2013年10月31日木曜日

三十二歳


家にやって来た彼女は、私のうしろから階段をのぼりながら、黒いストッキングをはいた私の足の腱の張りかたについて言及した。おみやげに、マリアージュ・フレールのÉrosというフレーバーの紅茶をもらったので、こけしやのケーキにあわせて、一緒に飲んだ。ポットの中で、ハイビスカスとモーヴの花びらが浮くのがかわいい。私の部屋は、明確な仕切りやいれものはないけれども「これは缶バッチを置くところ」「これはノートを並べるところ」というようにあなたの中で所在位置が決まっているのだね、というのが彼女の分析だった。何ごとも頭の中で完結させがち、という自分の傾向は知っていたが、部屋の全体までそうだというのは、ただの自分勝手なのかもしれない。

机上のものをだらしなくずらして、紙に文章を書きつけながら「わたし適当なのよ」と彼女に言いわけしたとき、私の頭をよぎったのは、今の口調はあまりに母に生き写し、ということで、イントネーションから声色からこんなに似た生きものが育つというのは、もはや逃れようがないのだな、とひそかに観念した。昨日は家の近所で、幼いころの私にそっくりの2歳くらいの子どもを見かけてぎょっとしたし、気分はだいぶ走馬灯である。

やまだないとの『西荻夫婦』の中で、みぃちゃんが「ねえ、60歳のわたしたちって、本当にわたしたち?」と旦那に言ってみる、というシーンがある。次のページで、漫画家の旦那は「途中で老人の自分とバトンタッチするんじゃないかな!」と言いながら元気に焼き鳥をたべていて、わたしはそこも含めて好きなんだけど、彼女は「でもそういうばかっぽい感じでも、答えてくれる人自体なかなかいないよ」と言ったので、またわたしは目がひらかれる思いがしたし、ひらかれた目からは、いつか涙が落ちるだろうとも思った。

2013年10月30日水曜日

青と深緑の幻想

呪いをとくためには自転車を買うしかない、と思ってみたが雨が降り出したので、私が生まれ変わる機会は失われた。水飴の中にいるようにあゆみが遅かったので、自転車ではなく靴を買いにいくことに決めた。新しいところにいくには靴が必要だ。でも隣駅のビルに行ってみたらマネキンが着ていたワンピースに一目惚れしてしまい、申し訳程度にフロアを一周したあとそのお店に戻った。「これ着てみていいですか」と口が勝手にしゃべったので仕方ない。私が服を試着したいと思うときは、サイズやかたちが合わないとき以外「買う」と決めているときだ。(よく吟味してあきらめることは、基本的にしない)そしてそのワンピースは、私の身体に合ってしまった。実を言うともうひとつ深緑のスカートも着てみて、そのあとはただ「お願いします」と言ってカーテンの外で待っていたお姉さんに服を渡した。カードにサインをしたあと、別の店でついでのように当初の目的である靴も買った。
夕方喫茶店に数時間いて書き物をしていたが、途中で浅いねむりにおちてしまった。喫茶店の椅子でひとりで寝るなんてまともな客のすることではないと思って、起きてすこしショックを受けた。コンタクトレンズを入れていなかったのでしばらくはずっと目がさめなかった。

2013年10月29日火曜日

二つの手

友達にはめぐまれてきた、とわたしも思う。物語の主人公になれるか、なれないか、ということで言えば、わたしはなれない方の人間、という信念のもとでこれまで生きてきたし、わたしではない誰かを主人公にするために、今夜も相変わらず「だけど」と「だが」の使い分けについて悩んでいる。友達について考えるときに、たまに思い出す文章がある。小説に共感するような読み方はもうしないが、しおりがはさんであったということはリズムが気に入ったりしたんだろう。

わたしは夜ときどきベッドの中で、友だちの中で誰のことが本当に好きだろうと考えてみることがあるけれど、答えはいつも同じだ。誰のことも好きじゃない。この人たちはみんな仮の友だちで、そのうちに本物の友だちができるんだと思っていた。でもちがう。けっきょくこの人たちが本物の友だちなのだ。わたしの友だちはみんな、自分の好きなことを仕事にしている。いちばん古い付き合いのマリリンは歌うのが好きで、名門音楽学校の事務局で働いている。もちろんそれだっていい仕事だとは思うけど、口を開いて歌うだけっていうほうがもっといい。ラララ。

好きかどうかということで言えば、これよりもっとあとの文章のほうがいい。

わたしのもう一つの欠点がそれだ。今あるもので満足できないこと。そしてそれは一番めの欠点—あせること—と手に手をとって結びついている。もしかしたら手に手をとってるんじゃなくて、同じ動物の二つの手なのかもしれない。もしかしたらその手はわたしの手なのかもしれない。わたしがその動物なのかもしれない。
(ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』 訳 : 岸本佐知子)

ひとりきりの本当の「孤独」について考えると「密室殺人」という言葉を思い出す。たしか森博嗣が書いていたのだが、「密室殺人」という言葉は正確ではなくて、というのは犯人が脱出している以上、それは密室”前”の殺人であり、 あとから密室になるからである。孤独もそうで、孤独”前”の状態がなければ、孤独にはならないだろうと思う。本当の孤独は誰かと一緒のときにやってくる、とも言うが、それだって同じことだ。

わたしは、好きな人は見えなくなるまで見送る、と自分で決めていて、その人々が改札にのみこまれてゆくとき、階段を上がってゆくとき、自転車で走り去るときなどの局面では(できるかぎり)そうしてきた。その行為と同じくらいの濃度で振り返ってこちらを見てくれる人はこれまでいなかったので、たいがいの男はわたしのその取り決めを知らない。

2013年10月28日月曜日

This Is How You Lose Her

午前中、ごく親しい友人たちと行っている読書会をした。MN嬢は、書く人と編む人の合間にいる瞬間もあるのだけれど、TA嬢の編集者的な洞察はいつもながらすばらしく、本の読み方だけでなく、この世の見方までいつも変わるような心持ちがする。今日は、ドミニカ共和国の作家であるジュノ・ディアスの本を読んだ。ドミニカ共和国や隣国プエルトリコについて知りたいと思ってインターネットを検索すると、野球のことしか出てこないので、こんなにも狭い社会に暮らしていることにうんざりした。それなら、日本に忍者がいると思われているのも仕方ない。いくら技術が進歩して飛行機が遠くまで飛ぶようになったって、人間の身体と脳みそと想像力のサイズは変わらないのだ。それを思うとときどき、茫洋とした気分になる。

