2014年6月29日日曜日

行き止まり

言葉が、唇から生まれもせずにしぼんでゆく。元は確かにあったはずなのだが、今やそれすら怪しい。日常の煩わしい出来事を、身体から切り離せない。そのための日記も機能しない。不安が強くて眠れない。自分の話がちゃんとできない。いつまでこんな日が続くのか、暫定的にこれを絶望と言っても差し支えない。

かなり、瀬戸際に立たされているのだと思う。そういう時には、他人のことはどうでもいい。かかずらっている暇はない。「逃げる場所」のことを思い出したりもするけど、今この瞬間は何の役にも立たないし、相手を許すこともできない。

2014年6月27日金曜日

逃げる場所

言いたいことを心の中に溜めないように、と言われた。でも、いつだって私が喋るより前に、他の誰かが喋り出す。それを聴いている間に、いつも時間切れが来る。私が話を始めても、いつの間にか相手がゆるやかに手綱を取る。言いたいことはあったはずで、自分の話ができないのは機会をつくれない自分のせいだ。黙って相手にうなずいてばかりいるうちに、だんだんうまく喋れなくなってきてしまって、今では誰にも打ち明けることができない話ばかりである。

同じ文脈で、何か感情の「抜ける道」をつくるといいのではないかとも提案されたが、そう思うと私には「逃げ場」がない。 趣味はひとりで出来ることばかりだし、特に他人とおしゃべりしたい欲求もない。素の自分が表にあらわれるのは男の人と寝る時だけだと思うけれども、人に笑って話せるようなセックスはしたことがないし、それは私のひとつの幸福なので改める気もない。

先週は眩暈がひどかった。診察室で女は「それは薬の離脱症状です」と言った。低気圧のせいだけでは説明のつかない不調だったので、彼女がそう言ってくれてよかった。

2014年6月23日月曜日

可愛いマリン

横になったまま、現実の続きのような情景の夢を見た。ねえ、子どもをいつか持つことについてどう思う? と訊ねられて、言葉に詰まった。子どもって、あなたの?誰の? と、くだらないことを聞き返そうとしてしまったけれど、唇がうまく動かなくて喋れなかったので良かった。目が覚めて、やっぱりさっき本当に話しかけられたんじゃないかと思ったけれど、私の白昼夢だった。

2014年6月21日土曜日

リトル・フリーク

なぜ怒ったかと言えばあまりの雑さに美学が感じられず、そんなことで私に隠しおおせると思った人に対しても、ずいぶん甘く見られたわね、と思ったからである。こうやって、許せない女が少しずつ増えて、黙って物を書くのが私の人生だ。喧嘩は男としかしない。本当は白黒つけるのなんてどうでも良いのだけれど、愛が私の後ろに回り込んで両目を塞ぐからいけない。

2014年6月20日金曜日

寝かしつけ

たまに犬がひざに前脚を掛けて眠るので、身体がしびれても動かないでじっと寝かせている。犬が安心して眠ってくれることの方が私には大切だ。犬は私より多く眠るので、私の寝顔を知らない。でも、愛する生き物の寝息を聴き、規則正しく上下する身体をそっと撫でることほど幸せなものがあるだろうかと思う。

2014年6月18日水曜日

座礁

運転する車が何度も座礁する夢を見て、くちびるを噛みながら目を覚ました。車が座礁するってどういうことだ。たぶん、S字クランクから抜け出せなくて苦労したとか、他の車に袋小路に追い込まれたとかだったのだが、自分が運転している時はただ苦しくて苦しくて、くやしさのあまり泣いていた。だからこんなふうに目が腫れるはめになるし、お化粧もさえない。夜中にしたメールの内容は記憶にないし、ことあるごとに醜い嫉妬を発露させてしまう自分に今は耐えられなくて、この世に存在しているべきでないとさえ思う。


2014年6月17日火曜日

血の巡り

自分で思っている以上に私はネガティブであり、観察力があるというよりは記憶力が良く、何となく勘づいたことは外さないという程度には経験を積んでしまっており、まあでもそういうことを超越した別の何かを手に入れる稀少性も知った大人の女であることを恨むか喜ぶかはともかくとして、今は貧血がひどい。自分の骨が身体の中でこすれる音で、耳鳴りがする。

