2015年7月14日火曜日

小型犬の探索

昼寝していた小型犬を散歩に誘うと、張りきって走り出した。リードをぴんと張って、ぐいぐい私をひっぱっていく。小型犬は元来のんびり屋で、散歩の時も急がない。ところが今日は、強い意志で先へ先へ進んでいった。とても、珍しいことである。家を出て駅の方へまっすぐ、裏通りを、ためらわず。途中、ちょっと曲がり角で迷ったけれど、駅の方角を選びとってまた獅子奮迅の勢いで小型犬は、進んだ。それで、どこに行こうとしているのかが、私にはわかった。

小型犬は、駅前のエクセルシオールに行きたかったのだった。そこはかつて私の両親が、大型犬と小型犬を連れてテラス席でお茶を飲むため、よく通った場所だった。

テラス席の前にたたずみ、じっと何か考えている様子の小型犬が、心底不憫に思われた。こんなに小さくて可愛い何にも知らない生きものが、悲しんで心を痛めていることをこそ、不憫というのだと思った。テラス席には何匹か、中型犬などの犬がいた。小型犬は普段なら、ほかの犬に大声で吠えたりするのに、今日は黙ったまま、ずっと大型犬のことを探していた。あまりにうろうろ歩き回るので、「ほら、帰るよ」と何度もなだめた。小型犬はあきらめずに、何度もエクセルシオールまで戻ろうとするので、ついには抱きあげて歩いた。

母に、「あれからエクセルシオール、連れていってない?」と訊ねたら、「行ってない、悲しくて」と言った。きっと小型犬は、あ、まだあのカフェを探していない! と思いついて、私を引きずって一緒に走っていったのだ。小型犬は、走り疲れて眠っていた。床の、同じ場所に寝そべって、大好きだった大型犬を失ってしまったこの子の中で、まだ喪失感が続いていることに私も泣いた。

2015年7月3日金曜日

夏は抹茶

「おかえり」と言われることがなくなってずいぶん経つ。両親の家に行くと「いらっしゃい」と言われる。そんな両親の家には、近所に住む子どもがときどき遊びにくるらしい。去年、夏に母が抹茶の水ようかんをあげたところ、少年Kはたいへんにそれを気に入って、今年もそれとなく、母に「水ようかん、ある……?」と訊ねたようなのだ。その水ようかんは、確か去年わたしが手みやげに持っていったもので、つまり、たまたま実家にあったものなので、母は「ごめんなさい、今はないの」とKに謝ったそうである。

その話を聞いて一念発起した私は、電車に乗ってデパートに向かった。次に少年Kが遊びにくるまでに、何としても抹茶の水ようかんを手に入れなければならぬ。雨の中、デパートの地下の、洋菓子和菓子店があまたひしめく中を歩きまわり、これぞ、という水ようかんを得て母のもとへ向かった。そして、無事に抹茶水ようかんを少年Kに渡せた、という知らせを母から受けたのが昨日のことである。5歳の少年が、和菓子をほおばってうれしそうにしている絵を思い浮かべると、私もうれしい。