気分について詳述するのが、日本人の書く文章の特徴かもしれない、というのも今日の話題だった。確かに、自分の心情に関する記述をいっさい排除してみると、新潮クレストブックスのパスティーシュみたいな感じになることがある。自分に対する頓着の仕方は文体に如実にあらわれるし、文体そのものとさえ言ってもいい。

人と親密になる、怖がらずに関係を深める、というのはどういうことだろう。どこまで行ったら、何をしたら、怖がっていないことになるのだろう。でもそういう湿っぽさで、他人の来し方を解釈するのも嫌だ。私たちはいつも、事実と身体を重ねて年を取るしかない。 それこそ、過剰に感傷的になったりせず。

ひとつき後に引っ越しを控えて、当然ながら、ものを捨てるとか段ボールにつめたりとかしなければならないのだが、身体が動かない。眠れない日記を書いてもしかたないのだが、日中もいよいよ眠くなくなってきてしまったので困った。フェイシャルマッサージを受けていても意識が覚醒しきって冴えわたっていたので、もうリラックスのやり方が身体から抜け落ちてしまったようだ。

2013年10月26日土曜日

君に届かないブルース

追いつめやすいたちである。追いつめられやすくはない、とは思う。わからない。大雨は行き過ぎた。昨晩遅くにあった地震は、長く揺れてとても怖かった。終わりの見えないものほど怖い。 今は眠れなさへのあせりがひどい。眠る努力をしていないとか、改善する気がないとか、言われてもいない言葉に先回りして傷つくことはやめたい。

「どうでもいい」という感情は結構大切だとも最近思っている。もともと、他人が私のことをいつどうでもよくなるかわからない、という強迫観念があるので、それを心底受け入れることはきっと私には難しい。でも、すがりつくのでもなく、振り払うのでもないやり方で人と接することについて、考えてみるくらいはやったほうがいい。

『ハスリン・ダン』という曲があって、もとはベッシー・スミスが1930年に歌ったとのことだが、私は浅川マキが歌っているので知った。私は、ブルースの幕切れが好きなんだろうと思う。たとえば俺の女がどれほどいいか歌っておきながら最後は「あいつは出ていった」と続いたりするし、このハスリン・ダンも死ぬ。アメリカの乾いたブルースは、バックビートの手拍子でどこにでも行ける気がする。


聞いて頂戴よ 私の彼のことを
彼は満足以上の最高のブラックマン
ハスリン・ダン 私のいい人

私のいいひとはいつもどこかの土地で
博打打って暮らしてる 最高のギャンブラー
ハスリン・ダン 私のいい人


彼は名うての博打打ち 彼のそのやり口は
正々堂々と勝負する 最高のギャンブラー
ハスリン・ダン 私のいい人

誰が何と言おうと私は彼が好きだわ
彼は最高のギャンブラー 最高のブラックマン
ハスリン・ダン 私のいい人
 

(『ハスリン・ダン』より抜粋 日本語詩:浅川マキ)

町が剥離する

「好きにすればいいんですよ、二週間海外に行って逐一ブログに上げたりしなければね。しないでしょ?」と、女が聞くので、そんなことしません、と答えた。家に閉じこもっていなくてもいい、と言ってくれてほっとした。待合室には初診の男が来ていて、事務の女の人に「前の病院でもらった薬がねえ、効いてる気がしないんですよ」と10000回くらい繰り返していた。女の人は困って「先生に言ってみてください」と丁寧に応対していた。男はしつこく「いや、あのね、効いてる気がしないもんですから」と言って、引き下がる様子がなかった。

帰りの地下鉄では本を開いたが、地下鉄の駅名のカラフルな看板の光が窓から入って、紙にちらちら映るのがうっとうしくて、まともに読めなかった。7年もこの電車に乗っているのに、こんな光が気になるのは困る。茅場町という駅が、自分の身体からとても遠いところに行ってしまって、どうやってもくっつかない。

母校の演劇部のコーチをしている同級生から、最近の高校生と教師と保護者の話をあれこれ聞いた。聞きながら私は、どうやったら母校に講演に行けるくらい偉くなれるだろう、とぼんやり考えていた。女子中学生や女子高校生に火をつけて、一生母校に出入り禁止になるような熱っぽいスピーチをしたい。シェイクスピアの喜劇戯曲から「寝る」という単語が含まれる台詞だけを丹念にカットするような学校だもの。追放されるくらい簡単なことだろうと思う。
 
これからの人生の方がずっと長いのよ、と母に諭されたけれど、3年前のことを思い出しながら、あのときから今までを100回繰り返したら300年だな、意外とすぐじゃん、と思っている。

2013年10月25日金曜日

漂流

日に日に、気力がそがれていく。ねむったところですぐさめる。実際は寝ていないので、そのまま起きていると体が疲れていくのがわかる。思いついてオムレツをたべた。鶏卵をたべたのは、いつ以来か思い出せない。よく考えると、卵を割って中身をまぜて焼いてたべたことが気持ち悪く思われたが、そう思ったのはたべ終わってからだったのでよかった。

昨日は二人で黄金町の映画館に行って、街の裏道をめぐったあと、同じ歌を鼻歌でうたいながら、中華料理屋で乾杯するという夜を過ごした。透明感のある女の子について考えたり、理想のプロポーズの話をしたり、すばらしいコンテンポラリーダンスの話をしたりした。そのあと駅までまた歩きながら、よく飲んでたべる人が好き、とか、色の白い人が好き、とか、太っていない人が好き、とか、男の人って何かをたべている最中に休んでまたたべ始めたりしない?とか、陰気に酔っぱらう人はきらい、とか、明るい酔っぱらいも人による、とかいう話をした。横断歩道を待ちながら彼女は「大人になるといちいち物事に感じ入ってしまって参るわ」と言った。別れ際に私が手をとったら「つめたい」と驚いていた。私は自分が男なら、手があたたかい女よりもつめたい女に触られたいから、これでいい。

何年たっても、どうにも、自分で当時の自分を肯定できない、わりきれない気持ちがわき上がる場所がある。顔なんてずいぶんおぼろげになった気がするけれど、あのときの気分だけがいつまでもべっとり張り付いて残っている。今の自分の背後にあの頃の自分たちが連なり、過去から伸びている時間をはっきり視覚化されて、不安になる場所。

