2014年2月28日金曜日

真夜中の空白

「ああ、そういうことよくありますよ」と女は言った。「一番多いのが、夜中知らない間に何かたべちゃうことですね」と言うので、それはしてないと思います、と答えた。薬が一種類増えた。これだけ医療費を使っているのは今に始まったことではないが、仕事で身体を壊しているのに、仕事で稼いだお金で病院に行くのを悲しく思うことは今もよくある。初めは顔を見るのも嫌だった女のことも、こうなると唯一の味方に思えるものだ。

何日かおきに、料理を失敗してしまう。見た目も気に入らない。今日は塩を入れるのを忘れた。決してたべられないような代物を作っているわけではなく、どちらかと言えば料理は得意なはずなのだが、何となく弛緩しているのだろうと思う。何かが足りない、空洞のような味がする。まあ、今日の場合は塩が足りないので当たり前なのだが、そういうものに限ってたくさん作ってしまって、どうにもならない。おいしい、と言ってくれる人がどれだけありがたくて愛おしいものかよくわかるが、たべてくれる人がいたとしても皆がそう言ってくれるわけではないのだし、ほとんど言ってもらえることなど無いと思って暮らしたほうが身のためである。何だってそうだ。

今日は会いたかった人の誰にも会えず、電話もできずに終わった。来週は会えるといい。


コーマエンジェル

とにかく寂しくて、気力がまったく湧いてこないので出かけることができない。他のものは何一つ書けず、この日記ばかり更新している。

という二つの文章を書いたところで、昨夜は睡眠導入剤を飲んだ。そのあとブログとSNSの更新はやめたのだが、浴槽で温まりなおしたのがよくなくて、ちょっとした酩酊状態になってしまったらしく、朝起きて携帯電話を見て少し青ざめた。朝といっても、薬が切れる明け方、まだ暗いころに目が覚めてしまうので、虚しさと後悔はいっそう募る。心の中で謝り倒して、もうしばらく合わせる顔がない、と思ったが、相手にしてみたらそれほどのことではないかもしれないし、ただ深酒をしない私は、酩酊状態に免疫がないので、いつも新鮮に落ち込んだり悲しくなったりしてしまう。

夢では、お花と靴下と紙袋となぜか脱いだ靴を手にもって、坂を上ろうとしていた。荷物を運ぶのは、これから先の人生で背負い続けるものの暗示なので、これから愛と生活とその他いっぱいの雑多な物を一生抱えて、靴を履くことも自ら拒否して、はだしで歩いていかなくてはならない、ということなのだろうか。

そういえばある知人は、身体に合わない睡眠薬を飲んでいたころ、手当たり次第に人に電話をしてしまって翌朝焦る、ということがあったと言っていた。ちなみに今「ちじん」と変換しようとしたら「痴人」のほうが先に出てしまって、ちょうど昨日、春琴抄のことを考えていたこともあるし『痴人の愛』をちゃんと読み直したいなと思った。ああいう、年下の女に溺れる男の心情は、この上なく苛立つものだがこの上なく無視できなくて、それが今に至るまで、そしてこれから先もずっと私を蝕むのだとしたらいったいどうやって生きていったらいいのだろうとさえ思う。 そんなことは憂鬱のごく一部なのだが、相変わらず賞味期限だけを気にして家の中の穀物製品をたべていくのは寂しい。

2014年2月27日木曜日

白い椿

MN嬢から「今月の『花椿』に載ってる藤野可織さんがきみに似てるから読んでみて」というメールをもらった。iPhoneの向こう側でにやけているMN嬢が見えるような文面だったので、アプリをダウンロードして読んだ。藤野さんの恋愛観が素敵、とMN嬢は言っていた。うれしいと思って何となく携帯電話のカメラを自分に向け、何枚か撮ってみた。

いくつかの選択肢の中から、ライ麦パンを選んで食べた(主な選考基準は賞味期限)。ライ麦パンはみっしりと固く、誇張ではなく渾身の力で引きちぎった。二日前に作ったシチューを延々とひとりでたべていて、もうそろそろいらないのだが、まだ一皿ぶんくらいはある。

