2014年10月26日日曜日

あの人の孫

昔の恋人は、いつの間にか、もうずっと昔の恋人になってしまった。彼が、結婚して子どもを持った夢を見た。夢の中の、架空のFacebook越しにそれがわかるという夢だった。年を重ねて少しふっくらした顔の彼は、子どもを得ていっそう幸せそうに見えた。彼の妻となった女性は、彼と同郷で、私も話には聞いたことのある相手だった。彼女が彼の妻になってくれてとてもよかった、と思ってから、そういう自分の不遜な感想に少しげんなりした。しかし何より、彼の母親がうれしそうに写真に映っていて、私はそれにいちばん安堵した。病気がちだった彼女が、まだ生きて、元気で孫をその手に抱くことができた。彼と別れて数年は彼女にまめに電話もしていたのだ。帰郷していた彼が偶然電話に出て、狼狽したこともあった。だけど、いつしか電話も年賀状も途切れてしまって、彼女が生きているかどうかはもうわからない。もう亡くなってしまったのかも定かでない。まだ生きていたとしても亡くなった後の連絡は私には来ないだろう。そういう後悔と予感を持って思い出す人はあまりいない。だから目が覚めて、今のが夢だったとわかって、本当に悲しかった。

2014年10月24日金曜日

フィールド

小声で歌っていたら「それ、もしかしてドラクエ?」と訊かれたので、そうよ、と答えた。きれぎれに聴こえただけでよくわかったものだと思うが、わかってもらえたらいいなともほんの少し思っていたことに、言われてみて気付いた。

連れられてゴルフをした。練習場では其処彼処で人々が、重たいクラブを振りまわして空気を切り、ボールを打っていた。その速度とエネルギーが恐ろしくて気が散った。「腰から上は動かさないで、腕をこうやって引いて」などと教わったけれど、恐ろしさは消えなかった。せっかく熱心に教えてくれたのに、相手に悪いことをした。私がつまらなそうな顔をしていたせいか、早くに切り上げることになってしまった。振り回される無数のクラブの恐ろしさから逃れられて、ほっとした。

二人で車に乗り、郊外を走る。かよっていた小学校と中学校の前を通って「ああ、こんな狭かったっけな」と言いながら、男は車を走らせ続けた。スマートフォンからは、ドラゴンクエストの旅路を彩る音楽が流れ続けて、子どもの頃に好きだった音楽もかけてみたりして、何もかも失われているのに、まだこんな穏やかな時間を持てるということが本当に悲しくなってしまった。

帰りしなに「女の幸せは夫次第よ」と、女が私に目配せした。そんなことにうなずくわけにはいかなかったけれど、この人はずっとそうやって生きてきたのだと思うと、堆積した時間の蒙昧さに目が眩んだ。

2014年10月19日日曜日

スプートニクの軌道

まだあなたを知らない昔、きっと側をすれ違ったことがある。この人とかつていちばん近くにいたのはいつだろう、と想像する。かつて私とすれ違った中学生の君、高校生のあなた、会社に入ったばかりのあの人、劇場で働いていた彼と、長い年月を経て今こうして出会っていることが何だか楽しい。私はあの頃鬱屈にまみれた子どもで、男と上手く話せない処女で、気ままな旅人で、ひとりぼっちの観客だった。今、あなたと会えてうれしい。だからもっと、近くに来て。

2014年10月16日木曜日

愛すべき娘たち

母と自由が丘のモンブランに行った。私は甘いものがたくさんは食べられないので小さめのタルトを頼み、母はいつもの通りチョコレートサンデーを選んだ。母はアイスクリームが好きだ。祖母もアイスクリームが好きだった。ふたりの好きなものはそれくらいしか分からない。父や祖父の好き嫌いはよくわかる。彼らはいつも、それを表に出すことをはばからなかったからだ。やって来たタルトは予想通り小さかったが、私は気分が乗らずにほとんど食べられなかった。母は生クリームとチョコレートクリームのかかったバニラアイスを嬉しそうに食べてから、私の残したタルトを少しつついた。それから「あなたが女の子を産むのもいいと思うんだけど」とまた言った。「でもあなたに似た女の子だったら、まわりの男の子たちをみんな従えていばったりしそうね」と、従姉の息子である子どもたちの名前を挙げ、「彼らは弱そうだから」と笑った。

母は帰りの電車のホームで「最近、村上春樹の短編集を読んだの」と言った。私もそれは読んでいたので、私は『ドライブ・マイ・カー』とタイトルは忘れたけどもうひとつ好きなのがあった、と言った。母は少し考えてから「『独立器官』?」と訊き返してきた。それだ、どうしてわかったの、と言うと母は「何だかそうだと思ったのよ」と言った。普段忘れて舐めくさっていたけれど、母と私の近しさを、急に突きつけられたようで少し気持ち悪くなった。そういう形では、近しさを思い知らされたくないと、私の遺伝子が気持ち悪がったのだ。

男は出すものがあっていいなあと、セックスの時はたまに考える。じりじり涙をこぼしてしまうのは私に出せるものがないからで、そのくやしさとかせつなさが涙になって頬を伝うのだ。

