2013年9月3日火曜日

理由なんて忘れた

泣いた理由はきちんと書いておかなければならない。その日の自由が丘は祭囃子がうるさくて人もやたらと多く、この街ってこんな場所だったっけ、という疎外感に苛まれて私は歩いていた。久しぶりに会った友人は開口一番「大丈夫?まともに生きてる?」と言ったので私はいらっとして「生きてない」と答えた。彼女は以前から「あなたが思うように生きるとろくなことがないから、恋愛には満足しないまま死ぬのがよい」とか「子どもを産んだら落ち着く」とかいう(デリカシーのない)言葉をいろいろくれる、ありがたい、友人である。それは私のためなんだろうけど、でもそんなのは(言うまでもなく)私が決めることだ。そして私は、子どもを産んだくらいで変わるならそれが何より恐ろしい。しかし、よくも飽きずに、変わるのが怖いとか言い続けられるものだ。いざ自分が変わってしまったときに、変わらない人を見て気持ち悪いとか思わないようにしよう。でも、川端康成の『山の音』を読んだときに「ああ、年をとってもこの煩悩から逃れられないんだ」と思って怯え狂って、それを当時の友達に言ったら「そんな感想ありなの?」と笑われたけど、でも私は本気でそれを憂えていたんだよ。年老いたら解放されるものがたくさんあると信じて年をとる希望を持ってたのに、どうやら全然だめそうだし、むしろ増えていく一方なんじゃないかって、思ってしまったときのあれが。今でも。

余談だが、このところ面倒な人々に辟易しきっているというのもある。面識がある人にせよ、街で出会った人にせよ、私の輪郭を侵食するやり方がおかしい。本気で突っぱねろ、とひどく説教されたのでこの頃はそれを実践しているが、それが足りないのだろうか。私が本気でありったけの嫌悪と罵倒の語彙を発揮すれば、どんな男もしんでしまいたくなるほどの殺傷能力はあるはずなので、たぶんまだ足りないのだ。私の手は、そんな面倒な人を抱きしめるためには、ない。

だから話はそれるが、異性と遊んで喜んでいる人を私は信用しない。好かれたり頼られることが珍しくも何ともなくてうんざりしている人が好きで、それは私の、持って生まれたもののせいで嫌な思いをしたことがある人、に対するフェティシズムみたいなものだ。

私が何か言いたい、と思って、言いかけるとそれより先にいくつもの言葉が返ってきて、とうとう私が泣き出すまで誰も気づかない。泣いてから何かしてもらったって仕方ないし、泣いてどうにかできる年は過ぎてしまった。足りなかったものを後からいくら補おうとしても満たされるわけないのがまだわからないのか。いやいや、わかってるのにまだやるのか。

私は、もういられない場所を思って泣くときに一番変なエネルギーを発してしまう。もうすぐ皆に会えなくなるだろう。そのまま朽ちて死ぬかもしれない。大丈夫、あなたは死なないよ、って言ってくれる友達もいるし、三年前の日記を見たら「もう恋に落ちる体力がなくて石炭みたいな気持ちしか残ってない」と書いてあって、あほかと思うくらいには未来はわからないもので、それに希望を持ってもいいってことを私は知ってる。でも私は何回でも、愛したものから、人々の輪から外れていくだろう。泣いてもいいからかきむしって書いて、でもそれで何かを取り戻そうと考えるべきではない。春には照りつける太陽を、夏には落葉降る並木道を、秋には肩に積もる雪を、冬には花咲く庭を求めて生きるしかないし、これを闘争と呼ぶことにはいささかのためらいもない。むしろ、ためらいを覚える人がいるというのも不思議だなあと思うし、自分の気持ちをすっきりさせるために文章を書く人もいるようだが、でも、そんなふうに簡単にあなたのものになってくれるほど(私が欲しいと思っている)言葉は軽くない。

その証拠に今書いてきたことは虚構の話ばかりだし、全部電車の中で書いたから勢いあまってつんのめってるし、読んだ人が面白くないと思ったとしたら、それは私のセンスと技術がないせいなのだ。

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