2014年4月30日水曜日

ハーブティーの記憶

元気になると何が変わりますか、と、病院に付いてきた男は訊ねた。顔つきですね、と即座に女が答えると、男は、はあ、と言って黙ったが、そういう曖昧な判断基準に戸惑っているのは明らかだった。あとは疲れて寝込まなくなったり、朝から家の外に出られたりします。女は言葉を続けたが、男は特に何もコメントしなかった。だってあなた、私の顔つきなんてわかりもしなかったくせに。私はすでに顔が変わっていて、もうあなたの知っていた私じゃないよ。私は目を伏せて悲しがろうと思ったけれど、もはやとっくに回路が切れてしまって、悲しくもないのが虚しかった。

夜中にハーブティーを飲んだらしい。らしい、というのは覚えがないのにつぶやきがSNS上に残されていたからで、翌日何気なく履歴をチェックしていてそれに気づいた。記憶のない事に頭を抱えるも、特に害はないのでどうしようもない。入眠直前の朦朧状態には気をつけているけれど、起き抜けの無防備さにはまだ対処出来ていない。

2014年4月29日火曜日

後から思えば

これしたら怒られるだろうな、という予測意識が強い。どれぐらい強いかというと、自分の自由な発想と意思を妨げるほど強い。今日いちばん心震えたのは「そんなに怒ってないよ」という一言で、そうか怒ってないのか、と思って涙が出た。どうも他人の寛容さを信じられない質であり、でもそれは相手にも自分にもよくない事であるな、と思ったらますますみじめで泣けた。

30年目の抽出

生まれて初めてコーヒーを豆から挽いた、という私に対し、男は監視を怠った。蒸らしながら煎れるという概念がなかった私の作業(実際今こうして書いている間も「コーヒーを蒸らす」が何なのか分かっていない)が失敗に終わってしまってからそれを見つけ、100秒ほども文句を言ったので、私は心が折れた。自分で飲んでみなさい、まずいでしょ、と言われて飲んだが私にはコーヒーはどれも同じ味なので大して響かなかった。それを言ったら彼は、大胆なところと繊細にすべきところをわかってないという事だ、と今度は人生観にもまつわる大いなる問題提起をおこない、私をさらに逆撫でした。

肝心な時に繊細さを欠き、不要な冒険心を発揮してしまう事ぐらい自分がいちばん分かっているし、他の人は煎れたコーヒーに文句を言われたぐらいでこんなに打ちひしがれないし、こんな日記に書き付けたりもしない。自分の分の紅茶を飲みながら少し泣いたが、初めは悲しかったから泣いていたのが、だんだん、でもこうやって文句言われながら応戦するのはそれだけで建設的だな、と思って、もっと泣きそうになったので考えないようにした。

3秒後、男は少し不満そうにマグカップを口につけながらも、いつものようにへらっとしていた。もう腹も立たないが、私はと言えば3年先まで今日のこの事を忘れないし、そういう自分と付き合う覚悟も出来ている。ただし3年後は、今より上手にコーヒーを煎れているのは間違いない。

2014年4月28日月曜日

何ひとつ

その時、皮肉に似た言葉をいくつか軽く言えそうだったが、相手があまりに意気消沈しているのでやめた。供養を疎かにしているからこういう時に大ダメージをくらうはめになるのである。でも、思った言葉を口にするのはともかくやめた。今はその時でなかったからだった。眠れぬ夜、数えられるために走り出していく羊の身体を優しく撫でて、眠らせてあげたいと思うのも私なのである。

話し合った後、男はコーヒーカップをテーブルに置いてずっと黙っていた。どうしたの、と訊くと「何ひとつ変えるつもりがないんだという事がわかったからもういい」と言われた。彼の言うとおり、私は自分の何も変えないまま強情に生きているのだろうか。それとも、変わったから彼の基準に適応できなくなったのだろうか。筋を通そうとするからうまくいかないのか、筋を曲げたから軋みが生じているのか、という事と似た話で、わかりあう事はなさそうだ、という事だけがわかった。

2014年4月24日木曜日

逃避行

今君が死んだ夢を見た、とても悲しかった、と言われて、私のかわりに死んだ何かを、私はありがたいと思った。その日私が見た夢は、部屋を二匹の猫に占拠される夢で、他にも恐れる人やものが多く出てきたし、夏物の服の試着もうまくいかず、待ち合わせにも失敗した。起きてから部屋の隅に意味もなく座っていたら、小さな蜘蛛の巣を発見して恐ろしかった。

