2013年10月25日金曜日

漂流

日に日に、気力がそがれていく。ねむったところですぐさめる。実際は寝ていないので、そのまま起きていると体が疲れていくのがわかる。思いついてオムレツをたべた。鶏卵をたべたのは、いつ以来か思い出せない。よく考えると、卵を割って中身をまぜて焼いてたべたことが気持ち悪く思われたが、そう思ったのはたべ終わってからだったのでよかった。

昨日は二人で黄金町の映画館に行って、街の裏道をめぐったあと、同じ歌を鼻歌でうたいながら、中華料理屋で乾杯するという夜を過ごした。透明感のある女の子について考えたり、理想のプロポーズの話をしたり、すばらしいコンテンポラリーダンスの話をしたりした。そのあと駅までまた歩きながら、よく飲んでたべる人が好き、とか、色の白い人が好き、とか、太っていない人が好き、とか、男の人って何かをたべている最中に休んでまたたべ始めたりしない?とか、陰気に酔っぱらう人はきらい、とか、明るい酔っぱらいも人による、とかいう話をした。横断歩道を待ちながら彼女は「大人になるといちいち物事に感じ入ってしまって参るわ」と言った。別れ際に私が手をとったら「つめたい」と驚いていた。私は自分が男なら、手があたたかい女よりもつめたい女に触られたいから、これでいい。

何年たっても、どうにも、自分で当時の自分を肯定できない、わりきれない気持ちがわき上がる場所がある。顔なんてずいぶんおぼろげになった気がするけれど、あのときの気分だけがいつまでもべっとり張り付いて残っている。今の自分の背後にあの頃の自分たちが連なり、過去から伸びている時間をはっきり視覚化されて、不安になる場所。

私の場合、土地の感覚は外国語と同じで、恋人や親友がいるから必要に迫られて身につくことも多い。私が池袋の道をいつまでたっても覚えられなかったのは、池袋を拠点にして人と付き合ったことがないからだと思う。自由が丘や渋谷、恵比寿は、通りの名前など気にしたこともないほど青春の肌にしみついているし、新宿なら西へ東へ、地下道と方南通り、甲州街道を使ってどこへでもゆける。下北沢や横浜界隈だって、いい加減いくらか覚えていい頃だ。長く生きるほどに好きな人がほんの少しずつ増える、ということは、はなればなれになる人も増えるということで、いつしかその人のぬくもりを忘れて、ビルや川や電車を眺めていた自分のことばかり忘れられずに押しつぶされる、ような気がするな、と思う。本当に押しつぶされるなんていうことは、あるわけないんだけど。

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