2015年5月30日土曜日

頭痛の種

最近二十歳の彼女ができたんやけど、顔がね、完全にきみの若い時みたいでさ、なんか複雑やわー、なんて言うので、あっそっか私もきみも、若い時があったと振り返れるくらいに今は遠くまで来てしまったんだって、地下のライブハウスで思った。かつてそこにいたかでさえ、もう定かではない古都の情景だけがわたしたちを結んでいる。かろうじて。もしかして、ほとんど残像だけで。

昨夜は排卵頭痛がひどくてひどくて眠れなかった。きみはあいつに会いに行く日にはいつも不機嫌だよ、と指摘して私の不甲斐なさをこんこんと叱ったあげく先に眠ってしまった人の横で途方に暮れ、天井を見上げながら首筋を押さえて、頭の重さで何とか頭痛を緩和しようと夜明けまで奮闘した。

ベランダからエメラルド

私が5歳のころ、母がマンションのベランダからエメラルドの指輪を落としたことがある。母はまだ弟を産む前で、指は細くかよわく、すべすべしていたのだった。スクエアカットに、テーパーカットダイヤを放射状に配置したシンプルな指輪で、子供ながらに私は母のその指輪が好きだった。「あっ」と、布団を干していた母が言ったのを、遊んでいた私は聴いた。母は、今の私より少ししか年上ではなかった。すぐに彼女が電話機を取るのを、私は見ていた。母が「もしもし、お姉ちゃま、助けて」というような電話をしてから30分後、伯母が車に乗ってやってきた。なぜ伯母が呼ばれたのか未だにわからないが、たぶん、小さなものを探す才能が伯母にはあったのだろうと思う。伯母はベランダの下の、草の生えた地面をかぎ回るようにして指輪を探し、とうとうそれを見つけた。私は今もエメラルドが好きだし、いつか、母がベランダから落としたあの指輪を譲り受けたい。

2015年5月18日月曜日

状差しの地層

恋人にあてる手紙にもいろいろある。相手が自分にどんなに素晴らしく見えているかをのぼせたように書き連ねているものや、気を引きたいあまりに自虐的な自意識を並べて言い訳に終始してしまっているもの、自分が今何に関心があるかだけを書いているものなど。

めざとい母は「あなた顔が細くなっちゃって、どうしたの、食べてないの」と言った。熱っぽい顔で咳き込んであまり喋らない私に、遠縁の叔母は「うちの息子のお嫁さんがね、もともと細いんだけど、つわりで更に痩せちゃって、入院になっちゃって」と話しながら、私が今にも妊娠を打ち明けるのを待っているようだった。

2015年5月15日金曜日

内省と孤独

控えめに言って私は、愛する人をいとおしむ才能に恵まれているのだから、わざわざ、不感症の人間に対抗することなどひとつもないのだ。とはいえ、不感症には不感症なりの研究テーマがあるだろうから私は私で、男たちのための女として自己を錬磨しよう。いつかかなたへ飛び去る日のために。

2015年5月11日月曜日

地図をつくる

架空の町をタクシーで走った。私は犬を三匹連れて帰るところで、紐を三本握りしめ、犬たちとバックシートに座っていた。運転手はトンネルを抜けたところで道がわからなくなったと言い、その間にもメーターは1秒に300円ずつ上がって、信じられないような金額をつけた。私が「交番に行って降ろして」と言うと、運転手は「交番なんてわからない。行ったことのないところには行けない」と泣きべそをかき始めた。私はグーグルマップを取り出して、それは異様に精巧な架空の町の地図だったのだけれども、画面をいくら指さしてもはげでちびの運転手は泣くばかりだった。犬たちはずっといい子にしていた。起きてから、頭の中の地図を少し書き写した。

2015年5月10日日曜日

坂道は百合の匂い

わかっていないと言うのでわかっていると言うとそれがわかっていないということなんだと言いじゃあわからないと言うとわかれよとか何とか言う人が、そんなものただの嫉妬だと言い捨てるし、その人自身は果たしてわかっているのかどうかと言うとそこについては言及しないずるさを見せるので、ひどい私はあなたにひどいことをしたい。

別れたくない、とすがって泣いたことがある。もうあなたみたいな人には出会えない、と本気で思ったのでそのように言った。その時男は私を傷つけるため、そして恐らくは自分を守るため、いいやお前は絶対すぐに別の人間を好きになる、すぐに他の男が現れる、俺にはわかってる、と冷静にいたぶるように言った。そんなことない、と私は一生懸命になおも泣いたが、涙が乾いて10年が経ち、私はあの時の男と同じ年齢を迎えている。

マンションの入口で、夜のうちからごみを出そうとする住人とはちあわせた。女は洗い髪で、シャンプーの香りをさせていた。私はこの世でいちばん、匂いという匂いの中で女のシャンプーの匂いを嫌っていて、どんなに親しくてもシャンプーの香りをさせている女は許せないどころかそもそも親しくなることはないからそんなこと心配しなくてもいい、というほどなので、ひどい嫌悪を催した。エレベータに乗ると生ゴミとシャンプーの混ざった湿った空気が充満していて、今すぐ階段に変えたかったけど身体がもう箱の中に入ってしまっていたので仕方なかった。吐き気と窒息のどっちを取るかで文字通り死にそうになったし、もし私が今妊娠していたら間違いなく、ここで嘔吐していた。