それが逃避である事は自覚しておきたまえ、と男は言った。「たまえ」などとは言わなかったが、言ってもおかしくないような場面だったので、今はそのように記す。だがしかし、逃避するだけあって、その対象を直視するのがなかなか難しい。でも、逃げた先で書く言葉がきちんと私の歴史を積み上げてくれるならそれもいい。

駆け落ちするなら海辺の街と相場は決まっていて、それは彼らの持つ事情より深く、荒々しいものが海以外にないからである。山の中は鬱屈しすぎており、門前町や城下町は人の気配が濃くて生きられない。

2014年4月22日火曜日

よろめき

覚悟を決めて、仕方がないので、今朝書いた日記をまた公開する。都合の悪いものを、表に出したくないと思っているわりに自分に甘い。ぬるい。だから台所で気持ち悪さに耐えながらえびの殻を剥いた。私はえびの形が虫に見えて怖いので、食べたいとも触りたいとも思わないが、この世にえび好きな男がいる限り、えびの殻は剥かれなければならないのだ。

昨夜薬酔いして送ったメールを読み返す事ができないが、まあ、これまでの失敗よりはましかな、と思って忘れる事にする。今は、一生懸命後悔しないようにしながら、昨日たくさんつくったドーナツをたべて気を紛らわしている。睡眠導入剤はどれも一長一短で困る。困る。

例えば、夫と子どものどちらをいちばんに愛したらいいだろうか、と考えていたら横になっているのもつらくなったので起きることにした。いちばん愛してもいない男の子どもを産みたいとは、どうしても思えない。でも、子どもは私にいちばんの愛を求めるだろうからそれを叶えてあげたい。こんな、まだ起きてもいない、不定数だらけのことを思い悩むなんて、心底疲弊している証拠だ。

次の読書会の課題は『痴人の愛』なのだが、苦しくてどうも読み進めることができない。私の好きな男たちが、ナオミみたいな若い女に誘惑されるところを思うと居ても立ってもいられない。これは嫉妬なのだろうか。誰に、何に対する嫉妬だろうかと考えると、自分が失った若さや可能性、奔放さへの忸怩たる思いが根底に渦巻いているのであった。女同士、憎みあうべきでないと人は言う。それはわかる。他の女にいちいち苛立ちを向けているほど暇ではないが、私は、女でのある私自身への苛立ちをときどき持て余す。多くの場合、それが女同士の敵対関係の正体で、それもわからずに闇雲に生きるよりは、苦しくてもこっちのほうがましだな、ふたつを混同してはならないな、と決意を改める。

2014年4月21日月曜日

ロードノイズ

走る時には音がする。家の中では声を出さない。怖いので薬はたくさん飲めない。昼間にねむるのは幸せだ。甘えたしぐさを見せてくれるのはうれしい。いい芝居を観たあとは大事なものを何か壊す。ただ声を出すのではなく、吸って吐く時に漏れだす声が美しいのだと彼女はいう。

2014年4月18日金曜日

長い指

日々を浮ついて過ごすだけなら、酔っていつも同じことをつぶやいて(変わりたいかどうかはさておき)変われないままで一生を終わるだろう、という気持ちになったので脅迫をおこなった。何度も言っているとおり、私は人のためを思うあまりに辛辣な言葉も厭わない、愛情に満ちた人間である。手を付けかけたものの失敗と言える中断の仕方をしている例の件は、私自身のせいも大きいのだが今に至るまで毎日恨みに思い、同時に反省している。流されて忘れるわけにはいかない。変われないまま年を取るのは、私がもっとも嫌だと思っていることのひとつなので、私はそうなりたくないし、なるべきでないのだ。

11月にアメリカに出かけないかと訊かれたので、行きます、と即答した。演劇のシーズンではあるが、自分にとって大事なルーツがありそうな旅なので、そう答えたのである。出かける先はアメリカであるが、須賀敦子の本を読んだりして心を落ち着けようと思う。

これまで似ているのではないかと思っていたが、深く眠っているのは死んでいる状態とは違う、ということを手を握られて実感した。夢を見ている人は時折指を動かす。私は眠れないまま両手でそれを包んで、ああ、いつになったら私もこんなに深い眠りを味わうことができるだろうと思った。うらやましいことはいつも愛おしい。

