2014年2月28日金曜日
真夜中の空白
何日かおきに、料理を失敗してしまう。見た目も気に入らない。今日は塩を入れるのを忘れた。決してたべられないような代物を作っているわけではなく、どちらかと言えば料理は得意なはずなのだが、何となく弛緩しているのだろうと思う。何かが足りない、空洞のような味がする。まあ、今日の場合は塩が足りないので当たり前なのだが、そういうものに限ってたくさん作ってしまって、どうにもならない。おいしい、と言ってくれる人がどれだけありがたくて愛おしいものかよくわかるが、たべてくれる人がいたとしても皆がそう言ってくれるわけではないのだし、ほとんど言ってもらえることなど無いと思って暮らしたほうが身のためである。何だってそうだ。
今日は会いたかった人の誰にも会えず、電話もできずに終わった。来週は会えるといい。
コーマエンジェル
という二つの文章を書いたところで、昨夜は睡眠導入剤を飲んだ。そのあとブログとSNSの更新はやめたのだが、浴槽で温まりなおしたのがよくなくて、ちょっとした酩酊状態になってしまったらしく、朝起きて携帯電話を見て少し青ざめた。朝といっても、薬が切れる明け方、まだ暗いころに目が覚めてしまうので、虚しさと後悔はいっそう募る。心の中で謝り倒して、もうしばらく合わせる顔がない、と思ったが、相手にしてみたらそれほどのことではないかもしれないし、ただ深酒をしない私は、酩酊状態に免疫がないので、いつも新鮮に落ち込んだり悲しくなったりしてしまう。
夢では、お花と靴下と紙袋となぜか脱いだ靴を手にもって、坂を上ろうとしていた。荷物を運ぶのは、これから先の人生で背負い続けるものの暗示なので、これから愛と生活とその他いっぱいの雑多な物を一生抱えて、靴を履くことも自ら拒否して、はだしで歩いていかなくてはならない、ということなのだろうか。
そういえばある知人は、身体に合わない睡眠薬を飲んでいたころ、手当たり次第に人に電話をしてしまって翌朝焦る、ということがあったと言っていた。ちなみに今「ちじん」と変換しようとしたら「痴人」のほうが先に出てしまって、ちょうど昨日、春琴抄のことを考えていたこともあるし『痴人の愛』をちゃんと読み直したいなと思った。ああいう、年下の女に溺れる男の心情は、この上なく苛立つものだがこの上なく無視できなくて、それが今に至るまで、そしてこれから先もずっと私を蝕むのだとしたらいったいどうやって生きていったらいいのだろうとさえ思う。 そんなことは憂鬱のごく一部なのだが、相変わらず賞味期限だけを気にして家の中の穀物製品をたべていくのは寂しい。
2014年2月27日木曜日
2014年2月26日水曜日
今夜も眠れない
あまり食事をとる気になれず、もちろんケーキや和菓子も食べる気がしないので、焼き菓子を少しずつ食べている。いっぺんにガレットを一つ食べると後で気分が悪くなるので、半分食べて取っておいて、また食べる。そうしていると半日くらいもつ。紅茶はその間に四カップくらい飲む。結局だましだまし食事も取る。自分が積極的に興味を持つ食べ物屋がパン屋しかないということは、30年生きてみて薄々気づいている。
「君が甘えているの?それとも相手に甘えさせているの?」と聞かれ、わからない、と素直に言った。「では質問を変える。相手がベッドから起きたら、自分も起きなければと思う?」と聞かれて、そうだ、と答えたところ「それは君が甘えさせているということだ」という種明かしのような回答をもらった。目の覚める思いがしたが、私は人の言うことを聞けないので目は覚めなかった。甘やかすのも甘えるのも、高等な技術が必要なことを私は知っている。本当はわざわざ起きたりしないで、ただそばで眠る生活がしたい。そして私が隣にいるときは、どうか安心して眠ってほしい。
2014年2月24日月曜日
涙の海
ただし、好きな小説家が書いた物語の一節に「私、オトヒコさんが好きなんです。好きです、と言ったとたんにわっと泣き出してしまうくらい、本当に好きなんです。」というのが(うろ覚えだけども)あって、それはよくわかるなあ、と今も思う。
