2013年10月15日火曜日

忘れてもいい

喫茶店で偶然人に会った。会うかもしれないと思ってはいたけれど、会うとは思っていなかった。私は街中で知り合いに偶然会うことがほとんどない人生を送っているので、びっくりしたことは確かで、正確に言うなら、びっくりしたよりも、私の生まれた星にかけられた呪縛が破られたうれしさのほうが大きい。向かいの席に座らせてもらって本を読んでいた。つい、ときどき本を後ろから読むという話をしてしまって、怪訝な顔をされた。

調子が悪くて出かけるのに難儀したけれど、どうしても郵便を出さなければいけなかったので、行こう、と決めてから四時間くらいかかって、新宿まで行った。大伯父のかわりに書いた原稿を、しめきりに間に合うように送らなければいけなかったのだ。コピーを取るのを忘れたので、一度封を開け、コンビニに寄ってから郵便局に行き直した。たとえ定められたお別れのときが明日来ても後悔しないように行動しよう、とときどき考えるけれど、それは自分のことしか考えていないってことなのだろうか。いや、でもいつだって「今」「このとき」だけを生きていていいはずがない。

そういえば部長に電話で「まだ人生長いんだから。定年までは35年あるだろ」と言われて、茫然とした。これまでの人生より長く生きる、という可能性に、思いを馳せたのは久しぶりだった。あまり先取りして憂うのも人生に失礼だと知ってはいるけれど、でも、自分には(当然ながら)これまで生きてきた道のりが重く見えるのが普通だ。そこから脱却、したい。

「忘れてもいい」と人に言うときは、私が覚えていてあげるから、という気持ちが奥にある。時間軸を引き延ばすとそれは、先にしんでも大丈夫だよ、という意味で、あなたがいなくなっても私が覚えているよ、というのは、いくつかある愛のバリエーションなのだと思う。ただし、かなり深い方の。

「透明感がある」という言葉は、素直そうな女の子に使うのがよい。かたや 「つやっぽい」というのは、ひとくせありそうな女に使うのが望ましい。素直と正直は何が違うのか、わかっていてもわかりたくない。そんなことを考えていたら、わかっているのにわからないふりをするのが一番つらいからね、とMN嬢に釘を刺されたことを思い出した。

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