2014年1月24日金曜日

慣習と振舞い

モノレールに乗った。無人運転の車両のライトが平たい線路を照らしていて、今日のことは忘れない、と思った。

年齢と経験の話をしていた。仕事に関しては、馬車馬のように働いた時期がだいぶ長いので、たとえば芸術を生業としていたり、会社づとめをしたことのない自分より若い人に「会社員なんて」「芸術のことなんかわからないでしょ」「私たちとは違うでしょ」みたいな物言いをされても、別に全然平気である。権謀術数うずまく資本主義の中で働いてきたことは無意味じゃないのだ。余談だが、2010年に、ままごと『スイングバイ』を観たあと、あるアナーキーな人と話していて「会社員」という存在を全否定され、そのときは大きく傷ついたものだけれど、自分の中に積み上げた時間や経験は、どんな形のものでも自分を支えると思えるくらいには年を取った。今思えば『スイングバイ』は、私が、いわば能動的に「社畜の観点」で演劇を語れるという武器に気づいたターニングポイントだった。

愛情に基づくセックスをきちんと、何度も、おこなうことが大切なのだ。どんなに心がつながったと思っていても、身体が離れていればもう他人である。それが基本的に私の、他者との境界線の考え方で、肌をあわせているときでもその境界は融解しているのではなく、ただ浮き彫りになっているだけだと思う。でも、このことは、私の舞台芸術に相対する姿勢、つまり今目の前にいる人を大切に観るということと、パフォーマーと観客たる私の定義の仕方に少なからず通じている。それに、他者を心から信頼して身体をあずけたことのあるかどうかは、文章にも振舞いにも(ツイートひとつにだって)表れるものだ。

暇だったのでオムライスを作った。一般に、男性の心をつかむ料理は和食と言われているが、それより何よりオムライスではないかと思う。単に自分が好きだということかもしれない。特に人のために作ったことはないし、そもそも誰かのために料理がうまくなりたいというよりは、自分で自分を許せるかどうかというレベルの線引きのために上達したいので、これはつまり文章と同じたぐいの欲望である。

0 件のコメント:

コメントを投稿