子どもの夢を見た。子どもというよりは赤子というような大きさだったが、私の子どもではなかった。従姉の子として現れたような気がするが、それは今いる三人の甥っ子のうち、どの子でもなかった。私の母がその子どもを抱いていて、私はそれを見ていた。子どもの目からふわっと涙が湧いた。湧いたのであって、溢れる、という感じではなかった。まるい涙の粒が、子どもの目頭に溜まったのだ。私は、あ、と思ってティシューを取り、彼の目をぬぐった。涙がしみてティシューが濡れた。そして、私に涙をぬぐってもらった子どもは「ありがとう」と確かに言った。それを聞いた私は、なぜか分からないけど嬉しくて、その子がいとしくなって、嗚咽した。夢の中では、いつも泣いたり叫んだりすることがうまくできない。このときもそうで、声を詰まらせ息も絶え絶えに泣きながら、私は子どもの指に自分の指を絡めてにぎり、抱き寄せようとした。そのとき初めて、彼は私の子どもかもしれない?、と感じた。目が覚めたとき、外はまだ暗く、そこから寝つけなくなってしまってとにかく参った。
2014年2月23日日曜日
キス・アンド・クライ
最近は、服をほしいとほとんど思わないかわり、新しいアクセサリーがほしい。ネックレスやピアスよりは指輪かな、と思うが、いざ自分の両手を眺めるとそういう気分でもない気がする。ただ綺麗な石を自分のものにしたいという気持ちだけがある。
「君は僕のこと知っているつもりかもしれないけど、僕だって君のことを君が思うより分かっているよ」と言われることが、生きているうちの夢のひとつだ。そうしたら素直に、「ありがとう、うれしい」と言って笑っていたいと、思っているのだけど。
2014年2月22日土曜日
朝より夜が
ずるい女というのは賢かったりしたたかな面を持ち合わせているものだが、ずるい男というのは得てして弱い男という意味である。それを可愛く思ったこともあるけれど、今はその弱さにかまけているほど暇ではない。
根に持つタイプなので、すぐに忘れる男を許せない。彼らはその忘却力でもってこの世を泳いでいるのだろうし、理解はしてあげたい。私が彼らの分まで記憶して長生きすると決めたのだからそれくらいはと思うのだが、どうにも苛立つほどに、愛の深さを自覚してしまって茫洋とした気持ちになる。
2014年2月20日木曜日
今だけは眠れそう
敵対関係にあるふたつのある国(軍?)があって、一方の国の武将が友好のあかしに花狩りに敵国の武将を誘った。花狩りというのは、レンゲツツジやヤマザクラの咲くころに野にゆき、蜜蜂を放して受粉させることを言う。敵国の武将はその誘いを受け、停戦は成立して和平が進むかに思われた。しかし前日のうちに、敵国の武将は花狩りの場所に行って蜜蜂たちを集め、自国の土地に咲く花のところまで誘導して「これからはこちらの場所で蜜を吸うように」と言い聞かせ、隣国から蜜蜂を盗んだ。これでは隣国の蜜蜂はいなくなり、実がならずに国は衰退する。敵国の武将はやはり敵のままだった。翌朝の花狩りの時間は迫る、というところで夢は終わった。
どうやら少し、追いつめられたり後ろめたさを感じているようだ。次は、家のお風呂の水があふれ、家中が首までプールのようになってしまい、洗濯物がゆらゆらただよって揺れる中を脱出する夢だった。地下駐車場を抜けてどこかへ逃げようとしたとき、職場の元上司Nと、可愛い後輩TとNが近づいてくる声が聞こえた。見つかってはまずい、と反射的に思い反対側へ逃げ、さらなる地下へ続くコンクリートの階段を降りようとしたところ、その階段の段差がひどく大きくて、足がつかずに宙づりになってしまった。困っていたら可愛い後輩Tが上から「大丈夫ですか?」と言って覗き込んでいるのが見えた。「あの、申し訳ないんだけど、手を貸してほしいの、お願い」と、私は小さな声で言って、Tの細い腕をつかみ、上まで引っぱり上げてもらった。そのあとはよくわからない安い居酒屋に一緒に行ったが、私は何もしゃべれずに押し黙っているばかりだった。
