2016年9月6日火曜日

ある日(空を飛ぶ)

俳優のSI嬢が島にいたころ、エリエス荘の喫煙所でふたりで話をたまにした。ぼーっと海を眺めながら煙草を2本くらい立て続けに吸い、身体のことを話していると、よく、安らぎとか生き方とかの話になった。犬島と直島を訪ねた私は、その島のサイズにやっぱり驚いて、たとえば自分がそこに暮らすのはむずかしいと思った、という素直な感想を述べた。歩いてまわれる島では自分の身体が縮んでしまう気がしたから、と答えたらそれをSI嬢はおもしろがってくれた。小豆島は、車で移動しなければいけないところがたくさんあるでしょう、車は、自分で運転するでしょう、だから車は拡張された身体の一部みたいなものでしょう、小豆島を車で走るということは、普段私が自分の足で歩くよりも拡張された身体で移動するということなので、自分がすこし自由に、大きくなったみたいな気がするの。

スーパーマーケットに買い物に行って、普段ならためらうんだけど2台の車の間にバックで入れて停めてみた。車を日頃から運転する人にとっては何ということもない操作である。でも私はあんまり駐車がうまくないから、何度か切り返しをする。やらないと上達しないからいつもエリエス荘の駐車場で練習していて、それでもなかなか上手にならなくて悲しかったけれど、今日、スーパーマーケットで停めた時は一度でばっちり入って、車体もまっすぐで、これは何かが身体に浸透した証拠だ、と思った。もしこの車が人間だったら、握手して快哉をさけびたいほどにきっちり駐車できたのだった。

スーパーマーケットで、昨日、麗しのニーナたちと偶然会ったりしたものだから、誰かに会うんじゃないかと思ってあたりを見回した。これも島に暮らす身体のふるまいだな、と思った。

真夜中、エリエス荘の食堂にいたら、フェリーが港に着く音がした。いつものことなので、ちょっといつもより遅れたね、などと言い合いながらエンジンの音に耳をすましていた。スマートフォンを見ていたら、京都の若い演出家が坂手に一瞬寄港していたようで、気づいたのは船が出る音がしてからすぐあとのことだった。エントランスを出て、遠ざかっていくフェリーを見送る。ライトをつけて手を振ってくれたらよかったのに、というメッセージが来たので、遅ればせながらあかりをともしてみたけれど、彼にはきっと見えなかっただろう。暗がりの中、しばらくずっと港にすわっていた。寄せては返す波のように、フェリーは港に立ち寄り、すぐに綱をといてまた旅立っていく。

画家のみきちゃんは、小豆島にたくさん壁画を描いている。ニーナの息子が「あのえもみきちゃんがかいたの? あれもみきちゃんなの?」とニーナに訊ねるので、いつもニーナは「そうだよ」と教えているらしい。そこで息子には新たな疑問が生まれる。「でも、てがとどかないんじゃない……?」。息子はまだ、脚立の上の世界を知らない。4歳というのは、自分の身体の大きさが、自分の身体の大きさ以上のものにならない年なのだ。同じように、どうやって高いところに絵を描くのか島の子どもに訊かれた時、みきちゃんは「空を飛んで描いてるんだよ」と言ったという。少年は目を丸くして「じゃあ今飛んで」と言ったけれど、みきちゃんは「今はだめ」と断り、さらに「君のお母さんも本当は飛べるんだよ、大人はみんな飛べるの」と教えた。「だってサンタも飛ぶじゃん」と言ったら少年は納得したという。かっこいい大人になるということは空を飛べるようになることだが、それを見せびらかしたりしないのも、また大人なのである。

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