2014年2月26日水曜日

今夜も眠れない

横になって身体を触ると、腰骨の浮き方がいつもと違ったので少し驚いた。こんなに骨ばっていただろうか。毛布をめくり、ひざをふと見ると、こちらも骨のかたちがいつもと違うように見えて、やせたのか年を取ったのか、どっちかよくわからないな、と思った。顔の表情だけでなく、身体つきまで変わっていくなどということがまだあるのだろうか。いずれゆるやかに色味と水分を失ってゆくことはわかっているが、こんなにも日ごとに。 裸足の足をつかんでみると思いのほかサイズが小さくて、え、こんなだったっけな、と考えながら眠ろうとしてみた。眠れなかったので、起きて浴槽を掃除した。間違えてシャワーをひねり、水を浴びてしまった。

あまり食事をとる気になれず、もちろんケーキや和菓子も食べる気がしないので、焼き菓子を少しずつ食べている。いっぺんにガレットを一つ食べると後で気分が悪くなるので、半分食べて取っておいて、また食べる。そうしていると半日くらいもつ。紅茶はその間に四カップくらい飲む。結局だましだまし食事も取る。自分が積極的に興味を持つ食べ物屋がパン屋しかないということは、30年生きてみて薄々気づいている。
 
「君が甘えているの?それとも相手に甘えさせているの?」と聞かれ、わからない、と素直に言った。「では質問を変える。相手がベッドから起きたら、自分も起きなければと思う?」と聞かれて、そうだ、と答えたところ「それは君が甘えさせているということだ」という種明かしのような回答をもらった。目の覚める思いがしたが、私は人の言うことを聞けないので目は覚めなかった。甘やかすのも甘えるのも、高等な技術が必要なことを私は知っている。本当はわざわざ起きたりしないで、ただそばで眠る生活がしたい。そして私が隣にいるときは、どうか安心して眠ってほしい。

2014年2月24日月曜日

涙の海

このごろまったく涙が出ない。演劇を観ても、スポーツを観ても、誰かの行動に涙することがない。人が「泣いてしまった」と言うのを聞いたりして「えっ」と思うし「いいなあ、心が豊かで」と思ったりする。などと言いながら、ある夜にぼろぼろに泣いてしまったことを思い出したが、あれは誰かのためなどではなかった。何かが悲しくて泣くことは、しばらくないと思う。そういう涙は冬が来る前に流しつくした。今、私が泣くのは何かを恐れたり不安だったりするときで、そう思うと、涙の理由はより原初的な幼い状態に戻っているのかもしれない。

ただし、好きな小説家が書いた物語の一節に「私、オトヒコさんが好きなんです。好きです、と言ったとたんにわっと泣き出してしまうくらい、本当に好きなんです。」というのが(うろ覚えだけども)あって、それはよくわかるなあ、と今も思う。

子どもの夢を見た。子どもというよりは赤子というような大きさだったが、私の子どもではなかった。従姉の子として現れたような気がするが、それは今いる三人の甥っ子のうち、どの子でもなかった。私の母がその子どもを抱いていて、私はそれを見ていた。子どもの目からふわっと涙が湧いた。湧いたのであって、溢れる、という感じではなかった。まるい涙の粒が、子どもの目頭に溜まったのだ。私は、あ、と思ってティシューを取り、彼の目をぬぐった。涙がしみてティシューが濡れた。そして、私に涙をぬぐってもらった子どもは「ありがとう」と確かに言った。それを聞いた私は、なぜか分からないけど嬉しくて、その子がいとしくなって、嗚咽した。夢の中では、いつも泣いたり叫んだりすることがうまくできない。このときもそうで、声を詰まらせ息も絶え絶えに泣きながら、私は子どもの指に自分の指を絡めてにぎり、抱き寄せようとした。そのとき初めて、彼は私の子どもかもしれない?、と感じた。目が覚めたとき、外はまだ暗く、そこから寝つけなくなってしまってとにかく参った。

2014年2月23日日曜日

キス・アンド・クライ

静かなリビングで、何を話せばいいのかわからないまま黙っている。甘える、甘えさせるという関係は難しく、簡単にはどちらかを見分けることはできない。

最近は、服をほしいとほとんど思わないかわり、新しいアクセサリーがほしい。ネックレスやピアスよりは指輪かな、と思うが、いざ自分の両手を眺めるとそういう気分でもない気がする。ただ綺麗な石を自分のものにしたいという気持ちだけがある。

「君は僕のこと知っているつもりかもしれないけど、僕だって君のことを君が思うより分かっているよ」と言われることが、生きているうちの夢のひとつだ。そうしたら素直に、「ありがとう、うれしい」と言って笑っていたいと、思っているのだけど。