目が覚めてからもしばらく、まぶたのみを開閉して、毛布のあたたかさと曇った夕方の光を感じたまま横になっていた。黙ってこの日記を書いているので、部屋の中にはノートパソコンのキーボードを叩く音だけが響いている。
2014年2月18日火曜日
人でなしの魔女
作家は自分がいちばんもてた時期に作っていた作風や芸風から抜け出せないとだめ、という話をした。きついこと言うねえ、と苦笑されたけれど、本気で思っている。愛された経験は自信になるが、そこからいかに進み続けるかがその人の真価なのだ。なので、一度ももてたことがない人はまずそこから出直してこい、と思うし、別にもてなくていい、などと言う人に興味はない。もてるって何、という話から始めてもいいが、この「もてる」経験は、「死んでもいい、と思うくらい誰かと愛を交わしたことがある」という経験と置き換えても構わない。
「自分の話を聞いてくれる人は大事にすべきよ」と、ある友人に言ったのだが、私がそういう人を大切にしたいのか、そういう誰かに大切にされたいのかは分からない。ただ聞いてくれるだけじゃだめで、ちゃんとわかってくれないといやなのが人間のわがままなところだが、意外な指摘を受けても嬉しく感じることはあるし、それはいったい何の違いなんだろう、と思う。でも結局は、ちゃんとわかった上で新たな視点を提供してくれる人が大事という意味で、そうなると作家が批評を渇望する理由も痛いほどわかるし、だからこそ保つべき一線は胸に刻まなければならない。
2014年2月16日日曜日
子どものまま
起きているか眠っているか、というより、生きているか死んでいるか、というくらい、命をかけて寝てしまう。よく見てしまう心細い夢があって、それは本当に寂しくてきついので出来ればもう見たくない。
私がこのごろ料理について書いていることが、他の事にも当てはまるということに気づいた人はどれくらいいるだろうか。想像力と段取り、勘と経験、喜ばせてあげたいという気持ち。欲望はすべて地底湖のようにつながっている。ちなみに料理をする男には縁がないし興味もない。これから一生そうだと思うが構わない。食べることが好きであれば十分だ。
従姉の息子であるところの二歳児に先日会ったのだが、声の大きい、元気なうつくしい子どもだった。母は、私の妹もこんなふうにやかましかった、と懐古していた。私は?と聞いたところ彼女は、うるさくはなかったけど言うことを聞かない子だった、と残念そうに言った。
2014年2月14日金曜日
深さの底
とにかく、言わないよりは言う、書かないよりは書く、という時期なのだ。口からこぼれたそばから、うまく伝わるように出力できなかったことに後悔するとしても、相対する人のことをいつか嫌いになってしまうかも、その逆に、いつか嫌われてしまうかもという、おそれを持っているとしても。
薄々思っていたのだけど、今、私は生来の男好きの程度がはなはだしくなっていて、それはこの頃観ている演劇のためもあり、互いに増幅していく感じが非常にあって、時に持て余して踞るほどの衝動になってしまう。男好きというのはもちろん、手当たり次第というのではなく愛情の深さという意味で、いとおしい、と思う気持ちがなぜだかたくさん自覚されるのだ。女の子がやっぱり好きだな、と思うこともあるけれど、愛しがいがこの上なくあるのも絶望的にないのも私にとってはやはり男だ。ああ、通じ合えない、憎らしくさえある、でもこっちを見てほしい、忘れられなくしてあげたい、書き残したい。そう思うたび、もうこれは一生、好きでしょうがないんだ、何て業が深いんだ、と思っていろんなことを諦める。
隣の席の会話に耳を傾けながら、いつか自分が踏み出してしまうかもしれない一歩のことを思って、そのときの自分がいかに周りから残酷に見えるだろうかと考えていた。昨夜見たのは、三年後の夢だった。私は、これだけ男の人が好きなのに彼らと手をつないだままでは出来ないことについて、これまでもこれからも考えていくのだと思っていた。でも本当は、つないだ手の離し方を考えて行動し続けなければ、次には行かれないのだと気づいている。
2014年2月13日木曜日
午睡の残骸