書き直し

疲れているのか暑いせいなのか、歩く速度がやや遅くなり、駅までの道のりにおよそ1.75倍の時間がかかる。貧血と立ちくらみが甚だしく、家の中で昨日転んだ。目の前が真っ白になり、音が一瞬消えたのがわかったのでまずいと思った。空中に投げ出されるように、私は倒れた。

書いたものが全体的にネガティブである、と言われて、はっとした。いかに自分が悲観的に生きて、物事を眺めているか思い知って落ち込んだ。私がときどき表に出す思いきりの良さや潔さに見えるものはただの自棄で、本当は前を向く方法も思いつかないほどに、深く絶望しているのかもしれなかった。

2014年6月13日金曜日

アイスクリーム

薬が効かないので、起き上がってアイスを食べることにする。蛍光灯は目に毒なので、部屋の半分だけつける。白湯を飲む。あまり沸かしすぎないように見張って注ぐ。アイスは少し溶けてからでないとうまくすくえないので、今は待っているところ。

さっきまで、なぜか泣けて泣けて困ってよほど電話でもかけようかと思ったが、頭の中で会話を一通り自分でおこなって、電話を切るところまで終わったので、やめた。ベッドを抜け出してきた今は、なぜさっきあんなに困り果てていたのかを、少し遠くから見ることができる。

カップアイスは好きなのだが、一度にたくさん食べられないので、食べ終わるまでにだいたい四日ほどかかる。今は三日目だが、今回はあと二日ほどかかりそうだ。溶けかけたところを二さじ三さじすくって食べ、それでいつも冷凍庫にしまう。

死んだ夢

「あ、今あの街歩いてた」と、男が言ったので、私も目をあけて「私は今死んだところだった」と呟いた。

2014年6月11日水曜日

Red Hat Linux

赤い帽子のマークは、昔扱っていたオペレーティングシステムについていた印だったので、不思議な符号に胸がきゅっとした。この夏は日傘のかわりに帽子をたくさんかぶるのもいいな、と思う。

その時、あまりにもうれしくて、食べものを口に入れたまま涙が出そうになって、もっと言うとその場から燃え尽きそうになってしまって、息をする様子もおかしく見えたかもしれない。

川上弘美の『ニシノユキヒコの恋と冒険』が私は好きで好きで、それは私がニシノユキヒコ的なる男を好きで好きで仕方ないことと近い話である。でも、そういう男を愛することと、ニシノユキヒコ的なる人生を生きることの、どちらがくるしいのだろう、と思ったら今夜は涙が止まらない。

2014年6月9日月曜日

雪の女王

まったくもって、自分の根の持ち方にはうんざりするが、早起きして無心でサンドイッチをこしらえているうちに、だいたいの表層的なことは氷解していく。問題は何が永久凍土になってしまうかだが、「永久」という言葉の意味がまだ分からずにいるほどには、私もまだ若い。

2014年6月8日日曜日

絞り染め

よっぽど言ってしまいたい言葉があったのだが、今、言うべき時ではないと一生懸命自分を抑えた。本当はそこまで荒ぶった状態でもなく、憑き物が落ちたように静かな気持ちではあったのだが、やはり苦しいものは苦しい。この許せなさからいつか解放されるのだろうか、と思いつつ、まあ、人生のあの時もあの時も、案外するっと抜けたことを思い出し、何とかなるであろうと思う。

年を取ることの良さを、最近しみじ思う。許せることが増えるし、許せないことはその理由が明確になる。でも年を取るのは、ほんの少しつらくもある。若い人にだけ生えている翼が、見えるようになってしまうから。

私が泣いたのは、私の一生懸命さがまったく蔑ろにされたように思ったからだった、と推測される。一生懸命、私は書いたし訊ねたし向き合おうと思ったが、それは私の甘さによってかわされた。自分の思いが尊重されなかった、と思ったのが悲しかったのだ。報われなかったと思って恨んだのとは全然違うので注意してほしいが、果たしてどちらが疎ましい行いかはもっと客観的に見てみなければ分からない。でも、あれだけ考えて行動に移した結果をかわされたのであれば、もうその人は一生そうやって生きていくのだろうし、もしそうだとしたら私の感知出来る範囲ではない。それくらい、強く思わなければこの場に立っては居られない。