2014年2月22日土曜日

朝より夜が

ここのところ元気だったのに、急に力をなくしてしまって、今日は午後まで塞ぎ込んでいた。足もとの湯たんぽはすっかりぬるくなって不快だった。電話に二本出て、事務だけこなした。起き上がってお風呂をわかし、崩れるようにして浸かった。知らない街に行きたいな、と思った。遠いところじゃなくてもいい。海岸沿いの長いアスファルトの道路とか、ローカルな踏切とか、山の上の墓地とかそういう風景を見たい、と思いながら、こわばった肩甲骨を触った。

ずるい女というのは賢かったりしたたかな面を持ち合わせているものだが、ずるい男というのは得てして弱い男という意味である。それを可愛く思ったこともあるけれど、今はその弱さにかまけているほど暇ではない。

根に持つタイプなので、すぐに忘れる男を許せない。彼らはその忘却力でもってこの世を泳いでいるのだろうし、理解はしてあげたい。私が彼らの分まで記憶して長生きすると決めたのだからそれくらいはと思うのだが、どうにも苛立つほどに、愛の深さを自覚してしまって茫洋とした気持ちになる。

2014年2月20日木曜日

今だけは眠れそう

ふと鏡を見て、最近はほとんどお化粧もしていないのだけど「あれ、私ってこんな顔だったかな」というくらい、やすらいで覚悟を決めたような表情をしていたので、それについて尋ねてみたところ「ああ、前はそんな顔じゃなかったよ」と事もなげに言われた。具体的には、目のかたちも口角のあがりかたも以前とはまったく違うように見えることがあって、それはとてもよいことのように思える。

敵対関係にあるふたつのある国(軍?)があって、一方の国の武将が友好のあかしに花狩りに敵国の武将を誘った。花狩りというのは、レンゲツツジやヤマザクラの咲くころに野にゆき、蜜蜂を放して受粉させることを言う。敵国の武将はその誘いを受け、停戦は成立して和平が進むかに思われた。しかし前日のうちに、敵国の武将は花狩りの場所に行って蜜蜂たちを集め、自国の土地に咲く花のところまで誘導して「これからはこちらの場所で蜜を吸うように」と言い聞かせ、隣国から蜜蜂を盗んだ。これでは隣国の蜜蜂はいなくなり、実がならずに国は衰退する。敵国の武将はやはり敵のままだった。翌朝の花狩りの時間は迫る、というところで夢は終わった。

どうやら少し、追いつめられたり後ろめたさを感じているようだ。次は、家のお風呂の水があふれ、家中が首までプールのようになってしまい、洗濯物がゆらゆらただよって揺れる中を脱出する夢だった。地下駐車場を抜けてどこかへ逃げようとしたとき、職場の元上司Nと、可愛い後輩TとNが近づいてくる声が聞こえた。見つかってはまずい、と反射的に思い反対側へ逃げ、さらなる地下へ続くコンクリートの階段を降りようとしたところ、その階段の段差がひどく大きくて、足がつかずに宙づりになってしまった。困っていたら可愛い後輩Tが上から「大丈夫ですか?」と言って覗き込んでいるのが見えた。「あの、申し訳ないんだけど、手を貸してほしいの、お願い」と、私は小さな声で言って、Tの細い腕をつかみ、上まで引っぱり上げてもらった。そのあとはよくわからない安い居酒屋に一緒に行ったが、私は何もしゃべれずに押し黙っているばかりだった。

目が覚めてからもしばらく、まぶたのみを開閉して、毛布のあたたかさと曇った夕方の光を感じたまま横になっていた。黙ってこの日記を書いているので、部屋の中にはノートパソコンのキーボードを叩く音だけが響いている。

2014年2月18日火曜日

人でなしの魔女

珍しく怒りを感じて持て余した。後で考えてみて、怒りを感じることは「それ」でしかありえない、という結論に自分で達した。あえて説明するなら、私は、誰かが自分のやりたいこと、やっていることを何通りかのやり方で言語化できない幼さを(それを私は今のところ「幼さ」と言いきる)許すことができないのだ。変な話だが、自分の逆鱗ってこれかしら、だとしたらそれがもし爆発したときの凄まじい冷徹さを、今の私は抑えられないわ、困ったわ、と思ってしまった。何度も同じところを回っているのだが、今はそれで良いことにする。

作家は自分がいちばんもてた時期に作っていた作風や芸風から抜け出せないとだめ、という話をした。きついこと言うねえ、と苦笑されたけれど、本気で思っている。愛された経験は自信になるが、そこからいかに進み続けるかがその人の真価なのだ。なので、一度ももてたことがない人はまずそこから出直してこい、と思うし、別にもてなくていい、などと言う人に興味はない。もてるって何、という話から始めてもいいが、この「もてる」経験は、「死んでもいい、と思うくらい誰かと愛を交わしたことがある」という経験と置き換えても構わない。

