2015年11月11日水曜日

家移り

いつも押し出されるようにして引っ越す。水が満ちてきてあふれるように、そこにいられなくなる繰り返しだ。心から好きな場所を選んで住み着くことが、これから先あるのだろうかとさえ思う。

今の家に越してきた頃のことを思い出す。あの頃からずっと私は眠れない生活で、朝になってやっとうつらうつらしていると、凄まじい工事の音が聴こえてきていたのを覚えている。マンションの廊下には張り紙がしてあって、階下の部屋で床の張替えをしているのを私は知っていた。でもこのマンションは新築で、どうして床の張替えなんかが生じるのかぜんぜんわからなかった。ドリルで穴を開けまわるような轟音が一日中響き、私を蝕んだ。家から逃げて、いろんな場所に避難した。体は重く、心も塞いでいてとても外に出たくなんかなかったのだけど、ドリル音に気が狂ってきたので、枕元に服を用意して、朝起きたらとにかく逃げることだけをがんばった。3か月の間に、階下の部屋に住む人は二度もそんな工事をした。気が狂っているのは私だけはなかったのだ。

狂人は他にもいて、昼間はずっと女の叫び声が聴こえていた。女は長く叫ぶ。何かに抵抗するとか、意思表示をしている感じはぜんぜんなくて、ただ長く長く、金切り声を上げて叫ぶ。それは同居人も聴いたので間違いないと思うが、同居人が休日にちらっと聴いただけなのに比べて、私は毎日毎日朝から叫び声とドリル音を聴いていたので、神経がすっかり参ってしまったのだった。

あの頃は、日の射さないこの部屋でとても暮らすことなどできないと思った。長い長い廊下を経て、マンションの外に出ないとその日の天気もわからないほど、奥まった部屋なのだ。毎日泣いていた。追いつめられて、川や線路を見るたびに飛び込みたいと言うので、同伴者は私を止めるのに苦労していた。 そういう二年間であった。

2015年11月9日月曜日

玄関

夏が来る前に死んだ大型犬が、玄関で私を待っていた。しっぽを振って、笑っているようだった。名前を呼び、撫でて抱きしめても大型犬は消えなかった。大型犬は変わらず、優しい子だった。小型犬もそばにいてくれた。二匹で私を励ましたり、慰めたり、近況を聞いてくれているのだった。目が覚めてから嬉しくて、でも目が覚めたことは悲しくて、ソファで少し呼吸を整えた。ほとんど眠れなかったので頭は朦朧としていた。

次に眠ると、嘘をつかれたり隠し事をされたり、その嘘を他人から教えられたりする夢を見た。


2015年11月1日日曜日

もう死んだものたちのこと

薬を飲むと、幻覚を見たり変な言葉を話したりしてしまって、隣にねむる人を困惑させたりひどく不安にさせてしまう。彼が私より遅く起きていたりせずに、薬の効きはじめた私を覚醒させたりしないで(つまり話しかけたりしないで)どこか遠いソファとかでねむってくれさえすればいいのだ。では君より先に寝ているのはどうか、と訊ねる人があるかもしれないが、神経質な時の私は、他人のすこやかな寝息も耳障りに感じるのでいやだ。

今朝は、6月に死んでしまった大型犬に夢の中で会えた。階段の下、はるか遠くに犬はいて、目を赤く光らせていた。もう少し降りると崖だ、あぶない、と思って私は犬を助けるために階段を駆け下りた。骨組みだけの、下の景色が透けるおそろしい階段だったが、犬のためなら何も怖くなかった。ぎりぎりのところで私は犬をつかまえたが、そのとたんに犬は手の中でくだものになってしまった。

夢には祖母もいた。このところ、もう死んだ人のことばかり頭に浮かぶ。私の夢の祖母は、いつも無言で強い警告を発するように不穏な存在感を放つ。目を覚ましてから思い返しても、しみじみ、あれは人ではない、と思って畏れを抱く。実際には、お願い事があると大好きなチョコレートを断って願掛けしたり、アイスクリームに目がなかったり、バッグにいつも森永ハイソフトキャラメルを入れていたり、庭のすずめにお米をまいたり、来客にケーキを欠かさない祖母だったというのに。

電車の中で、死んだ大伯父の、節くれだった指のことを思い出していた。彼は祖母の兄で、2年前に亡くなった。兄妹というのは、手の形がよく似ているもので、大伯父の手をにぎりしめながらいつも私は、祖母みたい、と喜んでいたのだった。どうして、大伯父のことを一度も抱きしめないまま死なれてしまったのか、思い出すたびに今も寂しい。