食事は毎日作る。味見は気分によって、したりしなかったりする。まったくしないわけにもいかないので、最後にちょっと舐めてみて調節する程度で妥協する。これが食べたい、とリクエストされたものを作ってあげるのが本当に好きで、もしかしたら一番自分の母性を感じるのは料理欲においてかもしれない。
劇場で、いつも見ていたあの人が、私のことを覚えていてくれて本当に嬉しかった。久しぶりに会った人がちゃんと名前を呼んでくれると、とても嬉しくてびっくりしてしまう。私など覚えてもらう価値もない、と思っているのだと思う。でも、私なんかが思う以上に世界は愛と信頼の交歓に満ちているのだと今は信じられる。あの日、一度会っただけの私を覚えていてくれたあなたに感謝します。あなたのことが私は大好き。
もうすぐバレンタインだから、こういう日記もたまにはいいと思う。
2014年2月12日水曜日
ベーシック・ライト・メンソール
唐突な話だが、今、少しは元気である。スターマリオとまでは行かないけど、フラワーマリオ程度のパワーはあるように思う。二回までは敵に激突しても大丈夫。
劇場の喫煙所でS氏を待ち伏せた。最近の話や今日一日の話をしたあと、「君の悩みは、酒で解決しない感じがあってどうしようもないね」と言われたので、本当にそう、と思った。「いつも自分から面倒に飛び込むね」とS氏が言うので、だって面倒な人が好きなんだもの、と答えた。彼の言うとおり、酒では解決しないので、今日のところはS氏と飲むのはやめて帰った。
2014年2月11日火曜日
緑の光
2014年2月9日日曜日
ひとりあやとりの果て
果たして自分は子どもを持つことがあるだろうか、と、たびたび考える。とにかく、長生きはしなければならない。
ここ数年、ほとんど熱を出すことがない。しかし頭や首や身体が痛むことはしょっちゅうあって、いっそすっきり発熱して治るほうがいいように思うが、どうもそういう体質ではないらしい。
家出少年
2014年2月6日木曜日
生活に花
2014年2月4日火曜日
長期目標と中期プラン
思慮深く行動した結果、つまらない見落としをするのはやめたい。短期的には勝算がある。長期的に見てもおそらくプラスだ。でも、その中間の振れ幅で大負けする可能性がある。それはともかく(……ともかく、などと横に置いてしまうからこんな人生になるのだろう)「奪還」と「拮抗」が、これからの人生のテーマだ。
ペットショップにかわいい子犬がいて、二日も続けて見に行ってしまったことがあった。あまり私が食い入るように見ているので、お店の人が抱っこもさせてくれた。その子犬を思い出して幸せな気持ちでいたら、夜になって急に「犬がいたら家をあけられないよ」と言われて、私がその子犬をほしがるのを先回りして釘を刺された、と思った。「うん」と一言だけ言って、私はねむった。子犬が飼えないことは分かっていた。ほしかったわけじゃなかったのに何であんなこと言われたんだろう。ベッドの中で子犬を思い出して、声を出さないで泣いた。もうお店に会いに行っても悲しいだけだな、ということが分かってしまったからだった。
2014年2月3日月曜日
クレバス
2014年2月2日日曜日
可惜夜
中央線に乗って、演劇を観に行った。帰りたい、帰りたい、と思った。郷愁というのかなこれは、と思ったが別に故郷ではないし、郷愁というのも変かな、などといろいろ考えた。さらに西に向かうころには日が正に暮れようとしていて、ますます帰りたい、と思ったが、どこに帰りたいのかはわからなかった。そのとき会いたい人もいたし、行きたい場所もあった。でも、帰りたい場所が私にはない。
冷たい男はいやだ。冷徹ということではなく、気の利かないという意味だ。人の動向に気を配らないから、人がどうして傷ついて、どうして寂しがっているのか考えてもみない人間を私は好きになれない。
自覚できないほど体調が悪いらしく、酒を飲むとひどく酔うので、しばらくの間コップ半分以上を自らに禁じている。まったく禁じているわけではないところが、私の弱さだ。酒を飲みたいわけじゃない。誰かと一緒にいたいのだ。その弱さが祟って、二日に一度は夜に泣く。