私の場合、土地の感覚は外国語と同じで、恋人や親友がいるから必要に迫られて身につくことも多い。私が池袋の道をいつまでたっても覚えられなかったのは、池袋を拠点にして人と付き合ったことがないからだと思う。自由が丘や渋谷、恵比寿は、通りの名前など気にしたこともないほど青春の肌にしみついているし、新宿なら西へ東へ、地下道と方南通り、甲州街道を使ってどこへでもゆける。下北沢や横浜界隈だって、いい加減いくらか覚えていい頃だ。長く生きるほどに好きな人がほんの少しずつ増える、ということは、はなればなれになる人も増えるということで、いつしかその人のぬくもりを忘れて、ビルや川や電車を眺めていた自分のことばかり忘れられずに押しつぶされる、ような気がするな、と思う。本当に押しつぶされるなんていうことは、あるわけないんだけど。

2013年10月23日水曜日

マジカルミントナイト

またしても妹がやってきたので、黒い魔女みたいなストールをまいて、外に食事に出かけた。道を歩いていると、彼女は「あっ」と声をあげ、友人を呼び止めた。別の営業所で働く、会社の同期のようである。しばらく談笑した後に「姉です」と紹介され、私も頭を下げた。

食事をしながら、私って街で人に会わないんだよね、と言うと妹は「下向いて歩いてるからでしょ」と、からっと笑った。その明るい顔を見て、まったくそのとおりだと思った。そして別れ際、妹に心配ばかりかける、めんどうすぎる姉の姿を露呈してしまった。大人になればなるほど、姉妹のいちばん上がいちばん屑になるという私の考えはやはり正しい。何かに取り憑かれたように、サーティワンでアイスを6個買って帰った。ハロウィーンだか何だか知らないけど、浮かれた名前のフレーバーがたくさんあって、キャラメルリボン、という名前の味に心ときめかせた子どものころを思い出した。

2013年10月22日火曜日

微睡の弊害

夢を見て起きて、気持ち悪かったけれど、これを夜まで覚えていたらそのときは書こう、と思った。覚えていたので、書く。

お風呂に入っていたら、玄関から半透明な異界のものが侵入してきた。異界のものは私のいる浴室に外から鍵をかけた。何とか鍵をあけた私は、恐ろしさにふるえながら部屋を覗いた。そこに異界のものは既におらず、侵入者である見知らぬ男が私の下着の上下を身につけて、目を開けたまま布団に寝ていた。ああ、あれ捨てないと、と絶望した。部屋から男を排除しなければ、と思い、でもものすごく怖くて、誰か人を呼んで助けてもらったのを覚えているけれど、誰が何人くらい来てくれたのか、それは本当に味方だったのかは覚えていない。

2013年10月21日月曜日

細い傷

口内炎がふたつできた。あわないリップクリームのせいじゃないだろうか。口内炎が痛いので、ますますたべたくないけれど、おなかは少しすく。背中をさわると、みみずばれみたいな、かさぶたみたいな傷があって、合わせ鏡で見てもこんなの誰かに付けられたわけもないし、何だっけ、と思っている。

今は世の中が処女好きか変態かに二極化しているけど、それはそのほうがセックスを書くのが簡単なだけ、ってMN嬢がばっさり斬っていたことを考えている。たしかに、普通がいちばんへんに見られる時代なのかもしれない。20代くらいの男性作家でセックスをうまく描写できる人がいればおもしろいけど、私の知る限りいないし世の中にもあんまり求められていないのだろう。それは時代の要請だからしかたないが、少しつまらない。だからみんないつまでも村上春樹のセックスについて文句言ったりするしかないのかもしれない。女は他人の肌を通して自分を知ることが男より多い、と以前ここで書いたことがあるけれど、私は、最中に私を気にしてくれたり知ろうとしてくれるより、ただ自分が欲情している状態に対して忠実に動く人が好き。そういう人が独りよがりにならないのを、うまい、とか、いとしい、と思う。こういうことを書くのも、もしかしたらへんなのかもしれないけど自分ではどうとも思わないので友達とは話が合わない。

病気なんだから家から出ないほうがいい、と言われて、絶望した。もう黙って船に乗るしかない、と思った。病院に行けとも言われたって、連れていってくれるわけじゃないなら何だって一緒だ。

ここ二週間くらい日記に勢いがないし、歯切れもわるくて、なやんでいる。

2013年10月20日日曜日

坂の上の花嫁

本を読みながら喫茶店で眠くなってしまって、あ、自分の家で眠れないっていうことか、とやっと気がついた。これを逃したらもうだめかもしれない、と思って、少し眠ることに決めた。次に目を開けたときは、すっかり夜になっていて雨が降り出していた。私、他にはどこでだったら眠れたっけ、もう全然だめだな、ということを考えているうちに帰るのが面倒になりかけたけれど、遅くなってもいいことはひとつもない、という一点だけを考え、集中して帰宅した。帰りにチョコレートケーキを買ったけれど、三分の一たべたところで気持ちわるくなってしまって冷蔵庫に入れた。おいしかったから明日たべる。ほうれん草は、今日も茹でられないまま終わった。家で食事もあまりしなくなってしまって、少し体重が減っている。身体をさわると、今までさわれなかった骨に当たる。

昼間に日ノ出町の急な坂スタジオで体験した『つれなくも秋の風』という演劇作品は本当にすばらしくて、そのすばらしさというのは、自分の目に映る景色を自分で再構成できる助けになるものが、きちんと自分の内面から湧いてくる、というものだった。演じることと信じることは似ている。 いささか古めかしい結婚観ではあったけれど、祝祭というのは、繰り返しの伝統の側面を持つから。でも、夜中に作品のことを思い出して泣いてるなんて、どういうことだろう。そして、この作品についてだったら、新しい書き方ができるかもしれないと思って、考えるのを止められなくなっている。
 
今は、あの子が送ってくれた遠い場所の写真を見ながら、行ったことがなくても郷愁を感じることってそういえばあるな、と思っている。

2013年10月19日土曜日

氷菓子

先週だか先々週だか、気がふれたようにアイスを買い込んだのを思い出して、冷凍庫を開けた。苺味の氷菓子はもう手で持つのも冷たすぎたので、しばらく台所に置いておいたら忘れてしまって(正確には、しばらくして思い出したけど取りに行くのが面倒で)ぐにゃぐにゃに溶けてしまった。いったい、もともと何をたべたかったのかも分からなくなって、とりあえずざくざく流し込んで飲んだ。冷凍庫をアイスで占拠するくらいなら、ほうれん草を茹でて小さくわけて保存する作業をしたいのに、そういうことが今どうしてもできない。

