2013年11月7日木曜日

追悼ノスタルジア

初台まで行くにあたり、新宿西口を出て、高層ビル群の横を歩いて歩いて山手通りを越えて、清水橋から中野区のほうを回った。そこはかつて通いつめた道で、通うのをやめてからは一度も歩いたことがなくて、でも今日はここを歩く、と決めて家を出たのだ。坂の下にあった大きなマクドナルドが建て替わっていたり、スーパーが「まいばすけっと」に乗っ取られていたりしたけれど、クリーニング屋やスナックの看板、中華料理屋の入り口とかその並びの郵便局なんかは全然変わっていなかった。 前を通って、久しぶりなのに私はその光景にもう飽きた、と感じて、そのことに安心した。

細い道に折れて入る。ここは、遊園地再生事業団が9月に上演した『夏の終わりの妹』の舞台だった「汝滑町」とされるあたりだ。中野区と新宿区の間の、渋谷区。後ろから走り抜けてくる自転車にひやひやしながら、あのときこの道を歩いてた自分がいったい誰だったのか今は全然わからなくなっている。でも、その頃より今はずっと、なりたかった自分に近いところにいる気がしていて、このままもっと続けていって、いつかなりたかった自分になれるんだとしたらあと何年ぐらいかかるのかな、と考えながら、そのためなら何をしてもいい、と思った。

私は結局、本当にはひとりのことしか考えられないと思っているけれど、端から見たらそうじゃないのかもしれないし、そんなことには何の意味もないのは分かっている。でも、意味のためにやっているわけじゃないし、あなただってそれはそうだろう。私の自己中心的な部分が相手の気に障ったり、愛が薄いとなじられたことも、そこそこ長い人生の間にはあったように思うけど、そういうときは、お互いが望むようにお互いを愛せなかっただけなんだと思う。基本的に、自分が誰かを好きなことは少しはわかるけれど、人が自分を好きになることがあるのはあんまりわからない。自分だけが執着しないように気をつけていても、そう思ったときには逃れられないところまで来ているものだし、わざわざ気をつけなければいけないほど溺れるたちであるほうが豊かだとさえ思っている。くるしい、と嗚咽していても、この気持ちを知らずに死ななくてよかったと思うし、このまま居なくなりたい、と漠然と思いながら、でも生きてないとこれから先何にも無くなっちゃうからな、と考えている。

0 件のコメント:

コメントを投稿