2014年4月15日火曜日

Blues

「涙止まらないの?」と夢の中で聞かれて目がさめた。地下に降りて郵便物をあけたり、人といっしょにコーヒーを飲んだり、駐車場まで見送ってもらったりもした夢だった。薄皮のところまで浸透圧を高めて侵入されてきたような夜、いよいよ現実と夢と希望の境がなくなったのがわかったので、起きて今これを書いている。

何人かの人と話をして勇気を得た。しかし、得た、と思っているのはそう思いたいだけで本当はくじかれた、のかもしれず、だから冒頭のような夢を見て、夜とも朝ともつかないこんな時間にこんなものを書くことになるのである。帰宅したときに手探りで鍵を探して押し込んだとき鍵穴からにゅるりとはみ出るものを感じて、これが私を蝕んでいる幻想なのだ、と思ったのだった。

やっぱり私は寂しくて、いつまでも治らない咳のせいで眠れもしないし、かといって咳をしたら隣の部屋から飛んできて背中をさすってくれる人もここにはおらず、忌々しさと虚しさにくれている。まぎれもなく、今日の夜はすばらしい夜だった。私をこんな気持ちにさせるものを、演劇以外にはこの世で知らない。

2014年4月13日日曜日

年上の私の恋人

あとかたもなく定期入れをなくして一週間以上が経った。なくした場所は初音町の路地裏で、大した道幅も人通りもないのに、いっさい出てくる気配がない。定期券自体は、買い替えながらも何度もなくし、そのたびに駅に届けられて戻ってきていた代物なのだが、ついに、その神通力にも終わりが来たようだ。定期入れは、十八の春から12年使った。この春、何かの身代わりになってくれたと思うことにしている。代わりのプラスチック乗車券を買ったのだが、そのままポケットに入れていると翌日に持って出かけるのを忘れる。やはりパスケースが必要だ。まだ愛しているよ、という先代定期入れへの敬意を表して、次はどこか雑貨屋で思いつきでかんたんに買うのがいい。某駅にあるコーヒーショップに併設されている簡素な雑貨のセレクトを比較的信頼しているので、次に行くときに買うつもりだ。 

年上の私の恋人、という歌詞を口ずさみながら、まあでも別に、今、四十や四十五の男と寝たいとは思わないな、と思った。12から15ほど年の離れた男は大変魅力的だけれど、二十くらいのときに、そういう人と付き合って互いに教育しあうのが一番よい。見目よい男の旬は二十三で、基本的に男は三十九が勝負と信じる人生である。

2014年4月11日金曜日

攻防

寝起きの顔は白い。何時に起きてもそう思う。午後の太陽の光のもとなどで見るとなおさらだ。

わかってもらいたいのだなあ、人は。でも、わかってもらえる人がいるだけいいじゃない、と自分の中から声もするのだろう。それは、わかってもらえるようにしたからそうなっているだけなのだ、と更に思うかもしれない。そこを突きつめたくなってしまおうものなら、誰も得をしないループに落ちて終わる。得、というのは何か新しい気持ちや視点を得ることだ。どこかで、愛する、ということに決めなければならないのかもしれない。恋愛は妥協であり、がまんではない。だから妥協をすることについて、私はそこまで否定的ではないが、何かをがまんしているようなことは良くないし、まあ恋愛をしているわけではないのだから時にはがまんも必要かもしれないけれど、冷徹な観察眼の、発揮のしどころ、というのは難しいものなのだ。ただのいじわるな人になるわけにはいかない。誰かのためになりたい、という気持ち(それは辛辣さをも十分に含む)を持っていなければ発揮してはならない能力なのかもしれないし、自分のためにその力を使ってしまうことは、どんなに苦しかろう、と勝手ながら想像する。でも、人としての隙、っていうのはつまり、おもしろみ、のことだから、なるべく背後を取られて追いつめられるべきじゃないし、あなたも、壁際にじりじり追い込んで、いたぶるのを楽しんでいる場合ではない。

上記のような日記を、昨夜の3:22に書いていた。書いた覚えはあるが、あまり美しいものではないので午前中からいったん公開をやめてみた。何を思って書いたのか、誰を思い浮かべながら書いたのか、あまりにも混ざっていてよくわからない。何より、咳き込んで起きて、朦朧とした意識で日記を書いたことが少し後ろめたかった。防御を高めることで攻撃力を上げている、ということは、私のような、生卵の精神の持ち主には憧れる。すなわち、縦からの力には非常に強いが、横からたたくと簡単に割れる。

