2015年2月19日木曜日

男の子どもたち

やっぱりいつかきっと、遠くない未来に、たぶん子どもを持つだろう。持ってもいい、とあらゆるものから許される時が来て、そのとおりになるだろう。そんなことを考えていた夜のこと、もう寝ようかという時になって、急に頭をよぎったのは、私の子どもはきっと男の子で、どこか遠い異国の地で戦に倒れ、私よりも先に死ぬ、という予感だった。子どもを失った私は、悲しみに暮れ、また煙草を始めて、それがもとで肺がんになって死ぬだろう、ということまで感じて涙が出た。三十年の昔、私の曾祖母がそのように、フィリピンで戦死した長男を思って死んだように。

実家で何となく時間を過ごしていた。弟が二階から降りてきて、私のために新しいアールグレイの缶を開けてくれた。「まきちゃん、人にお茶淹れてもらうの好きでしょ」と彼はなにげなく言った。人に淹れてもらったお茶は、本当に味が違う。一日に何杯も何杯も、孤独にティーカップを干す私のことを、弟はよく知っているのだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