2015年5月9日土曜日

DEAD OR ALIVE

行方が知れず連絡もよこさない男だが、それでも私のことを本当に好きなのだと、占い師が言う。気付くと動悸がして、床に座り込んでから2時間ほども経っている。生きた体は、一時的に目をくらませるだけだ。執着でも愛でも狂気でもなく言うけれど、この目で耳で、信じさせてもらえるなら心も体も生死は問わない。

浅い眠りから覚めて、指先をこわばらせるところまではいつもやる。そこから枕の端に手をかけて、渾身の力で絞り上げる。 明け方に首をしめることくらい、いつだってできる。

2015年5月7日木曜日

卵の不調

40過ぎからだんだん閉経していきます、という文章を読んで、それでは私の生理がなくなるのももうすぐだなあと思ったりする。生殖生殖とか騒いでいられるのもあと10年かそこらで、もしかしたらもっと短いかもしれず、生理がなくなってからどれくらい生きられるのかは分からないけれど、場合によっては初潮から閉経までより長いだろう。そのレベルで見ればいったい何を悩んでいるのかとも思う。生理がしばらく来ていないのだ。低温期が異様に長かったので、生きる力が身体にないのだろう。2時間も3時間も部屋の真ん中で泣き、体力を消耗したところで眠ることもできない。

大型犬をお風呂に入れた。シャワーでびしょびしょに濡らして行くと、ふわふわの犬はぺったりして小さくみすぼらしくなった。愛しい生き物が、濡れて小さくみすぼらしくなっているのはかわいい。観念したようにおとなしくしていて、ときどき私に鼻面を寄せてくる。水が目に入らないように、上手に上を向いている。眠いのにごめんね、でもきれいになると気持ちいいよ、と話しかけながら、押し黙っている犬を洗った。

2015年5月4日月曜日

あいつがヒロイン

目をかけられることには慣れている。私も知らない私の能力を、さとく見つける男がたまにいて、声をかけては自分の領内に引き入れる。半信半疑についていく私も、やがてやりがいなんぞを見出してしまい、おろおろしながらも出来ることを出来るだけ時には出来る以上にやって、自分の何がよかったのか結局わからないまま搾取に遭い、求めるのは愛、となった頃にまぬけにも、男の中には本当の、別の、ヒロインがいたことを知る。いくつになっても繰り返す。男はいつも私のことを引き止めようとするけれど、それは私がなまじ頭、都合、聞き分けのよい女であるためで、追いかけられるより先にそこで待ち続けている安心感をあなたに与えられるからである。私よりも年下の、少し冷たくて、表情のあまりない女を、男たちは好む。頭、都合、聞き分けなどが多少よくても何にもならない。ミューズ、ファム・ファタル、勝手な名前をつけて男どもがすがるその女に、私は何にも勝らない。ミューズだのファム・ファタルだのは気まぐれなので、自分を好いた男には目もくれず、どうでもいいわ、と言いたげに去ってそれきり姿を現さない。現れなくてもそこにはいるので、男のことは忘れても、喋ったこともないミューズだのファム・ファタルだののことは、今もたまに考える。

2015年5月1日金曜日

女の子のお母さん

うなされる夢をいくつも見て、目覚めてから、これでは生きた心地がしない、と思った。いや、それよりは起きた心地がしない? っていうか、眠った気がしない? 何ていうか、とにかく目をきつくつむって歯をくいしばるような夢ばかり見ていた。実際そうしていたらしかった。

生来かんしゃく持ちで、きれやすいたちなのである。浴室に男が入り込んでおり、ちょっかいをかけてくるので、私の穏やかな入浴がいちじるしく妨げられた。そのことに立腹した私が、たがが外れたように怒鳴りまくって壁もこぶしで殴りまくったら、男は泣いて風呂場から出て行った。よかった。

あるいは足が痛くなって、実家の近くの裏道を這って進むはめになり、七転八倒しながら、両腕を使って移動したりもした。足は不随意に動き、はきものは脱げ、下着もずれて、もうどこに進んでいるのかも(とりあえず実家の方向ではあったけれど)わからずにただただつらかった。目が覚めてからも右足がじんじんと痛んでいて、夜になるまでそれは続いた。
 
同居人が、身よりのない5歳くらいの女の子を連れて帰ってきたので、一緒に住むことになった。静かな女の子で、ひとりで絵を描いたり、積み木で遊んだりしていた。私がひとりで眠っていると、女の子は積み木遊びをやめて私の部屋を覗きに来て「お母さん」と言った。それで私はその子の名前を呼んだのだったかさだかでないが、おふとんを持ち上げて女の子を招き入れ、一緒に眠った。血がつながっていなくても、「お母さん」と呼ばれたら、この子は私が守るしかない、という気持ちがした。そのあと、どうしてだかちょっとバターなんかが必要になり、不安になりながらも女の子におつかいに行ってもらった。しかし、女の子はいくら待っても帰ってこなかった。私は不安にさいなまれ、さっきの「お母さん」という言葉を思い出しながら、ああ私の娘、いったいどこに、と青ざめていた。不意に玄関が開いて、あっ、と思ったのも束の間、そこにいたのは同居人とその友だちで、私が怒って「何であなたなのよ」と泣くので同居人は戸惑っていたようだったけれど、そんなこと私にはどうでもよかった。