「自分の話を聞いてくれる人は大事にすべきよ」と、ある友人に言ったのだが、私がそういう人を大切にしたいのか、そういう誰かに大切にされたいのかは分からない。ただ聞いてくれるだけじゃだめで、ちゃんとわかってくれないといやなのが人間のわがままなところだが、意外な指摘を受けても嬉しく感じることはあるし、それはいったい何の違いなんだろう、と思う。でも結局は、ちゃんとわかった上で新たな視点を提供してくれる人が大事という意味で、そうなると作家が批評を渇望する理由も痛いほどわかるし、だからこそ保つべき一線は胸に刻まなければならない。

2014年2月16日日曜日

子どものまま

起きているか眠っているか、というより、生きているか死んでいるか、というくらい、命をかけて寝てしまう。よく見てしまう心細い夢があって、それは本当に寂しくてきついので出来ればもう見たくない。

私がこのごろ料理について書いていることが、他の事にも当てはまるということに気づいた人はどれくらいいるだろうか。想像力と段取り、勘と経験、喜ばせてあげたいという気持ち。欲望はすべて地底湖のようにつながっている。ちなみに料理をする男には縁がないし興味もない。これから一生そうだと思うが構わない。食べることが好きであれば十分だ。

従姉の息子であるところの二歳児に先日会ったのだが、声の大きい、元気なうつくしい子どもだった。母は、私の妹もこんなふうにやかましかった、と懐古していた。私は?と聞いたところ彼女は、うるさくはなかったけど言うことを聞かない子だった、と残念そうに言った。

2014年2月14日金曜日

深さの底

とにかく、言わないよりは言う、書かないよりは書く、という時期なのだ。口からこぼれたそばから、うまく伝わるように出力できなかったことに後悔するとしても、相対する人のことをいつか嫌いになってしまうかも、その逆に、いつか嫌われてしまうかもという、おそれを持っているとしても。

薄々思っていたのだけど、今、私は生来の男好きの程度がはなはだしくなっていて、それはこの頃観ている演劇のためもあり、互いに増幅していく感じが非常にあって、時に持て余して踞るほどの衝動になってしまう。男好きというのはもちろん、手当たり次第というのではなく愛情の深さという意味で、いとおしい、と思う気持ちがなぜだかたくさん自覚されるのだ。女の子がやっぱり好きだな、と思うこともあるけれど、愛しがいがこの上なくあるのも絶望的にないのも私にとってはやはり男だ。ああ、通じ合えない、憎らしくさえある、でもこっちを見てほしい、忘れられなくしてあげたい、書き残したい。そう思うたび、もうこれは一生、好きでしょうがないんだ、何て業が深いんだ、と思っていろんなことを諦める。

隣の席の会話に耳を傾けながら、いつか自分が踏み出してしまうかもしれない一歩のことを思って、そのときの自分がいかに周りから残酷に見えるだろうかと考えていた。昨夜見たのは、三年後の夢だった。私は、これだけ男の人が好きなのに彼らと手をつないだままでは出来ないことについて、これまでもこれからも考えていくのだと思っていた。でも本当は、つないだ手の離し方を考えて行動し続けなければ、次には行かれないのだと気づいている。

2014年2月13日木曜日

午睡の残骸

午睡していたらしかった。時計を見て、レコードの針が飛ぶように、一時間と少しの時間が私の一日から抜け落ちたのを感じた。死んだように寝ていたというよりは確かに死んでいたかもしれなくて、でもどちらかというとこんなふうに死んだみたいに眠るのは(きちんとした良い)セックスの後がいいのではないかな、ひとりでこうやって起きるのはいやだな、と思いながらしょうがなく起き上がった。私は怠け者なうえに身体が鈍いので、起きてからふとんの中で人並み以上にだらだらしないと、活動を再開する気になれない。ひどい話だ。鏡で見た寝起きの顔は、誰だか分からないほど青白かった。

食事は毎日作る。味見は気分によって、したりしなかったりする。まったくしないわけにもいかないので、最後にちょっと舐めてみて調節する程度で妥協する。これが食べたい、とリクエストされたものを作ってあげるのが本当に好きで、もしかしたら一番自分の母性を感じるのは料理欲においてかもしれない。

