2016年9月8日木曜日

ある日(葬送)

喫茶の営業は今日で終わりで、アイスクリームが余っては困るので、少しでも多く食べてほしいとマスターが言う。それで、クリームソーダやコーヒーフロートを頼んでくれた人には数日前からひそかにアイスを多めに盛りつけていた。私も、喫茶が暇な時間を見計らってクリームソーダを買い、外へ散歩に出た。海沿いの堤防にまたのぼって、歩きながらクリームソーダを飲んでいたら、ポケモンをつかまえながらこちらに歩いてくる谷さんを見かけた。谷さーん、と声をかけて、しばらく海を見ながらおしゃべりした。「このへんミニリュウおんねん」と言って、谷さんは自慢げにポケモン図鑑を見せてくれた。もちろんまじめに今年の夏を振返ったりもした。そうしたら目の前の事業所から、以前喫茶に来てくださったお父さんが出ていらして、3人で少し話した。お父さんは「うちのばあちゃんがままごとのファンなので」と言いながら事業所の奥へゆき「これ持っていってください」とアイスキャンディーを10本ほどもくださった。空になったグラスと、アイスキャンディーのいっぱい入った袋を持って喫茶に帰り、マスターに、アイスが増えた! と報告すると、花壇の最後の手入れをしていたマスターは「何だって?!」とめずらしく大きな声を出した。バジルはこの日、全部刈り取られ、喫茶の隣のスタジオスペースに吊るされ、乾かされた。

何日か前から継ぎ足し継ぎ足しつくっていたカレーが余る見込みで、夜はみんなでカレーパーティをしようと言って何人か友だちを誘っていた。いつおさん、向井夫妻、みきちゃんなど。「ナンをつくってみたら」と向井くんが言うので、余っていた薄力粉とヨーグルトなどをつかってナンの生地をこね、丸めてとりあえず冷蔵庫に寝かせておいた。

特に誰が島から去るというわけではないが、2度目の散歩に出たら15:45のフェリーが着岸するところで、エリエス荘のエントランスを目指して歩いた。またしても堤防の上に乗り、船をよく見る。このところ私はばかになっていて、やたら高いところにのぼりたくなっているのだ。日曜日の午後便だから、テラスには普段より人が多かった。誰も知り合いはいないけれど、船がふわりと岸を離れる時に大きく手を振ってみた。今日の私は濃い赤のロングスカートをはいていてそれが風をはらんで翻るので、フェリーの上からでもだいぶ目に付いたはずだった。ちょっと歌ったりもして、日々への送別の気持ちをあらわした。

そんなふうに店をさぼっていた私が喫茶に戻ると、店内には、ままごとをずっと支えてくださった坂手の住人の方が順々に訪れてくれていて、ほとんど満席だった。夕暮れが近づくと自然にみんな外へ出て、みきちゃんは煙草を吸っていて、谷さんと赤ちゃんを抱っこしたまっちゃんは、並んでベンチに座ってエリエス荘を見ていた。嬉しかったのは、えみこさんが来てくださったことだった。「最後の日だからね」と、はにかみながらえみこさんはホットコーヒーを注文してくれた。えみこさんは、私に手話を教えてくださったご婦人で、盆踊りの夜に偶然お会いしてから、私にとってたいせつな交流を続けてきた方だった。えみこさんはみきちゃんの絵画教室に通っているのだけれど、最近なかなか会えていないみたいで、たまたま店内にいたみきちゃんを見つけてしばらく二人でおしゃべりしていた。みきちゃんは芸術祭に出す絵の大仕事をひとつ終えたばかりで、えみこさんは「忙しいんじゃないかと思って、邪魔したくなかったから」と何度も言いながら、みきちゃんとコーヒーが飲めて本当に嬉しそうだった。

18時になり「終演しました」という一言を発して、すぐにマスターは喫茶を片付けはじめた。さすが、ここはやはり劇場なのであった。私は、てきぱき片付けるみんなを横目に見ながらカレーパーティの準備をしていた。そのまま、若い島の友だちや、もっしゃんやきみちゃんを交えて打ち上げが始まった。

ねかせたナンのことを忘れていたら向井くんが「あ、ナンはあるの?」と言ってくれたので、思い出してこねて、フライパンで焼いた。人類が初めて焼いたパンみたいな、ひらべったくて簡単なかたちをしていたけれど、味は小麦粉と塩の味がして、ちゃんとおいしく焼けていた。薄力粉がまだ余っていたので、クレープの生地をつくって焼き、生クリームとブルーベリーソースで飾ってデザートにした。

キッチンを軽く片付けて席に戻ると、いつおさん、みきちゃん、向井くん、こにたん(向井夫人)の4人が、死んだらどんなふうにしてほしいか、墓とか弔い方、死に方の話をだらだらしているところだった。問われて考えたが、私の頭の中には土葬、火葬、風葬、水葬くらいしかなくて、人ってあんまり死んだあとのバリエーションがないなと思った。今まで見たことのある骨壺の話、火葬場のスイッチの話、この死に方はいやかなあ、という想定、今死んだらお墓はどこにするか、という話をしながら、べつに今死ななくってもいいんだよ! なんて笑いあった。私が、伴侶を散骨したあとも骨を少し持っておくと思う、と言ったら「その時の未亡人感がすごそう」と向井くんが言った。「黒いレースのついた帽子かぶって崖に立ってよ」と言うので了承した。「散骨って死体遺棄にならないのかな」と相変わらずいつおさんはブラックジョークを言うので、粉々にしないとだめらしいわよ、と私はまじめに答えた。25とか30とか40歳の大人が食事をしながら死について和気あいあいと話しあっているところに、21歳のモモちゃんがお皿に残っていたクレープを取りに来て、もぐもぐ食べながら横で話を訊いていて、そういえば今、私たちは生きてるんだなあと思った。

パーティは22時で終わり、エリエス荘に戻ってからも少し話した。私はみきちゃんとふたりで、真っ暗な食堂で深夜までしゃべっていた。子どもを産むことはとりあえずすっ飛ばして、孫を持っておばあさんになってからの話をした。この土地に生きる皆さんは、この土地で死ぬんですね。あの坂の上のお墓に入る時に、ここで観た演劇の記憶や、出会った異郷の人々の記憶が、ほんの少しだけお骨に染みこんでいたら嬉しいです。気持ちわるいこと言ってごめんなさい。でもあなたもあなたも、いつか死んであのうつくしいお墓に入るんでしょう。その時私の身体はどこにあるかわからないけれど、ふたりで手をつないだ一瞬の記憶は、あなたと私の骨にほんの少し、残るのかもしれないと思います。

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