2014年4月8日火曜日

黒い猫のしるし

夜中にねむるのが怖くていやで、だるさを怺えながら何となく4時を待っていた。ベッドに滑り込んで、だましだまし少し寝た。しかしすぐ起きて、お風呂を溜めて入った。9時前からもう一度ねむり、何かを補修するようにたくさん夢を見た。目が覚めたときはまだ10時にもなっていなかった。

もう取り壊してしまった祖母の家の台所に居た。祖母が出てくる夢を見るときは、この台所であることが多い気がする。祖母は後ろを向いて流し台の中に猿のようにしゃがみ、たわしでそうじをしていた。昔よくしていた、三角巾を頭にまいたスタイルだった。その近くには黒猫が二匹いて、布を身体に無理やり巻いて貼付けられたままぎゃーぎゃー暴れていた。その布に絡まっている様子が痛々しいので、どうしてこんなことになっていて、暴れる猫を放置しているのか祖母に聞いたところ、うるさいのでホチキスで猫の皮膚を留めてやったのだ、という答えが返ってきた。(念のためだが、祖母は私が知るかぎりもっとも心優しく生き抜いた女性で、そんなことをするのはありえない)彼女は相変わらず後ろ向きのまま流し台の中にいて、顔を一度も見せてくれず、それはもう祖母ではない、というのが私にはわかった。暴れる猫たちをなだめ、布を取ってやろうと身体を見ると、ホチキスではなく大量の安全ピンで留められているのだった。暴れてめちゃくちゃに騒いでいる猫二匹に「取ってあげるからじっとして」と言うと、少しだけおとなしくなったので、そのあいだに私は彼らの身体から安全ピンをひとつずつ抜いていった。抜くときが一番痛いことを私は知っていたので、ごめんね、今取ってあげるところだから、と話しかけながら作業を進めた。安全ピンの穴のあいた耳から少し血を流しながら、猫の兄弟(二匹は兄弟だったのだ)は生還した。猫たちは急に「これでわかっただろ」「もう行こうぜ」とやんちゃに言葉を話し始め、即座に立ち去ろうとした。彼らが何をわかったのかは知らないが、私はまだ痛々しい二匹の身体を抱きしめ、引きとめた。それでも彼らはどこかへ行ってしまった。

これは昔見た夢の話だが、黒猫が引き出しの中から侵略をしてきたことがある。夢の中で、私の妹と弟はまだ小さくて、実家で飼っていた犬のことも私は守らないといけなくて、その黒猫の侵略をなんとしても阻止しなければならなかった。実は黒猫というのは仮の姿で、何かとてつもない悪いものが小さな黒猫の姿であらわれているだけ、という凄まじい禍々しさを今でもはっきり覚えている。私は、自分の大切な子たちを守るため、黒猫を木の台に叩きつけて殺した。何度も何度も、蘇らないように叩きつけた。今もその感触は忘れない。私は自分の大切な子のためならこうして何かをためらいなく殺す人間なのだ、ということを、黒猫の夢を見るといつも思い出す。

2014年4月7日月曜日

魔女だって泣きます

時間どおり電車に乗れず、苛立ちと自己嫌悪でホームで泣いている。時間がなくて薬局に必要な薬を取りにいけていないのもよくない。

相変わらず腹が引き攣れるほど咳き込んで、毛布が足りなくて寒かったせいで続けて30分以上眠れず、お花見をすっぽかす夢を見て気まずさに泣き、おのれの体調管理のできなさに泣き、ひとりぼっちの寂しさに泣いた夜だった。世の中の人々は楽しそうで、でもその楽しさって何なのかしら、それがあると本当にいいのかしら、とベッドの中で魔女は世界中を呪っていた。

2014年4月6日日曜日

石に漱ぎ

咳き込んで目が覚めた。涙ながらにうがいをし、むせて、吐き気を催したので少し吐いた。あまりに身体をかがめていたので子宮近くが引き攣れて痛くなった。妊娠したのかも、などと思ったが、脳内でさまざまなシミュレートをする意欲がわかなかった。今書いたことはすべておぼろげなる記憶をたどって書いたもので、何時に何をしたか、細かいことはわからない。お風呂をためて入り直し、もう一度眠って5時に起きたら玉ねぎが炒めてあって、そういえば咳が止まらないのでお風呂がたまるまでの間に炒めたのだった。夢では道にあふれる魚卵を踏み、ドレスをやぶり、梯子をのぼった。

