2014年5月30日金曜日

薄いガーゼ

元気に見えるとしたら理由は明らかで、あの夜の言葉以外にはありえない。元気というのもおかしな話で、拠り所がある事が分かったから安心した、と言ったほうが適切かもしれない。ピンセットで一枚ずつ剥がしていって、やっと手にしたものでもあるような気がする。すがりもせず拒否する事もなく、生きていられたらいちばんいい。考えるたびに胸が痛む事はまだあるけれど、信じられるという事がこんなにも力になるのは驚異的だ。

そう思っていたら、またしても目の回るような事態に遭遇した。やっぱりここで生きて行くのは難しい。涙は涸れたので今は流れない。

2014年5月28日水曜日

靴をなくす

まったく眠った気がしない。ずっと起きているのではないだろうか。意識が低い位置をふらふら浮遊しながら、時間が経てば眠くなるのを期待してただ横になっている。場合によっては、ほんの少し眠れる事もあるが、鬱屈した夢ばかり見る。外国語で一生懸命話をしなければならなかったり、螺旋階段をたどって気が狂って別人になった母親を探したり、ひどくグロテスクな生き物(一応、人間と思われる)とセックスしたり、靴をなくして途方に暮れたりするので、疲弊する。靴をなくす夢は若い頃によく見た。そういう時は、いつも私だけが見つからない。みんな靴を履いて先に帰ってしまって「ねえ、私の靴がない」と呼びかけても誰も立ち止まらない。

明け方、一度目が覚めると気が散ってもうベッドでは眠れないので、枕を引きずってソファまで行く。ソファは硬いが、薬が残っているので起きて活動する事もままならず、仕方ないので少し目を閉じる。

2014年5月26日月曜日

最初の子ども

明け方、どうも調子が悪いので薬箱をあさったらしい、という記憶がおぼろげにある。いまだに冬の羽毛ふとんを使っているので、重くて暑くて悪い夢を見るのだろうか。子どもが生まれたのだが、私はその子をひとりで育てる事にして、だけど子育ては忙しくて難しくて、彼(子どもは男の子だった)にミルクをあげる事を忘れてしまった。そうしたら子どもはどんどん小さくなって元気がなくなって、今にも死んでしまいそうになったのがもう本当に怖くて怖くて、慌ててミルクを作ってあげたけれど、温度が熱すぎたりするのを冷ますのがうまくいかず手間取って、そのあと子どもが元気になったかは覚えていない。妹や弟が子育てを手伝ってくれたようだったけれど、どちらかと言えば子どもを奪いに来る感じで私を支えてくれるふうではなかった。誰も味方がいない、という気持ちを味わいながら、一生懸命子どもを守った。でも、私は子どもにろくに栄養も与えられない母親で、その無力さたるや、起きて顔を両手で覆ってしばらく立ち上がる事もできない、しかし夢でよかった、と安堵する気持ちもある。そのうち記憶が断片的に甦ってきて、結局子どもを9歳になるまで育てたのだった、彼が(ひとまずは)生きながらえてくれて本当に嬉しかった、という事を思い出した。

君はソラリス

久しぶりに飲もうと誘われたので、太陽くんと銀座に行った。太陽くんは私の職場の同期である。本が好きで、特に森博嗣と舞城王太郎が好きである事を私は知っている。私も太陽くんも、職場に他に友だちはあまりいない(たぶん)。

二人で飲み屋に行ってビールを飲んだ。最近の話をぽつぽつとして、沈黙の時間の方が時には長くなって、でもそれがいやだとは全く思わない。太陽くんはそういう友だちである。「普通の人は戻っておいでって言うだろうけど、僕は、戻りたくない場所には戻らなくていいよって言うよ」と言ってくれた。