子どものころ、大泣きで泣いていたときと、身体の構造はちっとも変わっていない。涙が息をするのに邪魔になる。何で悲しくて泣いてるのか全然わからないのに、そのうち泣きやめないことが悲しくなってきて身体全体を絞るようにしてうずくまっていたなあ、ということを思い出す。そんなときは勇気を出して、目を合わせてほしいとか、前髪をほんの少し切ってほしいとかいうことに似たお願いをしたって、息も絶え絶えに泣いているよりはましなのかもしれない。そういうお願いを心の奥からひそかに呼び出せるということが、子どもと大人の違いだと言うなら。

2013年10月18日金曜日

夜の大手町(あるいは着ぐるみの夢について)

久しぶりに会えた親友(ロンドンに5年間転勤中なので)の頭の部分は着ぐるみだった。その日はパーティか何かで、昔の同級生が例によってたくさん出て来たけれど、謎の闖入者が場をかき乱して騒乱状態になってしまってさんざんだった。そのあとエレベータで一緒になった紳士も頭の部分はなぜか犬の着ぐるみで、しかし私が降りる階のボタンを押し間違えたことは、快く許してくれた。犬の紳士は、私と妹を海沿いの水族館まで車で送ってくれて「お金は1400円でいいよ」と言った、という夢であった。

そういえば会社のひとたちにどうしても渡さないといけないものがあって、夜になってからやっとのことで東京の真ん中のほうまで行って、丸ビルで後輩のTN嬢と待ち合わせたのだった。優秀な後輩Kが私を心配してくれて、さして仲良くもないTN嬢のところに様子を聞きに来てくれたと知って、あまりに申し訳なくて顔をおおった。私はクールで他人に関心がなくて淡々と仕事をするK君が大好きで、ほとんど彼にしか話しかけられなくなっていたくらいだったので、そんな彼に心配させてしまうのが居たたまれない。でも、仕方ない、と思うより仕方ない、というマトリョーシカのような毎日だ。みんな本当は優しいということくらい、わかっている。TN嬢に、手間をかけるお詫びとお礼をしてから、反対の電車に乗った。

大げさに言えば、太陽の出ているうちは外に出たくない。今日はどうしても、行かなければならない場所があるのだが、がんばれるだろうか。数日だけでも、東京から離れた町を訪ねていけるようなことができたらきっといいだろうな、と、ベッドの中で考えているのだが。

愚かなおとめたち

「『三月の5日間』ごっこをしたい」と言っている女の子をTwitter上で見かけた。学校でやろう、というようなことを後から追記していたので、ごっこというのはつまり、だらっとした身体とか喋り方とか、そっちのことを言っていたのかな、と思って少し安心した。私は、朝方のラブホテルの明るい廊下で「今からー、三月の5日間ってゆーのをやるんですけどー」とぼそぼそ呟いて遊んだことは、ある。5日間も籠れたらおもしろいな、とは思ったけど、あのときは渋谷じゃなくて関西にいたし、渋谷だったこともあるけどおなかがすいて一緒に行ったのはカレー屋じゃなくてうどん屋だった。手を振って別れたあとに、同じ場所に戻ってみたりも、しなかった。でも、私があの芝居で一番好きだったのは、窓のない部屋で朝も昼も夜もなくなって時間がへんな歪み方をする、あの感覚を引き延ばして取り出したところ、だった気がする。

村上春樹の小説は好きだけれど、あんなに世の中の男性は一日に何度も何度も女を抱けるものなのかな、と思う。まあ、いるのは知ってるけど、どうだったかな。今のところ、いつだって自分を起点に考えるしかないので悩む。「愛のあるセックスを白日のもとにさらすことは可能か」というのは、あなたがあなたの恋慕う人とおこなう行為は必ず隔離され秘められたものであり、フィクション作品の中などで扱われるそれとは異なるという仮説にもとづいて私が考えた、インパクトだけが取り柄の一文である。つくりごとでない愛が宿った本物を、自分たちのベッドの外に引きずり出すことはできない。一般的にセックスが愛を確かめるために行われることがあるというのは知っていても、さらにそれ自体を確かめるには自分の肉体を使うしかなくて、それ以外に、検証する方法はたぶんない。どんな場合でも、真に愛しあって行為に及ぶふたりを目撃することは(なかなか)できない。たとえば恋人同士の俳優による演技などであっても、(一般的に)ふたりでおこなう行為はふたりだけでおこなわれなければ、ふたりでおこなうときの状態は失われるだろう。まあ、私だって別に仰向けで天井を見つめながらそんなことばかり考えているわけではないのだが。いや、考えているかもしれないな。

今日会った女の子は、黒目が大きくてきらきらしていて、なんて可愛いのだろう、と思うような子だった。 私は今はあんまりお化粧もできなくて、髪も無造作に梳かしつけたまま、くたびれた男の人みたいな見た目だったけれど、彼女は私と恋の話がしたいと言ってくれた。恋の話、と言ったところで、誰かが言ったように、結局は具体的な対象に向けての言葉になるに違いないのだ。恋にまつわる言葉は、そうでしかありえない。

遠い港町に旅している人からメールをもらった。彼女は昨日が誕生日だったらしく、それは私の本物の妹と同じ誕生日であったので、ついに彼女が私の妹になったのかな、と思って、これからはそういうことにしよう、と思った。

ねむれなさがいよいよ病的である。明日こそ、と思っている。それがだめなら明後日。明々後日。何もかも、奉納して埋葬するといい。

2013年10月17日木曜日

材料と演出

昨年のフェスティバル・トーキョーでF/Tアワードを受賞された、シアタースタジオ・インドネシアの演出家、ナンダン・アラデア氏が亡くなったという報せを聞いた。42歳というのは、病気で亡くなるには早すぎる年齢だ。

遠いインドネシアの、年齢も性別も異なる彼の死に私が何か共振するとしたら、それは演劇という因数であることは間違いないのだが、では、何らかの共通項がなければ、私は人の死に感じ入ることはできないのだろうか。そういう、対象との幅とリアリティの話は、つい最近も人としたばかりで、自分との幅を測れるものにだけリアリティを感じていられればいい、というのは貧困なことだと思ったのだった。そのことを考えるために、F/Tでは、シアタースタジオ・インドネシアの他には、レバノンのラビア・ムルエの作品を観ようと思う。アラデア氏が今後の世界に不在であることについて考えるのは、それからにする。

声に元気がないね、とHA嬢に言われた。三日ぶりに他人と話すために声を出したせいだと思われる。私が今一番悩んでいることも、端から見ると笑えてしまうというのは救いだ。何でそんなことで悩んでるの、という問いには、何でこのことで皆悩まずに生きていられるの、と返したが、それもだいぶ滑稽だというのはわかっている。

