2014年3月24日月曜日

未熟者には毒

思っているより深刻なのかもしれないし、思っているほど心配することではないのかもしれないが、明らかに、想定した時間よりもねむった時間が少なくて、時計を見てももう驚きもしない。この一週間、どんどん状態が悪化していく。願望と欲望の混濁した夢を見て、疲れ果てて起きてもまだ20分しか経っておらず、昼間でも夜でもそれは変わらない。横になっていられないので、深夜2時過ぎに家の中をうろつき、どうしようもないので少しだけまたベッドに戻っては、春の朝の暗いうちから気休めに家事をするはめになる。家の中は電波圏外なので、人に電話しないですむのがせめてもの救いだが、それは巻き込まれるかもしれない他人にとっての救いであって、私にとっては牢獄のようなものだ。朝、まだ暗いことはわかるが、外が見えないので明るくなっていく様子がわからない。

私には出すぎた言葉だった。言いすぎた。それでも口にした言葉は戻らない。表してしまったものは永遠にそれを表し続ける。座っているだけで、身体が傾いでいるような後悔である。 「書くことは誰かをつぶすことと心得よ。活字を書くということはそれ以外のものを切り捨てるという意味だ」というのはOY氏の教えである。これまで、OY氏に会うよりもずっと前からその意味は知っているつもりでいた。何度か身につまされもした。でも、言葉は産むものだから、産んだそばからその痛みを忘れてしまう。忘れるからまた産める。誰かの思いを傷つけたいわけではなかったのに、とこういうときは強く思うけれど、私にだって傷つけられたくない思いがあるのだ、ということにはさっき気付いた。でもその表し方がまだ私にはうまくできない。どうしてもできない。いつだって、傷つけることが目的ではないがただでは返したくないし、手を尽くして逃げようとすれば、それはすなわち敗北だ。

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