2015年8月8日土曜日

ある日(京都、城崎)

城崎に行くために、まず京都に行った。おみやげものを駅で見ていたが、夜中に食べたくなりそうないいお菓子がなく、おなかにたまりそうなものは若鮎くらいだった。結局、改札の中のセブンイレブンでメロンパンを買って、特急に乗った。結構混雑していて、自由席はぎっしり埋まっていた。眠かったけれど、知らない人の隣で寝るのが嫌なので起きていた。でも、知らない人が隣で寝ているのもものすごく嫌なので、どちらかを選ぶしかないと、つまらないことを考えていたら、いつの間にかうたた寝していた。和田山を過ぎるとどっと車内はすいて、二人掛けの座席に寝そべって眠ることもできそうだったけれど、そういうことはしなかった。特急列車は、途中で、前の列車が鹿と衝突したためにしばらく停まった。時を同じくして、滞在予定のアートセンターから「城崎町内で小熊の目撃情報がありましたので、お気をつけください」というメールを受けとった。

豊岡で特急を降り、もう二駅、鈍行を乗り継いだ。それはボタンを自分で押して扉をあけるタイプの車両で、不慣れな私はうまく降りられなかったらどうしようと思いつめて、動悸がした。乗る時は、先に乗った人のあとにすばやく付いて乗り込んだので、問題なかったのである。城崎温泉駅で、降りるのが私だけだったらどうしよう、とひそかに悩んでいたところ、車内アナウンスで丁寧に、扉の開け方を説明してくれたので少し安心した。列車が駅につく2分も3分も前から、帽子をかぶり、リュックを背負い、トランクを引きずって準備をととのえた。列車が停車して、アナウンスのとおりに扉の横のランプがついたので「開」ボタンを押して、慎重さと優雅さをぎりぎりあわせもつしぐさで、ホームに降りた。

見覚えのある男性が改札の中をのぞきこんでいる。1秒ほど考えて、アートセンターの近くにある温泉旅館の主人H氏であると思い出した。先月、懇親会でお目にかかったのだ。思いがけない再会にうれしくなり、こんばんは、と声をかけ、あらためて名乗ると向こうも私を思い出してくれたようだった。私は、人の顔を覚えられないことも多いのだが、ふしぎによく記憶できる場合もあって、それはどういう違いなんだろうと思う。H氏は、駅に今宵の宿泊客を迎えに来たとのことだったが、手違いで空振ってしまったと言った。どうやってアートセンターまでいらっしゃいますか、よかったらうちの車にお乗せしますよ、とおっしゃっていただき、思いもかけないことに喜びが温泉のようにわきあがる心地がした。ちょうど、湯上がりのF、M両氏が自転車で登場したので、私は一度アートセンターまで荷物を置きに行き、のちほど町で再会することにする。

H氏のご親切はそればかりでない。旅館の電動自転車を私に貸してくださったのである。城崎の町の人の、尋常ならざるもてなしと、協力を惜しまない心意気はとてつもない。先月おとずれた時にそれを感じて、あまりにも町全体で協力しあい、もてなしの心を持って交歓する様子が理想的で、にわかには信じがたいほどおどろいた。今夜は、H氏のご厚意に対し、あおぎみるようにして甘えた。

自転車を借りたおかげで、今夜はあきらめかけていた温泉にも入ることができ、F、M両氏ともふたたび合流することも容易だった。3人で食事を終えて店を出ると、時間は22時半をまわっていた。城崎の外湯の営業時間は23時までである。Fは「がんばればもう一度温泉行けるなあ」と言ったので、私は、そんなお湯乞食みたいなのはやめなさい、ゆっくり滞在するのだから明日にしなさい、と言った。

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