックスに物語を必要とする男と、しない男がいる、というのは私が言ったわけではない。ナオミちゃんが言ったのでノートにメモしたまでである。しかしあらためてぼんやり考えてみると、前者っぽく思えて実はそうでもない人とか、後者かと思いきや意外とそうでない人がいるのではないかと思う。

私が何とも思ってなくても人はそうはいかない、ということが多々あって、何とはなしに避けられているような気がしながら、しばらく会わないようにしたい、とその人が思っている、のが分かった、という体験を思い出すような、夢を見た。説明が長くなってしまった。ものすごく寂しかった。目が覚めてしばらくしてから、押し出されるように洗面所で泣いた。でも、たとえばうれしいと思った夢があったとして、起きたあとに覚えていたことなど殆どない。いつも寂しい夢とか、慕わしい夢ばかりだ。

短いけど今日はこれで、また夢を見るために、眠る。