2016年8月24日水曜日

ある日(海、目)

日曜日の朝、横浜から来てくれた客人たちが港に勢ぞろいしているのを見て、麗しのニーナが「あれれー、ここは横浜かな?」と抱いている息子に語りかけた。息子はうれしそうにして、ニーナの胸に抱きついていた。海はすべての人をつなぐ、と教えてくれたのは16歳の時の、友だちのボーイフレンドだった。鎌倉育ちのその友だちとボーイフレンドは、週末ごとに海でボディボードをしていると言っていた。友だちとは、イギリスで出会った。彼女はボーイフレンドとけんかしたまま日本を出てきて、イギリスのサマースクールに参加していたのだった。ある日、「ちょっと見てよ、何これ」と言いながら、ボーイフレンドから来た手紙を見せてくれた。そこには、彼女を気遣う言葉がほんの少しと「いつも一緒だよ。だって、海はすべての人をつなぐんだからさ」と書いてあった。16歳だった私は、それまでぜんぜん海で遊んだことがなかったし、海のある日常に生きたことがなかった。だから、まあすべての人をつなぐっていっても、そんなものかな、イメージはわかるけど、くらいに思った。私がこのことをわかるためには、ふたたび16歳になるのと同じだけの年月を経る必要があったけれど、今ならわかる。海をわたる船、見晴らす先の島々、架けられた大きな橋の先でみんな結ばれている。友だちとボーイフレンドは、結局彼女が日本に帰ってから仲直りして、1年後に別れた。

早朝から喫茶にゆき、今日のぶんのカレーを40人分つくった。これだけの量になると、レシピを倍に倍に増やしていっただけでは味が整わない。最終的に味を見て、舌の上で分解し、調味料とスパイスを混ぜ合わせて足した。

お昼から15時まで休みをもらったので、Fを連れて土庄港付近の展示作品を観に行った。道中、車内で口論になって、うるさいから道ばたに捨てていこうかと思ったけれど、慈悲の心を持って最後まで乗せていった。駐車場が見つからないことにあせってしまって、そのことに気分が塞いだ。日陰のない、迷路のような道を進み、民家にほどこされた展示を観た。子どもたちが喜んで、声をあげながら楽しんでいるのが印象的だった。視覚の操作、注意の引き方の完璧なデザインだった。帰り道、Fが日本酒の醸造所に寄りたいというので細道に入った。駐車場をまた間違えてしまい、落ち込んだ。Fは午後のフェリーで島を去っていった。

エリエス荘の入口でスイッチリーダーに会って、島でのたがいの健闘を讃えあった。「いい表情ですね、憑き物が落ちたような顔してる」とスイッチリーダーが私に言ってくれた。たまたま母にそのことをメールすると「それはよかったわね。海はいいわ」と返事が来た。私が物心ついてから、母と海に行ったことはない。彼女が思い浮かべている海は、いつの、どこの海なんだろう、と少し考えた。

フェリーが入港するのを見る時いつも、こんなに大きな船がどうして小さな乗降口のタラップに照準をあわせて停泊できるんだろうと不思議に思う。乗組員たちが、綱をかけて船を引き寄せ、着岸させているのを見て、やっぱり最後は人の力なんだな、と思う。フェリーは2隻あって、絶え間なく神戸と坂手、高松を往復しているので、働きすぎが心配になる。そんなことも、毎日毎日フェリーを見送る生活をしなければ気づかなかったことである。今も、夜中に何度も目が覚める。でも、胸をはって生きていたい。いつかもっと元気になった私を、坂手の人に見てほしいなと考える。

夕陽が少し濃くなって、これは秋なんじゃないかな、と思った。朝夕の風が涼しくなっている。今日は海がきらきらしてたやろ。太陽でな、海がきらきらしたら、もう秋やで。夜の喫茶にビールを飲みに来てくれた谷さんが、にっこり笑って言った。

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