彼は、積み重ねて何かが進歩していく事を非常に好む。今は毎日22時から23時、きっかり1時間、オンラインで英会話を勉強しているそうだ。合間にプールにも行く。上達のステップを組み立てて、ゴルフの練習もする。「出来ることなら陽には当たりたくない。窓辺に陽が射しているのを見るのは好きだけれど」と彼は言う。「名前のわりに暗い性格です」というのは、彼の自己紹介の時に用いられる印象的なフレーズだ。「どこか遠出をする事はあるの?」と訊いてみた。「どういう意味?」と訊き返されたので、「決まった行動範囲を逸脱することがあるかっていう事」と補足した。すると、普段は職場と家の往復で、休みの日も昼間はあまり家を出ない、という答えが返ってきた。私はちょっと考えて「じゃあ、7月に京急線に乗りにおいでよ」と誘ってみた。太陽くんはすぐに「行く」と言ってくれたので、夏の楽しみがまた一つ増えた。近いうちに今度は彼の出身大学がある街へ行こうという約束をして、今日は彼と別れた。

2014年5月25日日曜日

くちなし

蚊にくわれてもちっとも腫れない。血液中の成分が足りないのか、人と違うのか、とにかく少し赤くなるだけで終わる。足が生っ白くて目立つので、子どもっぽくて困る。かゆくならないので薬も持っておらず、塗る事もできない。

そういう事はいちばん大事な人に言いなさいよ、と少し怒って、背中を押した。それでたぶん、勇気といくらかの理由づけを手にしたはずなので、彼は新しい一歩を踏み出すだろう。

文房具屋が好きで好きで、前を通るたびに入ってしまう。そして必ず何かを買って、散財する。昔から好きなのは便箋で、おそろいの封筒と一緒にたくさん買い集めている。手紙は好きだが、好きな男に宛てて書くのが好きなだけなので、便箋自体はあまり減らない(そういう場合、すぐに減るのもどうかと思うし) 。というわけで、お気に入りの便箋がいつまでも手元にあるので嬉しい。

2014年5月22日木曜日

立てば芍薬

ぼんやり歩いていて、精液の匂いがする、と思って上を見ると栗の花が咲いていた。誰が言い出したかは知らないが、よく似ていると言われるものではあるので、なるほど、と思った。瞬発的に思い浮かべてしまうくらいだから、やはり似ているのだろう。同じく似ている水道の塩素の匂いよりもずっとセクシュアルなものを感じるのは、栗の花が命あるものだからだろうか。

芍薬の花束を買った。芍薬はよく水を吸う。二回ほど水を足してやって、今日、ぜんぶのつぼみが開いた。大輪の花々を戴いて、花瓶は今にもバランスをくずしそうだ。

2014年5月21日水曜日

夜の旅

一日にあれだけたくさんの海辺に行ったのは初めてだったし、これから先もしばらくないだろう。潮の香りは未知の香り。何もかもまっすぐ受け止めるんだね、と言われて、そうなの、それが苦しいの、と言いたかったし実際言ったかもしれないが、言う事でもっと苦しくなる事も世の中にはあるので、それは深夜に書いた出せない手紙の中にだけとどめておく。書いたら少しわだかまりが解けて眠る気になった。でも横になってもちっとも眠れなくて、友だちにメールしてみたけど返事は来なかった。

今日の昼間は、まぶたを何度も閉じたりひらいたりしながら、窓枠に手をついて、曇った空からさす光とその下に広がる風景を眺めた。そうでない時間は、その風景の事を思い出したりして過ごした。時計を見て、時間の流れがいつもより遅いような気がして驚いたけれど、ひとりで電車に乗ったら途端に時計は急ぎ始めて、普段と同じ速さになってしまったので悲しかった。

2014年5月19日月曜日

17 for good

この頃、眠りの中でのリミッターが外れている。人が血を流す夢がとても多くて、今まで見た事もないような残酷な場面も珍しくない。直接的な性行為の夢も見た記憶がないが、数日前、ついにその禁忌も破られた。追いつめられる時、必ず私は高校二年生である。高校三年生の頃は受験勉強しかしていなかったので、夢を見ようにも戻る場所がないのだろう。まるで人生の始まりが高校二年生だったかのように、あるいは、まるで永遠に高校二年生のように、全てはそこに集まっていく。

普段はあまり思わないが、一週間早いな、と思った。日記に書くような事はあまり起きなかった。人にもそんなに会わなかったし、家でも喋る事はないし、何より薬が効きすぎたので眠りすぎた。