劇場で、いつも見ていたあの人が、私のことを覚えていてくれて本当に嬉しかった。久しぶりに会った人がちゃんと名前を呼んでくれると、とても嬉しくてびっくりしてしまう。私など覚えてもらう価値もない、と思っているのだと思う。でも、私なんかが思う以上に世界は愛と信頼の交歓に満ちているのだと今は信じられる。あの日、一度会っただけの私を覚えていてくれたあなたに感謝します。あなたのことが私は大好き。

もうすぐバレンタインだから、こういう日記もたまにはいいと思う。

2014年2月12日水曜日

ベーシック・ライト・メンソール

朝から寒くて、灰色の空からは雪の結晶が舞った。私のダウンコートは、フードを取り外してしまっていたので少し寒かった。男の人たちは、どうしてあんな薄い服で外を歩けるのだろうと思う。私は、冬場は必ずウールのセーターを着ているけれど、男でセーターを着る人は意外と少なくて、綿とかのシャツの上にジャンパーみたいなものをさっと羽織っているだけだったりする。私は寒がりなので、彼らのような服装ではとても外には居られない。そのわりには私は重ね着が下手で、セーター1枚で震えていたりする。

唐突な話だが、今、少しは元気である。スターマリオとまでは行かないけど、フラワーマリオ程度のパワーはあるように思う。二回までは敵に激突しても大丈夫。

劇場の喫煙所でS氏を待ち伏せた。最近の話や今日一日の話をしたあと、「君の悩みは、酒で解決しない感じがあってどうしようもないね」と言われたので、本当にそう、と思った。「いつも自分から面倒に飛び込むね」とS氏が言うので、だって面倒な人が好きなんだもの、と答えた。彼の言うとおり、酒では解決しないので、今日のところはS氏と飲むのはやめて帰った。

2014年2月11日火曜日

緑の光

ねむっている人の気配はすぐわかる。部屋の奥がぼうっと明るくて、その緑の光は息を吸うたびに濃くなり、吐くときには弱くなる。そういう静かな部屋で、先に起きているのが好きなのだ。

薬を飲んでねむると全く夢を見ない。気絶したように寝入ってしまい、生き返るように目を覚ます。夢を育てるにも日の光が必要で、この暗い部屋ではそれが叶わない。でも、めったに眠くならないので、眠い、と思っているときがこのごろうれしい。まだ眠くなれる身体を持っていることがよかったと思える。

お菓子を作るための粉と砂糖は買ってあって、あとはそれを混ぜて焼く時間を捻出するだけだ。あげたいと思う人々にしかあげない、という方針をつらぬいているので、私にとってバレンタインはいつでも楽しいし、まわりの人にもそうであってほしい。

 

2014年2月9日日曜日

ひとりあやとりの果て

お呼ばれして、そこのおうちの次女(7)と、あやとりをして遊んだ。私が、ふたりあやとりの「鼓」を作ってあげると、彼女はその展開を見たことがなかったらしく、目をキラキラさせて「もっとやろう」と言ったので、私も本気で記憶を辿り、ひとりあやとりの技をいろいろ教えあった。彼女の母親もあやとりは出来るようだったけれど、初めて会った(正確には5年ぶり)私の方が真剣に遊んでくれると思ったらしく、盛り上がった。長女(10)はその間静かにしていて、あとで夏休みの自由研究を見せてくれたりした。それからそっと「ピアノは弾ける?」と聞かれたので、弾けるよ、と答えた。すると、この曲を弾いてみてほしい、と頼まれたので、楽譜を見て演奏した。彼女は、この曲をいつか弾けるようになりたいと思っているとのことで、とても喜んでくれた。男友達はみんなゴルフの話をしていて、母親たちは育児という共通項でつながっているようだったけれど、その間、私が遊び相手として役に立ってよかった。

果たして自分は子どもを持つことがあるだろうか、と、たびたび考える。とにかく、長生きはしなければならない。

ここ数年、ほとんど熱を出すことがない。しかし頭や首や身体が痛むことはしょっちゅうあって、いっそすっきり発熱して治るほうがいいように思うが、どうもそういう体質ではないらしい。

家出少年

包丁で小さく抉ってしまったような傷が指にあって、いつやってしまったのかは覚えがあるのだが、問題なのはそれが右手の指であるということで、私は右利きだから包丁は右手で持つはずなのに、どうしてこんなけがをしたのだろう、と思っている。