本棚の間を歩いていて本に呼ばれるように、演劇を観る、と彼は言った。私は、それがとてもすてきだと思って、精一杯うなずいて彼の考えに賛意を示した。あと、これはひどい話だが、童貞芝居という言葉から派生して童貞劇評という言葉を生み出した。それに関連するようなしないような話で、私はやっぱり淫靡なものに惹かれるから、そのための境界を不明瞭にするべく、心を砕き、工夫を凝らしたい。妄想させたいのであればそれが可能なだけの材料が必要で、しかしその量は最低限であるほうが望ましい。

2013年10月16日水曜日

ラネーフスカヤの煙管

母の知られざるエピソードとして、父と結婚することが決まったときに「どんな女の方が乗ったか分からないから、車は買い替えて下さいな」と言ったというのを最近聞いた。当の本人は例によって覚えていないふりをしていたが、私から見ればさもありなんというか、そういう無邪気な箱入り娘に、山から下りて来た粗野な男が夢中になったのもよくわかる。

煙草を吸う人たちと遊んだあとは、髪に残った煙をお湯で流し、シャンプーを多く手に取ってなじませる。ある人が、煙草を吸う人を評して「火の管理をしたがっている者たち」と言っていたのがとてもあざやかだったので、それ以来、灰皿に灰を落とす人を見るたび「この人は今、小さな火を手中におさめている王様(あるいは女王様)なのだ」と思うようになった。

起きたらものもらいが出来ていて、痛かった。腫れてはいないから大丈夫、と思ったが、腫れていたところで問題もない。しばらく身体と頭を休めることに専念しなければならない。これから薬を飲んでねむるから、暴風雨の音も聞こえないまま、朝が来て目ざめることになるだろう。

ねむりに落ちる前には、欲望のことを考えたりする。自分は今、体力がない、と思っているけれど、本当にないのは欲望なのかもしれない。ねむりたくもないし、おなかも少ししかすかない。まあ、好きな人とは寝たいけれど、買いたいものは特にない。余談だが、官能とは互いに想像しあうことなので、他者の欲望に冷たい人は、男も女も大概つまらない。

2013年10月15日火曜日

忘れてもいい

喫茶店で偶然人に会った。会うかもしれないと思ってはいたけれど、会うとは思っていなかった。私は街中で知り合いに偶然会うことがほとんどない人生を送っているので、びっくりしたことは確かで、正確に言うなら、びっくりしたよりも、私の生まれた星にかけられた呪縛が破られたうれしさのほうが大きい。向かいの席に座らせてもらって本を読んでいた。つい、ときどき本を後ろから読むという話をしてしまって、怪訝な顔をされた。

調子が悪くて出かけるのに難儀したけれど、どうしても郵便を出さなければいけなかったので、行こう、と決めてから四時間くらいかかって、新宿まで行った。大伯父のかわりに書いた原稿を、しめきりに間に合うように送らなければいけなかったのだ。コピーを取るのを忘れたので、一度封を開け、コンビニに寄ってから郵便局に行き直した。たとえ定められたお別れのときが明日来ても後悔しないように行動しよう、とときどき考えるけれど、それは自分のことしか考えていないってことなのだろうか。いや、でもいつだって「今」「このとき」だけを生きていていいはずがない。

そういえば部長に電話で「まだ人生長いんだから。定年までは35年あるだろ」と言われて、茫然とした。これまでの人生より長く生きる、という可能性に、思いを馳せたのは久しぶりだった。あまり先取りして憂うのも人生に失礼だと知ってはいるけれど、でも、自分には(当然ながら)これまで生きてきた道のりが重く見えるのが普通だ。そこから脱却、したい。

「忘れてもいい」と人に言うときは、私が覚えていてあげるから、という気持ちが奥にある。時間軸を引き延ばすとそれは、先にしんでも大丈夫だよ、という意味で、あなたがいなくなっても私が覚えているよ、というのは、いくつかある愛のバリエーションなのだと思う。ただし、かなり深い方の。

「透明感がある」という言葉は、素直そうな女の子に使うのがよい。かたや 「つやっぽい」というのは、ひとくせありそうな女に使うのが望ましい。素直と正直は何が違うのか、わかっていてもわかりたくない。そんなことを考えていたら、わかっているのにわからないふりをするのが一番つらいからね、とMN嬢に釘を刺されたことを思い出した。

2013年10月13日日曜日

消耗

私が返信しなかったから、父の妹が、母に「メールの返信がないのだけど」と電話をかけたらしい。これではたまらない。北の方に隠遁したい。こんなときに行きたいと思うのはやっぱり北国で、南のほうではないのだった。 一生、能動的に「九州に逃れたい」とは思わないと思う。

二週間ほど、全然人に会わない生活をしていたので、自分に、一日に人に会える許容量があるのを忘れていた。こめかみがずきずき痛む。書きたいことはあるけれど、とりあえず一度退場しないと難しそうだ。

桔梗の花の、大きな髪飾りを買ったので、今度つけて出かけたい。

2013年10月11日金曜日

判断の連続

一日、何も食べずに痛み止めを飲み続けた。水がなくたって、お茶だってコーラでだって飲む。全然平気だ。痛み止めは習慣になっているし、何しろ飲まないと痛みが止まらないのだから薬がいや、とも言ってる場合じゃない、我慢したって何にもならないという諦念がこういう行為につながっている。
 
来た道を逆にたどる、という意味をこめて、川沿いを歩いた。夕暮れの川は極端にブルージィだ。今までで一番ブルースな空気を感じたのは鶴見川だったように記憶しているが、隅田川の細い支流のことは本当に好きだし、やっぱり大岡川もすごくそそる。そうなると玉川上水は、見た目はそれらと似ていなくもないけれど、緑の深さが牧歌的な豊穣さを醸しているのでちょっと違うな、などと考えた。夕暮れの灰青の空を見ながら、アコースティックギターが弾けたらよかった。もしくは、ギタリストを従えたさすらいの歌手になれたらよかった、と思った。
 
言葉を扱って表に出すのは判断の連続、と教えられたことを思い出している。技巧的な意味でもそうだが、あらかじめ責任を持つ(何かが起きたあとに発生するのではなく)ということの方の意味を最近は強く感じている。