2014年5月14日水曜日

気配

腫れた目は三日かかって元に戻った。まだ少し跡が残る。悔しさとか強烈な嫉妬心とか、感情にもとづく理由をつけるのは容易い。でもそれでは唾を吐かれて終わりだ。考えるのと、話すのと、書くのが同じスピードで出来ればよいが、それならどうして話す事ではなく書く事を選んでいるのだろう。うまく話せないから書くのではなく、いちばんよくできるから書くのを選びたい。そうありたい。

逃げるようにソファで眠ってしまい、明け方までそのままだった。目が覚めて、下着が苦しいので外し、しばらく横になっていたが起き上がって水を飲んだ。シャワーを浴びてからベッドに入り、そのまま昼までねむって、少しパンをたべてから夕方までまたねむった。苦しい夢を見てじっとり汗をかき、何度も目が覚めたけれど起きられなかった。階下では水道工事の音が響いており、隣人が奇声を上げて騒音に抗議していた。このマンションの住人は、どいつもこいつもおかしくて怖気がする。

重いリュックを背負っている時に風にあおられ、環状道路に落っこちそうになった。本当に危なかったのだが、もしここで死んだら、悔やまれて泣いてもらえるどころか何で死んだのかと叱られてしまうだろうから、死ななくてよかったな、と思った。

2014年5月12日月曜日

水流

する事がないので、浴槽の栓を抜いて水が全部流れてしまうまでずっと見ていた。目の形がすっかり変わってしまうまで泣いて、人前に出られないと思いながらも出かけなければならず、頭痛をこらえて歩いた。お願い笑ってみて、と母に言われたけれど、今日は無理、と言って断った。

2014年5月10日土曜日

Re:どうでもいい

寂しくなるとマカロニを茹でる。子どもの頃、母が手を抜いて時々、茹でたマカロニに粉チーズを振っただけのものを昼食に出していた。今さらそんな昔の事を思い出して泣けるほど素直じゃないが、要は、この名もなき食べものの存在を誰も知らない事が大切で、これを食べている時だけ、私は身体にまとわりつく煩わしきものもの全てを引きはがし、何ひとつ経験していなかった(ような)頃の気持ちを取り戻せるのである。咀嚼されてこまかくなり、飲み込まれ、身体に取り込まれるマカロニちゃん。いつか私の身体になって汚れるマカロニちゃん。あの頃は汚れを知らなかったマカロニちゃん。

あの夜は何となく楽しくて、ごはんをたべながら何杯か酒を飲んだ。そこでふと聞かれた質問に対し、どうでもいい事を説明するのに時間をかけてしまって息が詰まった。その瞬間、彼は言った。「まあ、どうでもいいんだけど」。その事に、存外私は傷ついた。傷つくのに、資格なんていらない。

面倒なのと、リビングに行くのが嫌だったので台所に立ったまま、茹で上がったマカロニちゃんをたべた。洗い物もすぐできるし、合理的で素晴らしい。母が見たら、お行儀が悪いからあっちに行ってたべなさいと言うだろう。でも、案外今の彼女だったら、何もかもどうでもいいから私もここでたべるわ、と言うかもしれない。立ち食い蕎麦、立ち飲み屋。共通しているのはすぐにずらかれるという事で、ここには長居しない、という意思表明をその場に入ってきた時からみんな行うことになる。

彼が「どうでもいい」と言い捨てた私の一部は、私にとってもどうでもいい。けれど簡単に処理はできない。それも含めてどうでもいいのだろうけど、つまらない何かをしゃべるのに口を使うくらいなら、私は他のことに使いたい。

マカロニちゃんは単純な味をしている。でもジャンクじゃない。パスタソースも使ってないから、油も少なくてヘルシー。余分なものだらけの人生を振り返る時には、マカロニちゃんにいてほしい。義務、思い込み、同調圧力。がんじがらめの私が自由に行き来できるのは現在と過去の間だけ。 未来なんてどうでもいい。どうでもよくないからそう強がるのだと人は言う。本当だろうか。なんて、冗談だよね、可愛い私のマカロニちゃん。 立ったままたべ終わったら、すぐ片付けて出ていかなくちゃ。

