2016年9月8日木曜日

後日談

▼5日
堤防の上を端っこまで歩いてゆき、立ってアイスキャンディーを食べていたら、後ろから「姉さん、落ちたらいけませんよ」と海上保安庁の人が声をかけてくれた。「誰が立ってるのかと思いましたよ」と笑われた。アイスをくださったお父さんが犬を連れてくるところにまた行き会って、秋に私もデュッセルドルフへ行くという話をする。13時に喫茶集合で後片付けと思いきや、みんなは近くのカフェレストランへ昼食に行った。私は相伴はせずに、喫茶でひとり、椅子を並べて横になったりしていた。

15:45の船で、麗しのニーナと息子が帰った。息子はニーナに抱かれて、船の2階から顔を覗かせている。大きく口を動かしているので、耳を澄ますと、彼はジャンボフェリーの歌をうたっているのだった。みんなに手を振ってもらって、最初は元気に応えていたのに、寂しくなってしまったのか、ニーナの胸に顔をうずめてしまったのが最後までかわいかった。

夜、制作なかちゃんとモモちゃん、琢生さんと4人でしみじみ缶ビールをあけた。エリエス荘には大学の夏期集中講義のためにたくさん学生が来ていて、ざわざわと空気を揺るがしていた。

▼6日
喫茶の常連さおりさんがお出かけに連れていってくださる。酒造にゆき、草壁港でジェラートを食べながら、昔のエリエス荘に来ていたグアムの留学生たちの写真を見せていただく。高校生のさおりさんは、はつらつとして今と変わらぬ明るい印象だ。彼女の笑顔はきっと、この港町を明るく華やかにしていただろう。それから、中山の棚田と、農村歌舞伎の舞台のある場所まで行った。モモちゃんに棚田を見せてあげられてよかった。ちょうどそこへスクールバスが来て、さおりさんのお子さんが降りてきた。お子さんは私とモモちゃんの名前を覚えていてくれた。

さおりさんは、昨年、娘さんの学校のプリントで演劇の上演を知り、観に行ってファンになったという。二日目の夜、チケットが取れなくても小豆島高校までゆき、食堂で待っていた時の話を聞いた。食堂には父親と息子らしきふたりがいて、静かに遊んでいた。さおりさんはその様子をただ見ていたが、終演後に劇場だった体育館から出てきた「ちーちゃん」が、駆け寄ってきてその子どもを抱き上げたのだという。「その時にね、ああ、お母さんやったんや! ってわかったの。何にも言わずに、抱き上げたのを見た時にそれがわかった」とさおりさんはまっすぐな目をして、言った。

いつおさんの誕生日パーティをひらくので、写真家Pがはりきって餃子をつくり、みんなで皮をこねて肉を乗せ、次々と包んだ。私は冷蔵庫の野菜の組み合わせをいろいろ考えて、残り物でおかずをつくった。餃子がとてもおいしくて、その日炊いたお米はほとんど翌日に持ち越した。パーティが終わってから、ニーナの息子がやり残した花火を持って、琢生さんとモモちゃんと3人で外に出た。風が強くてなかなか火がつかないうえ、たった2、3日置いただけで花火はすっかり湿気ってしまっていた。なんとか火花を燃やし尽くし、最後は3人並んで、線香花火を海に散らして夏を終えた。

▼7日
昨夜、大学生たちの喧噪でお風呂時を逃したので、朝6時にエリエス荘を出て、ホテルの温泉まで往復40分ほど、モモちゃんとふたりで歩いた。7:30の船に乗るモモちゃんを見送って、私も荷造りを始めた。私は15:45の船に乗ることにしていた。

喫茶の隣のスタジオでは、デュッセルドルフに留学するみきちゃんの最後の絵画教室が開かれて、おもに島に住むおばあさん方がたくさん集まっていた。えみこさんが喫茶にひょいと顔を出し「餞別に」昔の着物でつくった巾着をくれた。「いつか形見にね」なんて笑って手を振って、えみこさんは絵画教室に戻っていった。お昼に、昨夜の餃子の残りを焼いて食べ、ぜんぶ片付けた。宅急便の営業所まで送ってもらう途中、かすかに歌う青年の声を助手席で聴いていた。船が来る間際にさおりさんが現れて、かよさん、あやさんたちと一緒に見送ってくれた。別れ際、この世でいちばん優しい抱擁で耳が触れ合った。新幹線で眠ってしまい、気がついたら東京駅で起こされ、かつて勤めた38階建てのオフィスビルを見上げて、ここも私のふるさとだと思って身体に愛が満ちるのがわかった。東京駅から帰るはめになったせいで胸に傷の残る町を電車で通り過ぎ、苦しさがせり上がってきても、今夜は大丈夫だった。演劇が終わっても未知の日常は続いていて、私たちの人生がもし演劇ではないとすれば、それは自分ではラストシーンを決めることができないということだ。終わっても終わっても、また始まる。終わっても終わっても、びっくりするような出来事が起きて笑いあう。私たちは、ラストシーンを選べない。

海を眺めて吸う煙草は、吸い終わるのがもったいなくて、いつもぎりぎりまで燃やしていた。いつだか劇作家が言っていたように、太陽系に生きているかぎり私たちはひとつの太陽の下で眠って目覚めて生きていて、私は今日もまた、島の日々を思い出しながら狭いキッチンでライターの火をつける。短くなっていく煙草の先、まぶたを閉じて坂手の海を見ながら、火の温度が指先に近づいてくるのを感じている。

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