2014年6月7日土曜日

死んだら気づく

この頃、中学時代に家庭科の授業で縫ったスカートを履いている。単純なデザインで、柄も子どもっぽいといえば子どもっぽいのだが、三十を回り、顔つきから俗っ気が抜けてきたこともあって、また似合うようになってきたのである。このスカートの布は、13歳の頃に祖母と一緒に蒲田の手芸量販店に買いに行った。祖母が亡くなって久しいが、彼女のことはいつも考えている。祖母が死んだ年の冬、私は処女を失った。だから祖母の知っている私は純潔のままであり、これまで経験したいくつかの男性とのいざこざ、ある種の非行などは全部彼女の死後の出来事であるので、私のおこないによって彼女の心をわずらわせることがなくてよかった。

MN嬢が猫を飼ったので、会いに行った。ベッドの上には小さくて可愛い少女猫が、二匹鎮座していたが、私が行くと戸棚の上にするりとのぼってしまった。花の香りのする紅茶を淹れてもらって、文芸の話をした。「普通の言葉しか使ってないのに、この人が書く文章は特別」っていう人が好き、と強く宣言した。猫は時折、戸棚の上から私たち二人の様子を覗いていた。

アクセル

夏の雨は、木の葉が雨を受ける音がする。一雨ごと、緑が深くなるのがよく見える。薄手のふとんは、雨が降り出す前に洗って干した。家事をして家をハンドリングしてゆくのは、難しいが楽しい。ときどき大掃除するよりも、まめに綺麗にしておくようにしたい。

ドイツの演劇祭のために、20日ものあいだ現地に滞在している人のTwitterなどを読む。演劇が守ってくれている、という言葉がずっしりと来る。私も、守られたい、と思ったが、守られたいと思っている時にはすでに守られているのかもしれないし、もうずっとその加護の下で生きてきたのかもしれない。そしてそれが、私の奥底の強さの秘密であるのかもしれない。私はと言えば、毎日細かい作業と少しの文章を推敲し、時間が来たら食事をつくってたべ、という生活ではあるが、先日「違和感」と「宿命」という言葉を使って、「日常」と「演劇」についてのとある発見をした。直接還元できるかはわからないが、私がその「考え」を持って行動することで、相手にもいい作用が起こるだろう。

ドリフトを決める時にはブレーキングが命、という言葉は普段から肝に銘じているもののひとつだ。忘れるべきではない。

2014年6月4日水曜日

夢うつつ

「終点ですよ」と昼日中から起こされる。あわてて電車を降り、乗り継いだ先の車輌でまた船を漕ぐ。早朝に起きてもやりたい事がなく、やれるほど頭もはっきりしていないまま、三時間ほど記憶をなくしながら家の中を徘徊する。そのわりに、昼間ベッドで眠る事もできない。仕方ないので家を出る。冒頭に戻る。

2014年6月3日火曜日

プライベート・スカイラインⅤ

クローゼットから青い夏用のワンピースが出て来た。昨年、これを着て吉祥寺の特養ホームを訪れた時、大伯父が「君は赤より青が似合うね」と言ってくれたのだった。昨年の晩秋、彼は大きな本棚をふたつ私に残して逝ってしまった。私が引っ越すのにあわせて、まるで私に本棚を贈るかのようなタイミングでの死だった。母がこの前彼の思い出話をしていて「良き理解者の奥様が亡くなってから、結局ずっと孤独だったのでしょうね」としみじみ言った。「でも、人生の最後にあなたが現れて良かったわよね」とも言った。私もそう思う。

2014年6月1日日曜日

はびこる悪

大丈夫だと思っていたのに、また少しぼんやりした頭でSNSに書き込んでしまったようだ。記憶がいっさい無いものもあるし、おぼろげながら覚えているものもあって、例によって早起きしては反省の日記を書く。

今自分が撃破しなければならないものは、これまでと少し次元の違うものになる。舞台上のものを観て「よかったですね」と言うだけではすまない事であり、舞台上に描かれている(あるいはまだ描かれてすらいない)光景が現実として私の前に(生活として)立ちはだかっている以上、私は演劇よりも現実と戦わなければならないし、多くの人はここで現実と妥協して暮らす道を選ぶ事も、この年齢になれば知っている。あえて今強い言葉をいろいろ使ってはいるけれど、それは言葉の力を借りないと立っていられないほど、寂しくて苦しいからである。