2016年1月29日金曜日

2012/9/18

2012/9/18

朝から日本と電話しながら仕事を進める。いまいち乗らない。
日本側の準備が圧倒的に足りていない。T君に頼りすぎてしまう。

ランチは日航ホテルの地下の食堂へ。15元で日替わりごはんが食べられる。
食事のあと、カルフールへ水とお茶を買いに行く。3本ずつ買った。
楊さんはいつも勝手にレジ袋をもらうのを断ってしまう(袋も無料じゃないけど)

午後も全然仕事する気がおきない。日本に電話しても誰も出ないので腹が立つ。
だんだん熱っぽさと頭痛が出てきてしまう。

今日は柳条湖事件から81年で、反日デモも一番ひどい日だった。
朝からN部長、O副部長、中国本社の奥部長などから内線をもらう。
Hさんとも、連絡先の共有のメールなどを何回もやり取りした。
仕事以外のことでだいぶ疲弊してしまった。Fさん、Yさんなどは今日は自宅待機とのこと。

今日一日の重苦しい気持ちは、朝一番に見たAくんのメールにあった。
同期だったIくんが、胃ガンで亡くなったとの知らせ。
考えてみれば、同級の友人を亡くすというのが、この歳にして初めてなのだった。
ご両親、奥様の気持ちを思うと本当に切ない。
お通夜には参列できないので、あとでAくんに志を渡すことにする。
IくんのFacebook、どうなるんだろうと思っている。
本当に心からお悔やみ申し上げる。

夜は庚午包子店へ。日本語を話しながらでも、大丈夫だった。
少し遠慮していたけれど、楊さんは(そして街中の中国人は)いつもと変わらず親切だ。
「何十年も平気だったのに、どうして今、なんでしょうね」と、言っていた。
楊さんは、左手の小指だけ爪を長く伸ばしている。
理由は聞いていない。
楊さんは、もうすぐ生まれる赤ちゃんのこと、自宅の方に地下鉄が延びて行くことなどを、嬉しそうに教えてくれる。

前日から部屋の金庫が開かなくなり、困っていたのでフロントで楊さんに聞いてもらった。スタッフの人が2人、マスターキーを持ってきてくれて何とか開けることができた。そのあと、正常な金庫のある隣の部屋へ代わる。
日本人のスタッフもいるのだが、今日は9/18なので出勤していないとのことだった。

夜はNHKばかり見ている。仲里依紗の「つるかめ助産院」に、平良とみおばあが出ていて、それだけで泣けた。

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