オムライスの上演のために

目覚めたら、物の怪は去っていた。これは近日あれが来る目安かもしれない。

私にはまだやっぱりいろいろ許せない事があって、その人が好きだから許せないとか、普通に毛嫌いしているから許せない人もいるし、よく分からないから許せないという事もある。でも、これが許せるようになったらどれだけ新しい世界が広がるのだろう、と思うし、それを楽しみにしたい。きっと、新しい自由を手に入れる事になると思う。

帰り道、女の子4人で歩きながら、その夜につくってたべたおいしい食事を振り返っていた。ごはんの用意してる時、男の子はみんな写真撮ってたね。それがおもしろかったね、とある女の子は言った。私は、自分でつくった料理は撮らない。誰かが綺麗に盛りつけてしずしずと運んできてくれたものをこっそり自分のカメラに収めるのがうれしいからである。また一緒にごはんたべましょう、と言ってその日はみんなと別れた。誰かがおなかをすかせて待っていて、おいしそう、これたべていい? と言ってくれる限り、私はがんばれる。

透ける時間

ベッドの中で枕が毛布にくるまっていて、そう言えば今日はほとんど午後まで横になっていたのだと思い出した。あの状況からよく、起き上がって電車に乗ったものだ。信じがたい。

ちょっとした歯車の問題で悩むのはよくある。あれがよくなかったか、それともこれか、と思う時は、たいてい最初に思いついたあれが悪い。そういう勘は外さない。でも、その時はそれを防ぐための、小さな注意を払えないのが、私なのだ。重くのしかかって泣けもしないが、こんなに落ち込むのもおかしい。体調が優れないせいにしたい。

私が、何か物事の中心になるのは無理かもしれないな、と今夜思った。人に協力してもらう側から、うまくいかないことに自己嫌悪してしまいそうだ。もしくは、後から後から、嘆いてしまいそうである。でも「自己嫌悪がどこかにない物書きは絶対だめ」と先日TA嬢が力強く言っていたから、それはもう逆に、喜ばしいと思い込んで精進する。もしくは、こんな弱気も何かの発作と思うしかない。

過ごした時間は空気になって身体ににじむという、当たり前のことを感じている。私の肌に透ける時間はあなただけじゃなく、他の人にも見えるのだろう。

2014年5月8日木曜日

PRIDE AND PREJUDICE

ちょうど一年経つな、と思った。時が経つのはいい。終わるべきものは終わり、続くべきものは続く事になるとわかるのが、一年という長さだ。

2014年5月7日水曜日

くだらない

「何がしたいのかわからない」という指摘が、私をなじっているように聴こえた。そう聴こえる耳にも問題があって、何かしら後ろめたいからなじられているように聴こえてしまうのだ。でも、後ろめたい事は悪い事ではなくて、話そうと思っていなかった事を準備もせず話してしまったのがよくない(ただし、彼と話している時はそういう事がまま起こる)。こんな言い訳はただの責任転嫁だが、そう言いながらも「転嫁」の「嫁」って何だろう、とくだらない事が気になる。何で「嫁」って書くんだろう? それがどうでもいいとは今は思えない。まあいいや。みんな私がいつも優しいからって、先に不機嫌になるのは甘えてるって思うけど「優しい」の「優」は「優柔不断」の「優」という意味でもあるから、彼らが不機嫌になるのも仕方ない。

決断を迫ってはだめよ、と数日前私はある人にアドバイスしたばかりだった。「いつでも連絡してこい」というのではなく「今日会える?」と訊かれた方が返事をしやすい。かといって「俺かあいつかどちらかを取れ」と迫るのではなく「どんな事があっても側にいる」と伝える。いささか綺麗事すぎるかな、とも思ったけれど、恋愛相談は持ち込んできた人が元気になればいいのであって、何が起きるかなんてそこから先は誰にもわからない。本当に、わからない。