前者の「判断」という意味では、それこそ取捨選択の連続で、どうしても書きたくないとか書けない話はあって、たとえば試着室を出たあとに身体を眺め回されて服装に言及されたことが死ぬほど嫌だったとか(でも洋服屋では当然の行為だ)、洗面所の扉の隙間から髪を乾かす人を盗み見していたこととか(角度によっては鏡に私が映り込むはずだということも知っている)、何だか朝から脚が痛いなと思ったときのその理由とか(たいてい慣れない場所で寝たりしたせい)、忘れるには苦し過ぎたり甘過ぎたりおもしろ過ぎたりすることがいくつもある。記憶のよすがとして、表には出ないかもしれないけれど、でも、書かれなかったすべての出来事があってこその、私の考え、というものがいつか表に出ればいい。いや、本当は全部残してあるけどね。日々が過ぎゆくままに、捨てられるわけない。いやしいと言われたってかまわない。

人前で無駄に泣かないのは、たとえば抱きしめられて今にもこぼれそうだけど今は、とか思いながら涙をこらえているほうが愛が深いと信じているからかもしれなくて、それは言うまでもなく愛だけでなく業もつくづく深いからそうなるのである。今なら泣けるわ、とかいう気持ちが起こるときはあるけれど、そういうのはたいていひとりで道端を歩いているときか、キッチンでお湯をわかしているときで、ここぞというときには絶妙にすり抜けてしまうのでどうにもならない。

2013年10月10日木曜日

明滅Ⅱ

台風が来ていたらしいけど、家にこもってカーテンを閉めていたので気づかなかった。後で人に教えられて、えっ、と言ったら、何で知らないの、という顔をされた。おかげで夜は空が綺麗で、この一年の間で一番よく見える、と思いながら星を見た。オリオン座と、一番明るいのはきっとシリウス、と思った。それよりは北に、カシオペア座(たぶん)も見つけた。子どものころに、星座図鑑を読み耽っていた思い出はあるが、見つけ方や星の距離や明るさよりも、星座の神話のページばかり見ていた記憶がある。乙女座デメテル(豊穣の女神)の娘、ペルセフォネが地獄の柘榴を4粒食べたので一年のうち4か月地獄の王のもとにゆかねばならず、母が悲しんで洞穴にこもるので、そのとき人間界は冬です、というような。

星の明滅を見ていると、川上弘美の『星の光は昔の光』と言うタイトルの短編を思い出す。どれくらい昔の光が届いているのかは、星座図鑑をまじめに読んでいなかったのでわからない。

好きな川沿いと、そうでもない川沿いがあって、好きな川沿いはそれぞれどこか似ているな、と思った。河岸に木が植わっているとか、その葉のしげり方くらいなのだが。

今日は誰とも電話もしなかったし、コンビニの人を除くと、一人の他人としか会話しなかった(冒頭に登場した台風の襲来を教えてくれた人)。このまま他人と会わなくなって、冗長な会話をするのが少なくなっていく生活になったらどうしよう、とちらっと思ったが、まあそれでもいいかな、と思って終わった。そのぶん考え事をする時間は長くて、週末、母校の文化祭に行きたいと思いついた。そんな時間があるかはわからないが、どうにかして、行きたい。そう思い始めたら、ますます行きたい。

2013年10月8日火曜日

秋の妹

妹が家まで訪ねてきた。珍しいことである。私の家には人が来ない。いつも私が人の家まで行く。自分の家は物(紙と布)が多いし、狭い空間に人とどう距離を保っていいかわからないし、自分のベッドで人と寝るのが好きじゃない。寝心地はいいけど。妹は「トトロのお父さんの机みたいな部屋だね」と謎の感想を残してから、駅前のパン屋で買ったドーナツをひとつくれた。かわりに文庫本を一冊あげた。彼女はいきなり後書きから読んで「おもしろそう」と言って帰った。

「そんな根本的なこと考えてたら、病気になるよ」と言われたことを執念深く思い出している。そのときその人はメビウスと名前を変えたところのマイルドセブン(もう変わっていたっけ?)をもみ消して、カフェは4Fの喫煙フロアしか空いていなくて、私はもう窒息しそうだった。何でこんな席に座らされているんだろう、と相手を恨んだ。そのあと、いくつか大事なものの話をしたけれど「それを貫くことと引き換えにするもののことをきちんと考えていればいいよ」と確か言われて、考えているわ、引き換えにすることに、私は何のためらいもないわ、と思っていたのだった。

自分のことなら嘘もつける、という歌詞がとても好きで、何でかというと、事あるごとに「ああ、本当にそう」と思うからだ。自分のことは自分でわからないから何を言っても嘘か本当かわからないし、自分との境界がとても薄いように思われて今にも融解しそうな事柄について何か隠し立てすることに、罪悪感を覚えたことがない。

2013年10月6日日曜日

星座占い12位の日

たぶん星座占いでは確実に12位だった日なんじゃないかと思うくらい廻り合せが悪く、あらゆることがうまくはまらなかった。朝から出掛けて、その用事が少し長引いた。疲れも感じたので午後に公演を観るのはやめたが、とりあえず出かけた。ごはんを食べているとき、身体が閉じてる、と心配された。心が閉じてる、と言われるよりショックを受けて、思わず目をつぶったけれど耳が塞げなかったので意味がなかった。同時に二人の人と話すのがしばらくうまくできなくて参った。

そんなわけで、グラス半分で、自分にとって最悪な酔い方をした。ここ最近呼吸の仕方がうまくなくなるときがあって、何となくその兆候のようなものを感じて、一緒に電車に乗る人に迷惑をかけたらいけないと思い、帰りは少し遠くまで歩くことにした。この世に味方がひとりもいない、とさっき口にしたせいか、やはり兆候が現実になって歩くのも難儀していたところ、不意にやさしいメールをある人からもらって、車の行き交う大通り沿いで号泣した。Perfumeを爆音で聞いていても自分の声がイヤホン越しにわかるほどで、涙も止まらないしこれはまずい、というか明らかにおかしい、やばい人だ、と思いながらも、まあ、たまにこういう人が道にいてもいいだろう、と心のなかで言い訳しながら歩いた。こんな泣き方して歩いていたら失恋した人と思われるのではないか、と思ったが、そんな自分の発想も大概貧しい。

人前で泣かないのは私のよいところである。ただし、知らない他人は人前には含めない。

MN嬢にメールしたら、彼女は西麻布を放浪しているところだった。しかもPerfumeを聴いている、という。シンクロだね、一緒に泣きながら歩こう、と返信がきて、編みながら自分でも書くやさしいアンドロギュノスの友人に、改めて感謝した。東京に帰ろう、と思って電車に乗ったけれど、簡単には気持ちも身体も収まらず、妙な乗客であったことは間違いない。まあ、でも、たまにはこういう人が電車にいてもいい。

