2014年9月26日金曜日

隠遁生活

泣いているだけでその理由を読み取ってくれる人の側から離れてはならない。そんな人にはもう会えない。

どこにも公開していない日記がパソコンの奥のほうにあって、ときどき読む。ほぼ性描写だけで構成されていて、何でこんなにも偏執的なものを、と思うが、私の書いた物の中ではおもしろいほうなので、何とか、それとわからないかたちで表に出せないものかと考える。

部屋から一歩も出られない日々がまたやってきていて、すっかり夜になってから、やっと近所に水を買いに行く程度しかできない。

2014年9月24日水曜日

葡萄

机の上を片付けられなくなってくると、混乱が極まるのも近いなと思う。化粧品、紅茶のティーバッグ殻、母校の同窓会会報、本、果物などが、秩序無く散乱している。気分は少し持ち直したが、これは先送りにすぎない。

母は私のどうしようもないさがを薄々見抜いており、ときどき釘を刺してくる。ねえあなた、誰か一緒に暮らしたい相手がいるんじゃないでしょうね。私は答える。そんな面倒くさいこと、私がいまさら処理できるわけないじゃない。母は、それならいいけど、と言ってまたコーヒーを淹れたり紅茶を飲んだりする。親子という機能が成熟し、双方向性を獲得していくにつれて、対話の面倒さは増していくばかりだ。生きることと同じくらい生活することも大切にしてほしい、と母はそのあと私に言って、私をひどく落ち込ませた。そんなことを母に言わせてしまうような自分の暮らしがむなしかった。

2014年9月20日土曜日

飛び込み台

誰と一緒にいても、エアポケットに落ちてはまりこんでしまうような時はあって、つまり今がその時なのである。エアポケットは言葉も何もかも吸い込んでしまうので、何も書けないししゃべれない。しばらく前までは、川沿いを歩いている時にそのままぽーんと飛び込んでしまいそうな衝動と戦っていたのだが、今、またそれに近いものが夜ごとやってくるのを感じている。せっかく治ったと思っていたのに。

きちんと振り返りをおこなわないために、同じことを繰り返す人のことがときどき許せない。彼が誰のため、何のために自分の「正しさ」や「公平さ」を主張しているのかわからない時があって、そういう時は頭の中で楽しい歌をうたって聞き流す。数日前、私が急に不機嫌になってしまったのは、やっぱりとある出来事に今も許せない思いを抱いているからで、そのことが思ったより自分の意識を引きずっていることに気付いたのがショックだったからだ。そういう思いを永遠に(わからない。とりあえず今のところは半永久)私に植えつけておいて、「公平」も何もない、と思ってしまうのだがどうだろうか。

日記に個人的な出来事を書くのはできるかぎり封印したかった。でも、しかたないのだ。これはしかたない。

2014年9月18日木曜日

白い朝

こんな生活がいつまで続けられるだろう、と思う。浅い眠りから覚めて寝付けなくなり、やけになってパズルゲームをやる。分不相応な難しいステージばかりに挑戦するので、すぐに死ぬ。即座にコンティニューする。いつもいつも、次こそは勝てると本気で思っているのだ。でもすぐにまた死んで、絶望的な思いでコンティニューし続ける。空が薄明るくなってきて、こんなことではもう暮らしていけない、とひとしきり泣き、そのまま翌日を迎えてしまう。

2014年9月14日日曜日

複数

女友達には、もうほとんど会うことがない。男のことだけで手一杯であるからだ。私という者は四人くらい居るし、家は三つくらいあるし、名前だって二つもあるのに、それでも間に合わない。そうした、私を取りまく様々からうまく羽ばたけず座礁して、今は西の港町で時間をつぶしている。

おやすみ

人を傷つけたことによって、自分も傷ついたという男を迎えて話を聴いた。「やっぱりぼくは人非人なのかなあ」と言うので、そうじゃないでしょ、人ではないものを大切にしてるんでしょ、と慰めた。「ぼくにだって泣きたい時はあるよ」。そうね、でも泣けないんだから泣かないで生きるより仕方ないわよね、と言って手を握ってあげてから、私はさっさと立ち去った。 慰める時に新しい傷をつけてしまうのは、さがない私の性分なのである。