ふと覗きこんだときに、家出少年のような面影を見せる人は本当にいいなあ、と思う。私の夢は、家出少年を一晩家に泊めること。明け方寂しそうにすり寄ってきた彼の前髪かきあげ唇寄せて、いつか大人になったら君は私に出会うわよ、と、眠そうな彼に教えてあげたい。

2014年2月6日木曜日

生活に花

家事の中では洗濯がいちばん好きだ。ただし洗って干すところまでで、取り込むのは嫌い。更にそのあとのアイロン掛けは、いちばん嫌いな家事である。可能な限り後回しにして、夜中になるのでもっと嫌いになってしまう。ただし、乾いたタオルをたたむのは好きだ。ふわふわがいいと思っていたころもあったが、今は乾いてばりばりになっているのが頼もしくてよい。

皿洗いも好きだが、拭いて食器棚にしまうのはそう言えばたいして好きでない。先ほどの洗濯の話とあわせて、これがもし片付けが嫌い、ということなのだとしたらあまり人に言わないほうがいい気がしてきた。

鉢植えの、白いラナンキュラスを育てていて「麗しの新妻」という名前をつけて可愛がっている。私はラナンキュラスが大好きで、幾重にもなった花びらが丸く集まっていて「あたくしこそがお花よ」と言う感じで座っているのがいかにも可愛い。植物は好きだが、中でも綺麗な花が咲くのが何より好ましい。野菜、果物などの生活の役に立つものより、庭に植えるなら色のきれいなものがいい。早春には水仙、梅、桃。春には藤と牡丹、芍薬。夏は紅蜀葵に限る。秋ならコスモス、桔梗、それに萩のしげみ。冬には赤く実る桐。

2014年2月4日火曜日

長期目標と中期プラン

私がわかってないとでも思っていたのかしら、何なの、ばかなの?と思うことはごくたまにあって、でも、私は自分に対する信頼が厚いところと全然頼りにしていないところが両方同じくらいあるので、そうした直感も素直に信じているわけではなく、世の中で一番浅はかなのは自分だと思っているのも本当だ。母などは「男の人なんて皆そうよ」と、私が大人になってからやたらと言うが、それは相手を甘く見ることを知った幸福な女の口ぶりであるとしみじみ思う。

思慮深く行動した結果、つまらない見落としをするのはやめたい。短期的には勝算がある。長期的に見てもおそらくプラスだ。でも、その中間の振れ幅で大負けする可能性がある。それはともかく(……ともかく、などと横に置いてしまうからこんな人生になるのだろう)「奪還」と「拮抗」が、これからの人生のテーマだ。

ペットショップにかわいい子犬がいて、二日も続けて見に行ってしまったことがあった。あまり私が食い入るように見ているので、お店の人が抱っこもさせてくれた。その子犬を思い出して幸せな気持ちでいたら、夜になって急に「犬がいたら家をあけられないよ」と言われて、私がその子犬をほしがるのを先回りして釘を刺された、と思った。「うん」と一言だけ言って、私はねむった。子犬が飼えないことは分かっていた。ほしかったわけじゃなかったのに何であんなこと言われたんだろう。ベッドの中で子犬を思い出して、声を出さないで泣いた。もうお店に会いに行っても悲しいだけだな、ということが分かってしまったからだった。

2014年2月3日月曜日

クレバス

憂鬱が過ぎてこれ以上ものを書き進められない、というところに来てしまったので、さっきはただ床に転がっていた。書こうと思えば言葉が出てくる日なので、本当は書きたい。クレバスのどん底で裂け目を見上げながら、それでも誰か通るのをたぶん待っているのだ。

2014年2月2日日曜日

可惜夜

中央線に乗って、演劇を観に行った。帰りたい、帰りたい、と思った。郷愁というのかなこれは、と思ったが別に故郷ではないし、郷愁というのも変かな、などといろいろ考えた。さらに西に向かうころには日が正に暮れようとしていて、ますます帰りたい、と思ったが、どこに帰りたいのかはわからなかった。そのとき会いたい人もいたし、行きたい場所もあった。でも、帰りたい場所が私にはない。

冷たい男はいやだ。冷徹ということではなく、気の利かないという意味だ。人の動向に気を配らないから、人がどうして傷ついて、どうして寂しがっているのか考えてもみない人間を私は好きになれない。

自覚できないほど体調が悪いらしく、酒を飲むとひどく酔うので、しばらくの間コップ半分以上を自らに禁じている。まったく禁じているわけではないところが、私の弱さだ。酒を飲みたいわけじゃない。誰かと一緒にいたいのだ。その弱さが祟って、二日に一度は夜に泣く。