MN嬢、TA嬢との読書会にて、谷崎潤一郎の『痴人の愛』をテーマに話した。この物語そのものが、男の壮大なるプレイなのかどうか、というところに議論はたどり着いた。自己の輪郭を語りに溶かしながら、男は何を思っていたのだろうか。「何がしたいかわからない」という言葉は、この小説の男と女にも当てはまる。しかし私に言わせれば「何がしたいかわからない」人々は、「したい事」はなくても「したくない事」はあるのだ。小説の男は、女に逃げられたくなかったという一点に尽きる。私はたぶん、誰にも嫌な思いをさせたくないのだと思うが、そういう気持ちが誰かに嫌な思いをさせる事は、10年前から知っているのでもうどうにもならない。

2014年5月6日火曜日

無駄な情

日曜日なのにずっと土曜日だと思っていて、今日は日曜日だという趣旨のメールをしてきた人に、土曜日ですよ、と返し、それを指摘されて、やっと気づいた。これまでにも、日にちの軽い勘違いはあったが、ここまで思い込んで長く気づかなかったのは初めてで、恐ろしさを覚えた。指摘された後も、しばらくわからなくて完全に戸惑ってしまったくらいだ。よく考えたら、土曜日にいつも見ているテレビを見たのは昨日の事で、今朝は日曜日にやっている番組を見たはずなので、確かに日曜日なのだ。薬が少し新しくなってから、記憶がますます混濁して困る。起き抜けに受信したメールには返信できない。妙な事を書いてはまずい、という意識が働いて、読みはするがそのままにしてしまうのである。思い出さずにまた次の薬を飲む時間になるので、忘れられたものは永遠に忘れられてしまう。

世の中には無駄な情が多すぎる、という言葉について、こんこんと湧く泉を胸の中に持っている人ほど自分の情の深さに嫌気がさしたりするものなので、私は大して感銘を受けなかった。

2014年5月4日日曜日

ゆりかごと墓場

とにかくひどく疲弊した。古い慣習や振る舞いを信じて疑わない人というのは今も確かにいる。大多数を占める。私を脅かす。でも、それを乗り越えずに生きるのは不可能だ。それが下地にあるのとないのとでは、私の感じ方も書くものも異なる(良くなる)と信じるしかない。芸術はもともと社会からはみ出たものを扱うようなところがあって、それが救いでもあるし、理解を得られない大きな理由でもある。だけど社会からはみ出るという事を、自分からはみ出た何かと区別出来ていないのはよくない。甘い。ぬるい。

あのへんに長く住もうという人はもういないでしょう。最近は地震も少ないし、ここは内陸だから、海沿いの辺りとも違って安心だ。家と墓を買うには打ってつけですよ、と老人は言った。私は、え、でもそんなこと言ったって、と思いながらどうする事もできずにいたけれど、しばらくしてから老人は、今日は楽しかったですね、今度は海沿いに魚を食べにいきましょう、と私を誘ったので、思わず耳を疑った。

2014年5月3日土曜日

手負いの獣

飲み屋は好きでもあるし、嫌いでもある。秘密を秘密のままにさせてもらえないような、何か喋らされてしまうような事が起きるからだし、人の秘密の心が透けるからでもある。秘密を透けさせない大人ほど、飲み屋の上級者である。この間お会いした紳士は、手駒を何一つ見せないのにこちらの気持ちをするする引き出してしまう技術を使い、澄ましてコップを干していた。彼の前では私のごとき人間は超・若輩者であり、やわらかくしなる彼の言葉に投げ飛ばされ続けるしかなかった。しかし、まったくけがを負わされない本当に巧みな投げ方であり、数日経ってもあれが何だったのか私にはわからないような魔術だった。ちなみに同様の魔術はOY氏なども使うが、OY氏がどちらかといえば黒魔術的なのりなのに対して、かの紳士は完全なる白魔術であり、私をえぐりながらも癒しを残すものだった。

深追いという言葉が好き、と言った私に彼女はその時「でも深追いって、その言葉を使う時にはもうすでにしてしまってる事が多いよね」と言った。同様の言葉に「抜け駆け」があるな、という事には昨日気づいた。

2014年5月2日金曜日

別室にて

毎夜毎夜、人を残して床を出る。眠くなるまで眠らないと決める事にも勇気が要る。冷蔵庫をあけて作業をし、翌朝に備える。端から見たらかなり改善はした。しかし真夜中になると、失望と疲労が募る。まだ2:48だ。日の出までは遠い。