「タフでなければ生きられない。優しくなければ生きている資格がない」というのは、レイモンド・チャンドラーによる探偵フィリップ・マーロウの名台詞である。先日、ふとした流れからこの台詞に話が至り、しみじみと、ハードボイルドに生きたいものだと感じたのだ。"If I wasn't hard, I wouldn't be alive. If I couldn't ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive."というのが原文のようだが、私のつたない気持ちをこめて訳するなら「強くなかったら私は生きられない。優しい気持ちでいなければ生きている価値がない」としたい。

2014年4月4日金曜日

エルザは憂鬱

今年は春に風邪を引く。臥せったまま身体の熱が上がり、下がるのを待つ。のども痛んで心細い。今日はお料理は休んだ。かわりに行ったファミレスでは何度も「ようこそ」と言われて辟易した。昼どきに行ったカフェはすばらしかった。フランボワーズのショートケーキとレモンサイダーを出してもらい、優雅に口に運んだ。帰りにはパウンドケーキとマドレーヌ、ガレットを買ってはしゃいだ。

いろいろ考えたことがあったけれど、全部消してしまった。私がやりたいのはそんな分析みたいなことじゃない。今考えていたことは独り言で、つまらない私の未練に似た何かだ。私こそ、どこかに置いてきた気持ちを整理しなければならない。

真摯な言葉が嘘っぽく見えて鼻白むことがある。私の言葉がそうなっていなければいいと思いながら、メールを送信する。いつだって、言い過ぎということはない。必ずかはわからないけど、なるべく味方でいるわよ、というサインを送ることが一番ちからになることもあるはずだ。

自律の反対は他律であり、服従である。玄関の鍵の開く音をベッドの中で聞いて、力の抜ける思いがした。

2014年4月3日木曜日

皿の裏

桜の木の下で死体を踏んだ気がしてぎょっとした。足下には何も無かった。わざわざ桜並木を見に行くのもいいが、遠くから見て、あれも桜だったのか、と気付くのもいい。花見歩きはひとりでしたい。花の下のピクニックは誰かと二人がいい。

港町のカフェに行った。レジャーシートを借りて目を閉じてみたけれど、意識が睡眠の水位から宙高く浮きすぎていて、引き下げることができなかった。芝生でまどろむサラリーマン風の男を見ている通りすがりの少女を見て気付いたことがあったので、遅くなってもやっぱり書かなければという気持ちを新たにできたのはよかった。

皿を100枚ほどとスプーンなどのカトラリーを150本ほど、それに鍋を7つ洗った。皿を前に使っていた人間の顔は知らないけれど、大量の食器にはそれぞれいくらか汚れが残っていた。表立って目には見えない。でも皿の裏だって汚れうるということに思いが至らない人間は、致命的に想像力が欠如していると思う。そんな物騒なことを考えて皿を洗いながら、外を眺めていた。隣ではY嬢がほうきで丁寧に部屋の隅を掃除していて、男たちは外で、とあるイベントのための看板設置をして盛り上がっていた。「男性陣、やる気が出て来たみたいですね」とY嬢が言うので「目に見える派手なことを一生懸命やってくれるのって何だかいいわよ」と言ってみた。換気扇も掃除したかったが、私が皿洗いのために水場を占領してしまっていたので、できなくて申し訳なかった。

2014年4月1日火曜日

眠いだけでは眠れない

家の中では心が死ぬ。ますます記憶が続かない。午前二時に目が覚めて、寝ていられないので洗濯して、ソファで毛布にくるまってみても眠れず、かといって本を読む頭の明晰さもなく、何で生きているのか、どうやって手足を動かしたらいいのかがわからない。試しにベッドに戻って寝てみても、比較的すぐに覚めてまた起きる。今度はおなかがすいたので、小さな小さなオムライスを作ってたべる。午前5時に送ったメールの返信で、これは深夜ですか?早朝ですか?と尋ねられて、答えに窮する。

髪を10cm以上切った。こうして、育ててきた切断可能な自分を捨て去るのである。昨日切ったばかりなので、ショートボブの自分を鏡で見るとまだ少しびっくりする。