手紙と煙草

大叔父のかわりに、原稿用紙に文字を起こした。(前回の日記参照
それを老人ホームまで持って行き、確認してもらっていくつか表記の修正を頼まれた。最後に、私が代筆した旨を書き加えてほしい、と言ったあとに日付も入れてね、と言われた。今は何年?と聞かれたので、平成25年、と答えた。

僕は、平成は使わない主義なの。
「え?あ、なるほど」(彼はひそかに天皇制の正当性にも疑問を持っているのだ)
万国共通の西暦をね。
「はい」

私が原稿を封筒にしまうのを見てから彼は、最近寝ながら考えてるんだけどね、と話し始めた。

アドルノが、どうしてここまで突っ込んで物を考えられたのか、意地悪な見方をすれば、アウシュビッツに入れられそうな自分と世の中の情勢と、ヒトラーがあったからだと思うんだね。ヒトラーは、日本をうらやましがってたという。「天皇が言えば皆従うから」と言ったそうなんだね。まあ、そう考えてみると日本は、大化の改新からずっとアウシュビッツみたいなものだよ。7世紀の日本の戸籍制度、あれは奴隷台帳だ。だいたい「君が代」は二拍子で、田植えのかけ声のリズムと同じでねえ…お米は世界的に見てもっともおいしい穀物だと思うけど、おいしいものには労働力が入ってるんだね。あれ、君、カルピスが冷蔵庫にあるから飲んで下さいよ。サイダーもあるから、適当に割って下さい。日本みたいなねえ、自分が偉くて他人が下等だという考えのもとには、友達という考えはほとんどない。孔子の、朋あり、遠方より来る。えー…また楽しからずや、みたいな考えが、実は日本には根付いてない。

そのとき、看護師が薬を持って入って来た。大叔父は途端に不機嫌になってみせる。吐き捨てるようにしゃべりながら、うながされて薬を飲まされる。

「どうですか、今日は」
年中痛いよ。
「前の薬はどうでした」
ありゃ失敗だ。
「お昼あんまり食べられませんでした?」
食いたくなかった。
「うーん」
…でも昨日は食ったんだよ。
「昨日はスパゲッティでしたね」

看護師が出て行ってまた二人になると、ゆっくり話を再開した。私が持ってきたスイートポテトを食べたがったので、開けて渡すと、横になったままかじり始めた。

ヒトラーが総統になってすぐに、アドルノは察知して逃げたでしょう。ああいう、迫害される頭のいい連中は、逃げるから尚更知恵が回るんだろうなあ。平和なやつは、頭働かさないもんね。

話しながら、関連する本を本棚から本を取ってほしいと頼まれるので、その都度重い古書を取って手渡した。ああ、自分の本棚もいじれなくなっちゃった、と大伯父は弱音をこぼした。そして、僕がいなくなったらみんな君のものだよ、と言った。私が先月渡した分厚い本も一応全部読んだらしかった。まあ寝ながら読んだからいい加減のそしりはまぬかれない、と言って笑っていた。帰り際に、祖母の長兄(もちろん大伯父の長兄でもある) が戦地から送った手紙が、昭和24年の「群像」に掲載されたときの原稿のコピーをもらった。何年か前に、母に見せてもらったことがあるのだが、どうしても見つからなくなってしまい、持っているかどうか尋ねていたのだ。(大切な文章なので、またの機会に引用したいと思う)

本当はね、手紙は二通あったんだ。最後の5月にね「ナチスがついに崩壊した。生きているうちにこんな日が来るとは思っていなかった。自分のやっていたことは間違っていなかったんだ」っていう、手紙が来たんだけどね。まあ兄は、そこから帰ってこなかったけれども。母はねえ、そのときから煙草を始めて結局肺癌で死んだんだな。結局自分が今同じ病気っていうのも、変だなあ。

そういう大伯父の目は赤くなっていて、彼が泣いているのを見たのは、初めてだと気づいた。私の手をいつもより長くにぎって、手が温かいですね、と言うとうれしそうにして、離れると寂しそうに手を振った。

2013年10月5日土曜日

ネットの海のティンカーベル

夜、妹が会おうと言ってくれたので、新宿の喫茶店で待ち合わせをした。接待で遅くなったと言って彼女は、ばりばりの営業の空気を少しまとったまま現れた。しばらく思いつくまま話をしていて、この冬ニューヨークに行くという妹に、ポール・オースター知ってる?と聞いたら彼女は、O.ヘンリーしか知らない、と答えて、中学生のころの英語の教科書に載っていた『賢者の贈り物』について思い出話を始めた。彼女は、懐中時計を売って櫛を買った夫より、髪を売って時計の鎖を買った妻のほうが得だ、と考えていたらしい。なぜなら、時計はお金がないと取り戻せないけど、髪はまた伸びるから。

それを聞いたとき、はじめは面白かった。デラとジムという主人公の名前まで覚えているほど細かく読んでいるくせに、読みながらそんなことを考える中学生がいるんだ、と思ってびっくりした。でも、笑っていたらだんだん感情のチャンネルが重なってきてしまって、しまいには喫茶店で人目もはばからずにぼろぼろ泣いてしまった。妹は、えっ何で泣くの!泣きやんで!と言ってくれたけど、まきちゃんはあんまり損得勘定が理解できない子だからねえ、と慰めてもくれた。そういえば妹は、損得勘定が子どものころから得意であった。

あとは、いちいちペプシコーラを開けるときに大きな音を立てる男が嫌だと思っている話や、常軌を逸した音量で携帯電話を鳴らす男が嫌だ、というような話を聞いてもらった。妹は、うんうん、とうなずいて、長女だからねえ、周りの環境にすごく振り回されるんだよねえ、と言った。彼女のほうがよほどいろいろ見えているのが心底悲しく思われて、またしくしく泣いた。

野田秀樹演出で『障子の国のティンカーベル』が再演される。過去に私が観たのは、2002年の鶴田真由が主演のバージョンだ。今はなき、両国のベニサンスタジオに行ったのだった。それに連れていってくれたのは、当時の私のパトロン的な謎の紳士で、彼は今思い返しても誠に謎の紳士であった。キース・ジャレットを聴きに上野まで連れていってくれたのも彼だし、私の出演する公演があれば大輪の薔薇の花束を届けてくれたりもした。彼とは音信不通になってしまって久しいが、季節の変わり目には思い出す。