2014年9月13日土曜日

二階の女

リュカとクラウスが久しぶりに遊びに来た。何飲む?と訊くと、クラウスは「……かき氷」とぼそっと言ったが、夏が終わってかき氷の時期は過ぎていたため、彼の希望を叶えることはできなかった。クラウスには、かき氷のかわりに麦茶をあげた。まだ小さい彼がコップを顔にあてがって一生懸命飲んでいると、ずいぶんコップが大きく見えて何だかおかしい。彼らの遊び場の二階では女優が演劇の稽古をしていて、それを覗き見た双子の友だち(同じく8歳と思われる)は「エロすぎる」と言って、戸惑って退散してきた。何を見たのか知らないが、演劇というものはひそやかで淫靡な側面を持つのだと、彼らが知ってくれたのならとてもいい。

2014年9月11日木曜日

ふたりの食卓

新しい炊飯器で米を炊いた。妊婦は米の炊きあがる匂いに耐えられないというが、妊婦でもない私も蒸気に咽せた。きもちわるいきもちわるい、と思いながら米が炊きあがるのを待っていて、しかし炊きあがったものを見るとやはり口に入れたくなり、あたたかいのを急いですくって食べた。米にあわせてつくった豚と茄子の味噌炒めは大変おいしかったが、ある時点で突然飽きてそれ以上食べられなくなってしまい、皿の上の三分の一ほどをフライパンに戻した。

いつか離れてしまうかも、と思う。離れたくはないのである。でも願えば願うほど、離れてしまう、とますます思う。

2014年9月10日水曜日

雨傘

誕生日に赤い傘をもらった。すぐにでも雨が降ったらいいと思うほどの素敵な傘だったが、残念なことに私は晴れ女なのであった。晴れ女は、ひとたび外に出れば雨を止めるし、屋内に引っ込めばその瞬間を狙って雨を降らせることができる。よって私は、めったに傘を使わない。せっかく、大きくて美しい傘なのにもったいない。もったいないので、しばらくは持って歩く。
 
終点まで行くことは決めていたので、窓の外は見なかった。手元の本に目を落としているうちにどれくらい時間が経ったのかも分からなくなり、今日本のどこにいるのか定かでなくなった。車窓の外には、大きなショッピングセンターや国道、ドライブスルーのマクドナルドが広がっていて、もう少しで自分の居場所を思い出せそうだったけれど、まあどうせ海に行くんだからいいわ、と思っていっさいを考えるのをやめた。

2014年9月9日火曜日

彼も独身

母が車の中から近所の家を指差して「あの家の息子も40過ぎて独身よ。あそこも、あっちも。独身独身独身」などと言い募るので、やめなさい、殊更にそういうことを言うのは、と、たしなめた。「だってそうなんだもん」と、三人の子どもを育て上げた立派な女はくちびるをとがらせた。続けて「わたし、結婚してない相手のこと『パートナー』って呼ぶ人嫌いなのよ。責任逃れみたいで。そういえばね」と、最近会ったらしいいけすかない男について愚痴を言い始めた。

不思議なもので、毎月生理が来ると子どもが欲しいな、と思ったりする。いつかやっぱり私は子どもを産むのではないかな、と今は考えている。

2014年9月2日火曜日

Macbeth

電車の中で、狂った女が英語でぶつぶつ言っているのを聴いた。小さな声で、しかし嬉しそうに女はそれをつぶやきつづけている。何かの韻文のようだ、と思った時に"Fair is foul and foul is fair."と女が言ったので、それがシェイクスピアの『マクベス』の一節だということを理解した。女は滔々と、マクベスに訪れる未来について喋りつづけていた。女が狂っていること自体には何も感じなかったが、こんなにシェイクスピアの言葉にぞっとしたことはなかった。狂った女が未来を予言する台詞を喋るなんてただ恐ろしい、と思った。