2014年3月22日土曜日

紙吹雪小奏鳴曲

ついには朝8時まで熟睡する夢を見て、ほっとしたのもつかの間、実際の時計は2:48で、およそ一、二時間おきに目を覚ますリズムになっているので、結局は四回ほど起きてしまったところでどうにもならなくなってベッドから出る。しかたないので、今は洗濯機を回している。お料理は、作りすぎて今は余っているので新たに調理するのはためらわれるし、風邪を引いたので食欲がない。こんなときは窓の外を見てはしゃぎたい。空の色がくもっていたって何だってかまわない。朝の光やだんだん傾いて行く午後の日差し、少しずつ部屋が青暗くなって、でも蛍光灯をつけるのは寂しくて迷っているような時間を、ぼうっと眺めていられることの幸せが、今ならよくわかる。

元気だった?と聞かれて、どう見えますか?と聞き返したところ、笑顔がますます内向的だね、どこかに閉じ込められているの?と彼は言った。

雪がやんで、音が大きくなるのがあの芝居の素晴らしいところだ、と何日も経って考える。ロシア文学に精通していなくてもドストエフスキーを読むことはできるし、それは肺のしくみを詳細に理解していなくても酸素を取り込める、ということに似てはいると思うが、取り込んだ酸素について書くときには、やはり肺の組織について書かなければならないだろうか。本当に?

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