2014年10月15日水曜日

かんたんな食事

親子丼は、とてもいい。たまねぎはたいてい冷蔵庫に入っているし、卵もたぶんあるし、鶏肉は冷凍がある。何もかもいやになった時の親子丼だのみで、調味料も何も測らずにただ漫然とつくる。今日もそうした。そして、ちっともおいしくできなかった。調子が悪かったのだ。でも全部食べてしまった。丸のみするかのように、がまんして、一気に。

買ってきたドーナツもあった。親子丼を食べたあとに食べようと思った計画を崩したくなくて、なかば無理に詰め込んだら口の中が乾燥してよくなかった。遅くに帰ってきた人の食事もつくるが、おなかがいっぱいなので味見はしたくない。無責任につくっては、出す。後片付けは、明日にする。

2014年10月12日日曜日

婚姻届

今の自分の暮らしが信じがたくて、ときどき呆然としてしまう。ねむる前、真夜中に目をさまして、明け方にふと気付いて、隣に横たわる人の寝息に耳をすましても、もはや何も感じない。

外食しながら、仕事と病院の話を少しした。話題が尽きたので、このあいだ弟に買ってあげた赤い鞄の写真を見せたりもしたが、他には何もしなかった。紅茶を飲み、パンケーキをたべて、安らかな気持ちにはなった。でも、どうしても遠い、と思う。遠いからこそ好きだとも思う。でもその「好き」は、茫漠としてどこへ続くのかわからない。このまま年金と社会保険料と住民税を払うだけの未来を生きるくらいなら、早く死んでしまいたい。そう言ったら彼は、俺は掛け捨ての医療保険にも入っている、と言った。それを聞いたら何だか私も、医療保険にすぐに入らないといけないような気がしてしまった。

婚姻届を出すためには戸籍謄本が必要で、それは本籍地から取り寄せなければならないから、出会ったばかりの二人がすぐには提出できないことをもう私は知っている。結婚に夢を見るのはばかのすることだ。ウエディングドレスを着るのは本当に素敵な体験だが、多くの花嫁は、楽しかったけどもう二度とはやりたくない、と答えるものである。

2014年10月10日金曜日

ブルーフラッグ

夜の中華料理店で食事をしながら、荒唐無稽な小説のあらすじを考えていた。リアリズムとファンタジーの境界を渡るような夜だった。次に寄ったいつものバーでは、アマレットジンジャーをつくってもらって、しずかに二杯、飲みほした。店を出ると雨が降っていて、タクシーに乗りたい気がしたけれど、次の停留所まで歩いておとなしくバスで帰った。

夢に君と、君の娘が出てきたよ、君の娘は17歳だった、と言われて、娘を産みたいとまた少し思った。

2014年10月7日火曜日

傷の救済

「女にありがちなことだけれど」という前置きのあとに「すぐ傷つきたがるよね」と言われて、とてもがっかりしたのを覚えている。女というくくりに私をおさめて発言するような人だったのか、とも思ったし、お前もただの男だったのか、という気にさえなったのだ。

10年近く前、とあるアートプロジェクトへの参加を断念したことがある。当時の恋人が、東京から離れた地方でやるイベントに私が赴くことをかたくなに許さなかったためである。くだらない理由だと思われるかもしれないが、今に至るまで尾を引くほどの強烈な呪縛をかけられ、引きずられた相手だったので、あの時の私にはどうすることもできなかった。私は泣きながら参加をあきらめ、プロジェクトに誘ってくれた友だちのカナコとはその後しばらく合わせる顔がなくて絶縁状態だった。カナコはひとりでそのプロジェクトに参加して、T美大の某パフォーマンスグループFと親密な関係になった。ずいぶん後になってから、私は演劇を見てものを書くことを始め、パフォーマンスグループFの公演にも足を運ぶようになった。そして今、私は10年経って、あの時出会えなかったFのメンバーである女の子に、違う場所で出会うことができた。彼女の稽古場を見て、作品が立ち上がる過程を目の当たりにし、いかに彼女が素敵で飛び抜けていてどこまでも自由か、知ることができた。長く生きて、同じものの側に居続けるとはこういうことなのだ、と噛み締めて、泣いてアートをあきらめたことを後悔しつづけた私も、今やっと救われた思いがしている。

2014年10月3日金曜日

赤い鞄

誕生日の弟に赤い鞄を届けた。夜が更けてから、鞄を持って撮った写真とメールが送られてきて、弟よ、すこやかであれかし、と願った。どうか彼が私より先に死んだりしないでほしい。朝が来てからもう一度写真を見て、寂しくて少し泣いた。

他人に何かを求めることはほとんどない。してほしいこともあまりない。悩んでいることに答えが出ないのか、(自分の未熟さゆえに)出せないだけなのか、どちらかさえ今はわからない。中毒のように紅茶を飲む。

2014年10月1日水曜日

わだかまり

これでは私たち、いつかよくない形で終わるかもしれないなあ、と初めて思った。密かに危機感を抱いている。たたみかけられ、まるめこまれる、という不当な感情ばかりが育ってしまって、糸が切れる日もこのままでは近い。自分の感情が不当であることはわかっているのだ。壊れたものが元に戻らないと思っているからこそ、壊れないように大切に扱うのが私で、それは私が真剣に磨いてきたものなのだが、それすらも甘いなどと言われるのだろうし、何だって口にする前から、今度はこうやって叩かれるということもよくわかっている。でもここを越えないと先には進めない。進めなくてもいい、と私の心が折れる前に、何とか。