2016年5月1日日曜日

遅れた花嫁

花屋で買った芍薬のつぼみが、なかなかひらかないので、水上げに失敗してしまったかと思って、一度茎を短く切った。それでもつぼみはかたくななので、毎日、咲いてほしいよ、会いたいよ、と声をかけて育てた。蜜が出るとひらきにくいので、拭き取りもしたし、花びらがやわらかくほころびるように、つぼみをさすったりした。そのかいあって、その芍薬を花屋から我が家にめとって一週間が過ぎた日、ついに花はひらいたのだった。

チェーホフを知らないまま大人になるなんて貧しい人生だ、と言う人が仮にいるとして、でもその人は、私が一生懸命世話した花の名も、道ばたで枯れた花がらを散らす街路樹の名も、 コンディショナーと違ってシャンプーのボトルには目を閉じていてもわかるようにぼこぼこした印があることも、知らない。貧しさとか豊かさの話ではないし、どちらかに振れることだけが人生ではない。問題は、断罪の言葉を、口にするかしないか。その言葉を持っているか、いないかなのだ。

もう、夜は怖いものではなく、ただ悲しくて寂しいものでしかない。

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