2013年10月4日金曜日

苛々する大人

とにかく人と話したくない日が続いているが、連絡がきてランチに呼ばれた。夜に食事をするよりましだと思ったのだ。でも、プロフィール写真にお子さんのものが設定されたSNSで連絡が来たので、うとましい、と思って友達登録はしなかった。こういうのを言ったり書いたりしているときは別に何とも思っていなくて、淡々と、事実とリズムが面白ければそれでいいと思っているのだが、表立った日記でそんなこと書くのはどうか、などと思う人に対しては、嘘かもしれないんだからいちいち目くじら立てないでくださいまし、と言いたい。だって、正確には友達登録したのちに思い直して削除したのである。

本当に話を聞くのがへたな男というのはいて、私の言うことに「そうだね」と言ってくれるのはいいのだが、その言い方が問題なのだ。同意してなぐさめる「そうだね」ではなく、そんなこと自分は知っているし君が言うようなことは珍しくないよ、という精神的上位思想が透ける「そうだね」だと、私は性格が悪いうえに余計なところのプライドが高いのですぐ腹を立てる。直したい。ちなみにこれも嘘だ。直したいとは思っていない。このままでいいわ! だいたい、好きでもない男だから腹が立つのであって、自分の精神状態が万全でないにもかかわらず、つまんない自分の話をしてしまう私が一番悪い。

なかなか人の目が見られなくて困る。それでも目を見て話ができる間柄の人はいて、つまりそういう人のことを私はどんなときでも信頼して好きでいるのだな、というのが自分でわかったのはよかった。そういう人はあまり数は多くないが、人間以外では、あと犬がいる。

2013年10月3日木曜日

午後の虹

夕方、虹を見た。雨もあがってだいぶ時間が経っていたのに、上空の湿り気は残っていたのだろう。思えば、虹を目にするのはいつも夕方4時ごろだ。夏の豪雨はそれくらいの時間にやってきていたし、今日のも。私は、夕暮れの東の空の寂しさには耐えられないと常々思っていて、それは寒々しい薄青がだんだん夜になっていくさまが何ともみすぼらしく見えるからで、でも太陽が西側にある以上、夕方の虹は必ず東の空に出るのだと気がついた。今日はずいぶん長く、あざやかな色が残っていて、空を指差していた子どもたちがいなくなってからも私は立ち尽くして空を見ていた。消えるまで眺めているのも未練がましいし、虹も最期を看取られるのはいやだろうと思い、背中を向けて歩き出した。それでも一度振り返ってしまったのが私の弱さだ。

今朝の夢と言ったらひどくて、起きるべき時間を寝過ごして夜になってしまって泣きそうになるとか、バレーボールをして疲弊するとかいうものだった。昔の恋人が久しぶりに夢に出て、たぶん付き合っていた当時の設定ではなくて、今の年齢で再会したとか、そういう感じだったと思うが、彼の部屋の枕元にプレゼント用に梱包されたアクセサリーがあったのを覚えている。特に何の感情もなく、へえ誰にあげるのかな、と思って見ていたら、何見てんだよ、と怒られたのでそこで萎縮して夢は終わった。今も、同じ空の下に彼が生きているのが何となく信じがたい。椿の花が落ちるように死んだ関係だったな、と思う。

22歳のころ、文芸同人で、中年以降の男女について毎回つたない掌編を書く連載をしていた。叔母、ゼミの先生、老犬。いろんな人々を主人公にした。当たり前だが、今なら全然違う人たちのことを書くだろう。そういうことを、やってみたくなり始めている。

夜遅く、大伯父から電話があった。息も絶え絶えに、身体の調子がたいへん悪いんだ、と言いながら、次いつ来てくれる、と言うので、週末に必ず行きます、と言った。字も書けなくなっているのに、こんな夜に携帯電話のボタンを押したのか、と思うだけで居ても立っても居られない。

2013年10月2日水曜日

何度買ってもなくす本

何もかもままならないので、漢方薬局に行った。怪しい風貌の薬剤師だが、信頼はできる。彼は私がぼそぼそ説明するのを聞いて言った。
「中途半端にひとりで煮詰まってるからそうなるんだよ。煮るなら煮る、焼くなら焼く。どうせ煮るなら自分が食えるような味付けにしなくっちゃ」
 それから私を立たせると、首を持ってぐっと振り回し、ばきばき音を立てて整えた。とはいえ、すぐには元気の出ないまま、処方された顆粒の薬、二袋をリュックに入れてとぼとぼ薬局を出た。一日三回、律儀に飲む。

翌日、後輩のK君が来週クロアチアに一人旅する、という話をして盛り上がっているのを隣の席で盗み聞きしていた。K君と話していた先輩たち数人が去ってから、ひとりで行くの、と聞いてみた。そこから、クロアチアの通貨(ユーロではない)やEU加盟の話を少しして、町並みがきっと綺麗だから楽しみだね、と言って話は終わった。仕事のできる後輩に懐いてしまうのをやめたいが、やめることはできない気もする。

古本屋を二件ほどうろついて、酒の肴を選ぶがごとく、文庫本を数冊ずつ拾って帰った。何度か買っているはずなのに、貸したかあげたかなくすかしてどうしてもなくなってしまう本がある。だらしないのか雲隠れなのかわからないが、私にとってそういう本のひとつ、宮沢章夫『牛の道』を買い直して少し元気を出した。

夕方、レトルトカレーのことを考えていたときに読んでいた本で、ちょうどいい箇所に当たったので、引用してみる。


 カレーを食べたい気持になるとき。
 ○カラリと晴れた日。雨の日などはならない。
 ○体力のある日。(そうはいっても、こんにゃくを食べたくなるほどの体力まではない日)
 ○強気の日。
 ○反省していない日。
 ○気分のいい日。
 ○気分のふさぐ日にも。(ふさいでもお腹は空く。これを食べて元気を出しましょうと食べる。ふさいでいる日には、悪酔するからお酒類は飲まない。このての食べものは、カレーのほかにもう一つある。鰻重)
(※中略)
 カレーが食べられなくなったときは、もうおしまいだ、きっと。ここのところ暫く、食物や水をのみ下すさいに、喉がごっくんと鳴って通りがわるく、やたらと咳ばらいばかりする、だるい、眠い、すぐにげえげえと吐きそう、------もうじき死ぬのかなと密かに心細く思っていたのだけれど、昨日の朝ごはんのときから、突然、元通りの私に戻ったのだ。
(武田百合子『日々雑記』)


これによると、今日の私はカレーを食べる日ではなさそうだったので、無花果1パックと、鶏ささみを買っておとなしく帰った。