2014年12月31日水曜日

答え合せ

一年前の今日は、大泣きに泣いて、出奔を企てる勇気もなく泣き寝入りしたのだった。 年が明けてからすぐ、車で15分のところにある大きな寺に行った。妹が付いてきてくれたので、心はまだ穏やかでいられた。私は今の家に引っ越したばかりで、寺までは少し迷った。お正月の出店では、大きないかの焼いたのを買ったが、私は本当はいかは嫌いなので飲み込むのに吐き出したいほど難儀した。前の年からの憂鬱を引きずって、黙ったまま参拝した私に、おみくじはさらなる絶望を突きつけてきた。生まれて初めて見た「大凶」の文字に私は吃驚して泣き、妹に「100円あげるからもう一回引いてきな」となぐさめられる始末だった。もう人生の扉が全部閉ざされてしまったと思って、とぼとぼと寺の参道を歩いて駐車場まで帰った。途中におだんご屋があって、妹がおしるこを食べたいと言ったので寄った。甘いおしるこを食べながら、これは絶望じゃなくて、挫折というのだろう、と思った。思ったところでその時はどうにもならなかった。

病死した恋と事故死した恋の忘れられなさの違いについて、まだ考えることがある。今触れる人のこと以外信じられないのに、きちんと触れ合うこともできないのが悲しくて、そういう時に私は怒る。


捨ててほしい

よく覚えてもいない夢の気配に心を削られ、身体が硬直して眠れなくなってしまった。誰も私の不安を解消してくれようとはしないし、わかっていて無視する。冷たい冬の明け方、死んでゆく湯たんぽのぬるさに触れて、信じたい人ほど信じられないのが悲しい。仕方がなく起きて別の部屋に移り、どうして自分は、ひとりの人とずっと眠り続けていくことができないんだろうと考えたりする。

もうずっと昔、住んでいた町の隣駅のホーム下で、白骨化した死体が発見された時のことをたまに思い出す。工事のついでに発見されたもので、工事がなかったらいつ見つかったかはわからない。今、私の足の下に死体が埋まっていたとしても、私はそれに気付くことができない。

2014年12月28日日曜日

極東の書店

ヨーロッパの小さい国だとさ、本っていうのはドイツ語とかフランス語を勉強しないと読めないものなんだよね。そこいくとさ、日本の本屋には日本語で読める本がこんなにあるんだって、めまいしちゃうよね、と、俳優Y氏が先日私にこっそり話してくれたことを、夜の本屋で唐突に思い出した。そこは駅の中の、通り過ぎる人波でごった返す量産型の本屋にすぎず、並んでいるものは薄っぺらいビジネスや啓発のたぐい、俗情にまみれたベストセラーばかりで、やっぱりめまいがしたからかもしれない。本当には読まれることなく、ただちらりと見られただけで捨てられる言葉たちのあまりの多さに。

2014年12月27日土曜日

水よりも濃い

ママはパパのこと全然わかってないよ、と妹が母を咎めると、母は「だって血がつながってないんだもの」といつもと同じ言い訳をした。親と子、妻と夫の関係の違いをあらわす上で、惚れ惚れするほど的確な言葉である。

眠ることが楽しくないうえに、何時に寝ても同じ時間に目が覚める。ほとんど眠った気もしない。私が眠るまで起きていてくれる人がそばにほしいけれど、私より遅く眠る男も、先に目覚める男にも縁がない。

2014年12月26日金曜日

冬の犬

久しぶりに部屋から出られなくなってしまったけれど、本当は久しぶりでもなく潜在的に私の中にあった病魔が顔を出しただけなのだ。この一年、解決すべきことは何も進められないまま、ただ眠るベッドを変えながら日々をやり過ごしたに過ぎない。

幸せだった時もあったなあ、と写真を見てさめざめと泣く。できれば幸せなままいたかったし、幸せなままいさせてあげたかった。優しくされたらうれしかったし、できるだけ優しくしたかった。でもそれは全部だめだった。誰しもが大切なものを十個持っていたとして、二番目から十番目までがどんなにぴったり合っていても、一番目を大切にしあうことができなかった以上はだめなのだ。なぜできなかったかと言えば、それはそうするわけにはいかなかったからとしか言いようがなく、その場合の救いはどこにもない。

自分の話はほとんどしない。そうして生きているうちにどうやって話していいかもわからなくなったのでますます気持ちは閉じている。しゃべりたいやつが君のまわりには大勢寄ってくるからね、とM氏は言って、しかし君には踏み込めない影がありすぎるよ、と私に追い討ちをかけた。

2014年12月25日木曜日

愛の間違い

ふと、私は今、あの人をちっとも愛していない、とわかってしまった。本当は愛していて、だからこんなに離れられないのだとずっと信じていたけれど、そうではなかった。帰りに、暗い道でアスファルトを踏みしめながら、あの人にはただ(私が望むように強く)愛してほしかったのだ、という気持ちにじわじわと蝕まれた。愛してほしいと望んでしまうことは、その人を愛していることとは違うと、今更わかってももうどうしようもない。

2014年12月19日金曜日

箱の底

責任をもって向き合わなくてはいけない現実から、少しばかり逃げすぎた。逃げる重要性を思い知った一年でもあったが、逃げたあとのつらさに押しつぶされもした。思い出すからつらいのだ。何かを思い出す時は、それを今まで忘れて生きていたという事実も白々しく胸に迫るからである。

かんたんに書けた言葉などひとつもない一年だった。かんたんに書けない方がいい、と人には言われたが、 停滞は嫌だ。求められた時に求められた言葉も出せなくてどうする。忌々しい。

しかし今も箱の底に、ひとかけらだけ希望が残っていて、その光を消さないように、見失わないように生きることにする。

2014年12月12日金曜日

高い確率

ある人の顔を見ると「ああ、このひとの背中にはほくろがあるな」ということが浮かんだりするのだが、どうしてそう思うかといえば、それはそのひとと寝たことがあるからなのだった。

黙っているのは知られたくないからで、誰にも言えないことがわたしの人生にはこれまでたくさんあったし、これまでそうだったということは、高い確率でこれからもそうだということである。